阿字(あじ)の還るところ―― 空海、最後の七日

三月十五日

 私はもう、粥(かゆ)を断って久しい。

 水さえ、舌を湿らせるほどでよい。飢えはとうに通り過ぎて、いまは身のうちが、しだいに透きとおっていくような心地がする。弟子たちはそれを、痛ましいものを見るまなざしで見ている。真然(しんぜん)などは、私の甥であるだけに、こらえきれぬ顔をして粥の椀を差し出す。私は首を振る。首を振るという、ただそれだけのことが、いまはひとつの大きな所作になってしまった。

 高野の三月は、里の三月ではない。谷にはまだ残雪があり、朝には堂の階(きざはし)が白く凍る。この山を選んだのは私だ。都から遠く、人の声のとどかぬ峰々が、ちょうど蓮(はす)の花びらのように八つ、内へ内へと抱きあっている。天が地の上に描いた曼荼羅(まんだら)――そう見えたから、私はここを朝廷に乞うた。人は堂宇(どうう)を建てて仏を祀ると思っているが、私に言わせれば、順序が逆なのである。この山そのものが、はじめから一幅(いっぷく)の曼荼羅であった。私はただ、そのなかへ入っていく道を、切りひらいたにすぎない。

 昨日、私は弟子たちを枕頭(ちんとう)に集めて、告げた。

「三月の二十一日、寅の刻。私はその時に入(い)る」

 入る、とだけ言った。死ぬ、とは言わなかった。この一事を弟子たちがどう受けとるか、私にはわかっている。わかっていて、なお、そう言うほかなかった。真済(しんぜい)が膝でにじり寄り、何か問いかけようとして、言葉を呑んだ。よい。問わずにおれ。答えは、私がこの七日で、身をもって示す。

三月十六日

 目を閉じていると、潮の匂いがする。

 私はもともと、海のそばに生まれた男である。讃岐の、屏風を立てたような崖の下で、内海の光ばかりを見て育った。だから唐へ渡るとき、荒れた東シナ海の、あの底知れぬ暗さに、正直、身がすくんだ。同じ船団の他の船は沈み、あるいは流された。私の乗った船だけが、ひと月も漂ったすえに、思いもよらぬ南の岸へ吹き寄せられた。

 いま思えば、あの漂流のひと月こそが、私の最初の入定(にゅうじょう)であったのかもしれぬ。生と死のあわいに、身ひとつで放り出され、揺れる板子(いたご)の上で、私はただ息をしていた。吸って、吐く。それしか、できることがなかった。

 人は、息をしていることを忘れて生きている。飯を食い、銭を数え、人を憎み、明日を憂えて、そのあいだじゅう、休みなく息をしていることには、ついぞ気づかぬ。私が唐で学んだものを、もし一言に約(つづ)めよと言われたら――それは案外、この「息」の一字に尽きるのかもしれぬ。

 息の出はじめ、口をひらいて最初にこぼれる音を、阿(あ)という。あらゆる声は、この阿からはじまる。だから阿は、すべての言葉の母であり、すべての音の生まれる前の音である。

 私は、板子の上で、その阿を、はじめて聞いた。


三月十七日

 長安の、青龍寺(しょうりゅうじ)の東塔院(とうとういん)。恵果(けいか)阿闍梨(あじゃり)に初めてまみえた日のことを、私はまだ、昨日のことのように覚えている。

 和尚(かしょう)は、私を見るなり、笑(え)まれた。まるで、久しく待った者がようやく来た、というふうに。

「われ、汝を待つこと久し。今日相見(あいまみ)ゆること、大(はなは)だ好し、大だ好し」

 そう仰せられた声の、あのおだやかさを、私はいまも忘れぬ。和尚はそのとき、すでに病を得ておられた。ご自分の命の残りが少ないことを、和尚は知っておられたのだ。だからこそ、東の果ての島国から来た若い僧に、惜しむということをなさらなかった。

 わずか数か月のうちに、和尚は胎蔵(たいぞう)と金剛(こんごう)の両部(りょうぶ)を、余さず私に注ぎ込まれた。灌頂(かんじょう)の壇に上り、目隠しのまま花を投げれば、その花は二たびとも、曼荼羅の中央、大日如来(だいにちにょらい)の上に落ちた。師は、投花得仏(とうげとくぶつ)の名を、私に与えられた。

 遍照金剛(へんじょうこんごう)。

 あまねく照らす金剛(こんごう)、という意(こころ)である。過分の名だと思うた。だが和尚は、これは汝の名ではない、大日如来のはたらきの名であり、汝はいま、その器となったのだ、と仰せられた。

 器は、いずれ割れる。だが器のなかに満たされたものは、次の器へ移せばよい。和尚は割れる前に、すべてを私へ移された。そして、静かに逝かれた。

 ――いま、私が同じことをしている。それだけのことだ。何を、弟子たちは泣くのか。

三月十八日

 実慧(じちえ)が、遠く東寺(とうじ)から上ってきた。都の護国(ごこく)の寺を、この男に託して久しい。痩せた頬に、道の疲れが濃い。私の枯れた手を取って、しばらく声もなかった。

「師よ」と、ようやく実慧が言うた。「なにゆえ、食(じき)を断たれます。せめて、湯(ゆ)なりとも」

 この者は、私が身を苦しめて涅槃(ねはん)を求めていると思うている。違う、と私は思う。私は苦行をしているのではない。断食は、私にとって、罰でも、責めでもない。

 油の尽きかけた灯を、見たことがあろう。皿の油が乾いていくにつれ、炎はかえって澄み、青く、細く、まっすぐに立つ。ゆらぎが消えて、ただ一点の光になる。あれだ。私はいま、身という皿の油を、ゆっくりと燃やしきっているのだ。余分なものが落ちていくほどに、炎は澄む。

 この教えを、即身成仏(そくしんじょうぶつ)という。

 仏になるために、この身を捨てるのではない。この身のままで、この身こそを場として、仏となる。手に印を結び――これを身密という。口に真言(しんごん)を誦(ず)し――これを口密(くみつ)という。心を仏に定める――これを意密(いみつ)という。この三密(さんみつ)がひとつに揃うたとき、私と大日如来のあいだの隔たりは、消える。

 むずかしい話ではない。海のそばで育った童にも、わかる。手を合わせ、声を出し、心を澄ませる。ただそれだけのことを、生涯かけて、まことにやりきる者が、少ないというだけだ。

 私はいま、その仕上げにかかっている。

三月十九日

 残る力を惜しんで、この日は、後(のち)のことを言い置いた。

 真然に、この高野を託す。実慧に、東寺を託す。真済に、経と論の書写を託す。真雅(しんが)は私の弟であるが、あれは都に置いておくがよい。朝廷とのあいだを、あれのやわらかさで、つないでくれよう。

「よいか」と、私は言うた。「私が入ったのち、山を閉じてはならぬ。堂を朽ちさせてはならぬ。灯を、絶やしてはならぬ」

 弟子たちは、平伏した。

 私が案じているのは、寺の栄えではない。伽藍(がらん)は、あってもなくてもよい。私が絶やすなと言うたのは、あの、皿の上の一点の炎のことだ。人から人へ、器から器へと、こぼさずに移してきた、あの光のことだ。恵果和尚が私に移し、私が汝らに移した、あの光を。

 真済が、こらえきれず、袖で顔を覆うた。二十をいくつか越えたばかりの、まだ若い男である。私は責めなかった。泣くがよい。悲しみもまた、この世が確かにあることの、ひとつの証しである。ただ、悲しみの底を、突きぬけてしまえ。突きぬけた先に、悲しむべき別れなど、はじめから無かったことに、いつか、汝は気づく。

三月二十日

 最後の夜が来た。

 弟子たちを退け、私はひとり、阿字観(あじかん)に入(い)る。

 闇のなかに、白い蓮の花を観ずる。その花の上に、月輪を観ずる。その月輪の中に、金色の阿の一字を観ずる。この一字が、私であり、大日如来であり、この宇宙のすべての、生まれる前の姿である。

 阿は、本不生(ほんぷしょう)を意(こころ)とする。

 本(もと)より、生ぜず、という。

 私が唐から持ち帰った幾万巻(いくまんがん)の経のうち、もし一句だけを彫って碑に残せと言われたら、私はこの三字を選ぶであろう。本不生。もともと、生まれてなどいない、ということだ。生まれていないものは、滅しようもない。私はいま六十二の齢で、身は枯れ果てたが、生まれていないものが、どうして死ねよう。

 それゆえ、私はこれから、死ぬのではない。

 入定する。定(じょう)に入る。息を、あの、いちばん深い静けさのなかへ、ゆっくりと沈めていく。そこは、生と死のわかれる、まだ手前(てまえ)の場所である。板子の上で、荒れる海の上で、私が最初に阿を聞いた、あの場所である。

 弥勒菩薩は、いま兜率天(とそつてん)にあって、この地へ降る時を待っておられる。五十六億七千万年ののち、と経は言う。気の遠くなるような、途方もない歳月だ。

 私は、そこまで待つつもりでいる。

 この身を、定に沈めたまま、朽ちさせずに、弥勒のおいでを待つ。都合のよい作り話だと、後世の者は笑うかもしれぬ。よい、笑え。ただ――五十六億年を待とうと本気で肚をくくった者の背中を、一度でも見た者は、笑いながら、どこかで襟を正すであろう。それでよい。

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三月二十一日 寅の刻


 まだ、夜は明けきらぬ。

 東の峰の際(きわ)が、わずかに白(しら)みはじめた。高野の八葉(はちよう)の花びらの、その一枚の向こうから、光が来る。あまねく照らす光。遍照(へんじょう)の、そのもとの、日輪(にちりん)の光である。

 息が、細くなる。

 あれほど断ちがたかった一切のものが、いま、するすると手を離れていく。讃岐の海の光も、長安の塔の影も、恵果和尚の笑みも、弟子たちの泣き顔も。惜しくはない。すべては、この一つの息のなかに、もとから畳まれていたものだ。手放すのではない。もとの場所へ、還すのだ。

 口を、わずかにひらく。

 最後に、ひとつ、音がこぼれる。

 ――阿(あ)。

 あらゆる声の母であり、あらゆる音の、生まれる前の音。私が板子の上で聞いた、あの一字。それが、いま、私の口から出て、朝の大気のなかへ、静かにほどけていく。

 息の終わりは、音の終わりであり、音の終わりは、静けさである。だがその静けさは、無ではない。それは、次のひとつの阿が、いままさに生まれ出ようとしている、満ち満ちた沈黙だ。

 弟子たちが、堂の外に、そっと膳を据える気配がする。飯を、供えているのだ。私が食を断ったこの身に、なお、朝夕の膳を運ぼうというのか。愚かな、といって、私は微(かす)かに笑う。

 ――運べ。

 五十六億七千万年、運びつづけよ。私はここにいる。定のなかに、息を沈めて、ここにいる。汝らが膳を据えるたびに、私はその湯気の温みで、まだこの山にいることを、思い出そう。

 光が、峰を越えた。

 阿が、還る。

 もとの、生まれる前の、静けさへ。

(了)

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