「六本指のゴルトベルク …30の変奏で描く"両極端の世界" (8月15日)」
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私のお薦めのご本を紹介しますね。
よろしければ、あなたもご一読なさってください。
もしかすると、私を含めたクラシック音楽の演奏家たち、その心の動きが、のぞけちゃうかもしれません…。

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六本指のゴルトベルク (中公文庫 あ 64-5)
「30の変奏で描く"両極端の世界"」
青柳いずみこ/著(中央公論新社)
それにしても『六本指のゴルトベルク』とは、なんと美しく、なんと不気味なタイトルであることだろう。
六文字の片仮名が六本の指にぴたりと呼応するばかりか、その微妙に余った感じが、微妙に足りない感じとも一つになって、ほの暗い均衡をかもしだしている。
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とはいえ、本書の基調は、
陰鬱さとは無縁の、軽快にして痛快な「音楽小説案内」だ。
冒頭で紹介されているのはトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』。
主人公ハンニバル・レクター博士は精神を病んだ希代の殺人鬼であると同時に、ハープシコードを弾きこなす
音楽愛好家でもあって、特にグレン・グールドの演奏によるバッハの『ゴルトベルク変奏曲』を愛している。

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彼には、左手の中指が2本あった。
いったいどのように弾いたのか?
著者はそんな疑問から語り起こし、曲の構造や特徴、運指の歴史、そしてグールドの演奏法にまで言及する。
わずかな紙幅でそれらをみごとに変奏させながら、レクター博士が続篇『ハンニバル』では、身元を隠すために手術をして、5本指という彼にとっては不自然な状態になっていることを指摘するのだ。
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5本指のレクター博士の演奏は、
「完璧ではないが絶妙」で、
「この曲の真髄への理解が滲みでて」いた。
「絶妙ながら、完璧とは言えない演奏」の音楽性。
非の打ち所のない技術、正確な楽譜の理解、
申し分ない調律をほどこした楽器が揃っていても、「音楽」が流れずに「音」しか出てこない場合がある。

アリアの楽譜。)
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じつをいえば、本書は読書案内のふりを装いつつ、括弧つきの「音楽」とはなにか、
創造とは、演奏とはなにかという本質的な問題を考えさせるように仕組まれている。
『ゴルトベルク変奏曲』は、
最初と最後に主題となるアリアを配し、
あいだに30の変奏を並べる構造になっているのだが、
本書が30章で構成されるだろうことは、
冒頭の一例で早くも示されているわけである。
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扱われている本は、和洋あわせて35冊。
ミステリから大河小説まで、どの作品の分析にも、ピアニストであり、文筆家であり、教育者でもある著者の、複眼的な視点が存分に生かされている。
ご本人は、それをまるでどっちつかずであるかのように嘆いているけれど、この「ぼやき」は、
日本の音楽教育に対する苦言をまじえて、
かなり意識的に「リピート」されているので、
いまや愛すべき青柳節と呼んでもいいだろう。

アリアの楽譜。)
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一点のミスタッチも許されないという呪縛と戦い、気の遠くなるような持続を自分に強いて、崩れなかった精神力。
その裏で、浮き沈みが激しく、精神的に不安定になりがちな、両極端の世界を生きる演奏家たちの姿が、虚構の世界に託して生々しく語られる。
音楽には「正ばかりではなく負の感情、善も悪も生も死も、形而上的なものも形而下的な要素もはいりこんでくる」。
こんなに苦しいものなのに、彼らはなぜ音楽に立ち向かおうとするのか。
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「自分が心の中にしまっている、
いちばんよいものがハーモニーやリズムに姿を変え、聴き手に浸透して
お互いによるこびあえる心地よさは、何ものにもかえがたい」
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言葉などなくても一気に他者と交わり合一しうる音楽の力。
実在の演奏家はもとより、架空の演奏家たちもそれをよく知っている。
2曲のアリアと30の変奏を聴き終えた読者は、漫然と読み流してきた小説、聞き流してきた音楽のなかに、誰にも言えない6本目の指の関節が隠されていることを、いつのまにか教えられているだろう。
(🎹MIYABI)
商品の情報
出版社
中央公論新社 (2012/8/23)
発売日
2012/8/23
言語
日本語
文庫
279ページ
ISBN-10
4122056810
ISBN-13
978-4122056817
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