見出し画像

クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』 ― 終わりから、また始める者たちへ

カリフォルニア州の海沿いの町、ケープ・ヘイヴン。崖の上の家が、波に少しずつ侵食され、いつか海へ呑まれていく。この町の風景そのものが、そのまま『われら闇より天を見る』という物語の輪郭を表しているように思う。

30年前に起きた一つの事件が、今もこの町に影を落としている。自称「無法者」の少女ダッチェスは、その事件から立ち直れずにいる母スターと、まだ幼い弟ロビンを守りながら、日々をなんとか生き延びている。警察署長ウォークは、かつての証言によって親友ヴィンセントを刑務所に送ったことを、ずっと悔い続けている。そのヴィンセントが、刑期を終えて町に戻ってくる ―― 彼の帰還は、かりそめの平穏を静かに揺らし始める。

この物語には、多くの沈黙がある。ヴィンセントは何も語らない。ダッチェスは弱さを見せない。ウォークは過去に囚われたまま動けない。そうした「語られない部分」にこそ、音楽を差し込む余地があると思った。

今回選んだのは、Blues・Folk・Jazzのインストゥルメンタル曲だけ。歌詞を持たない音だからこそ、この物語の登場人物たちが抱える、言葉にならない感情の輪郭をなぞれるのではないかと考えた。ハーモニカ、スライドギター、バンジョー、マンドリン、ピアノ、ベース ―― 楽器の質感をあえて分散させ、単調にならない「もう一つの物語」を編んでいる。

Side Aには、過去の影と、ヴィンセントの帰還がもたらす緊張を。Side Bには、闇の底にある静寂と、そこから這い上がろうとする再生を配した。


Side A ― 帰ってきた男、消えない過去

A1. Little Walter『Juke
ハーモニカが鋭く切り込んでくるインスト・ブルース。刑期を終えたヴィンセントの帰還が、かりそめの平穏に走らせる緊張の一撃を思わせる。

A2. Charlie Musselwhite『Christo Redemptor
ハーモニカとオルガンが重なる、祈りにも似た荘厳な響き。かつての証言をいまだ悔い続けるウォークの、贖罪にも似た重さと重なる。

A3. Ry Cooder『Paris, Texas (Main Theme)
スライドギター一本が響かせる孤独。長い服役を終え、何も語らずに町へ戻ってきたヴィンセントの、言葉を失った内面を思わせる。

A4. Doc Watson『Windy and Warm
フィンガーピッキングの温かい旋律。事件が起きるより前、ウォークとスターとヴィンセントがまだ子供だった頃の、失われた日常の記憶。

A5. Yo-Yo Ma, Mark O'Connor, Edgar Meyer『Appalachia Waltz
チェロ・フィドル・ダブルベースだけで奏でられる、荒涼とした美しさを湛えたワルツ。ダッチェスが一人で抱え込む孤独とケープ・ヘイヴンという土地そのものの広がり。

A6. Roy Buchanan『The Messiah Will Come Again
マイナーキーのギター・ブルース・インスト。ダッチェスが抱える剥き出しの怒りと孤独。

A7. Bill Frisell『Shenandoah
アメリカン・フォークの古謡を、ジャズ的な間とハーモニーで再構築した一曲。幼いロビンを守りながら進むダッチェスの、静かで揺るぎない足取り。


Side B ― 崩れゆく崖、そして終わりから始まる場所

B1. Bill Evans『Peace Piece
同じ和音が延々と漂い続ける、時間の止まったようなピアノソロ。30年前の出来事から一歩も動けずにいるウォークの、凍りついた時間そのもの。

B2. Miles Davis『Shhh/Peaceful
エレクトリックピアノとギターが淡く層を成す音響。ヴィンセントが抱え、決して語ろうとしない秘密 ―― 輪郭のないまま沈んでいく闇の質感。

B3. Charlie Haden & Pat Metheny『Spiritual
ベースとギターの静かな対話。「人は終わりからまた始める」―― 苛烈な運命の果てに、それでも次の一歩を踏み出そうとする者たちへの、穏やかな着地。


崖が波に削られ、いつか家ごと海に沈んでいくケープ・ヘイヴンという町の姿は、そのままこの物語の登場人物たちの姿でもある。何かが終わり、崩れ落ちていく。けれどそれは、すべての終わりではない ―― そこからまた、彼らは歩き出す。

この物語を読んだことがある人には、答え合わせのように。まだ読んだことがない人には、この音の並びだけで、物語の輪郭がうっすらと見えてくるはずだ。

いいなと思ったら応援しよう!