三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい
一
三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい。
幕末の長州、高杉晋作の作と伝えられる都々逸である。情念のスケールが尋常ではない。世界中の烏を殺してでも、お前と朝までゆっくり寝ていたい、というのである。
しかし、なぜ烏なのか。なぜ「三千世界」なのか。そして、なぜ烏を殺すと朝寝ができるのか。
この十四音のなかには、千三百年の時間が折り畳まれている。仏教の宇宙論、唐代長安の艶笑譚、熊野権現の神使、江戸吉原の起請文、そして幕末の遊里の灯——それらが一首の都々逸のなかで、ひとつの結晶になっている。
順に解いてみたい。
二
まず「三千世界」である。
これは仏教用語で、正しくは三千大千世界という。須弥山を中心とする一個の宇宙——これが我々の世界——を「小世界」と呼び、それが千個集まったものを小千世界、小千世界が千個で中千世界、中千世界が千個で大千世界となる。千の三乗、すなわち十億の宇宙が一仏の教化する領域、それが三千大千世界である。
途方もない話だが、古代インドの宇宙観はこの規模で組み立てられていた。大乗仏典のなかで頻繁に登場し、漢訳されて中国に渡り、日本にも入った。空海や最澄が学んだ世界観の根幹にもこの数字が横たわっている。
ところが、都々逸の作者は、この壮大な仏教宇宙論を、まったく違う用途に転用した。
「世界中の」という強調語にしてしまったのである。
仏が十億の宇宙を教化する——その荘厳なスケールを、烏を殺す規模に流用する。冒涜と言えば冒涜だが、それを言うなら和歌や俳諧の本歌取りはみな冒涜である。むしろ、仏教の語彙が市井の恋情の表現にまで降りてきたという事実こそが、この国の宗教受容のかたちを語っている。
三
次に、烏の文学的系譜である。
朝に鳴く鳥が、共寝する男女を引き裂く——この発想は、日本の和歌の伝統では「後朝(きぬぎぬ)」の情景として古くから定着していた。逢瀬の翌朝、男が女のもとを去らねばならぬ刻限を告げるのが、鶏であり、烏である。
このモチーフを日本にもたらした書物のひとつが、唐の張鷟、字を文成という人物の書いた『遊仙窟』であった、と言われる。
『遊仙窟』は、奇妙な運命を辿った本である。中国の伝奇小説で、唐の張鷟(文成)作。勅命で旅行中の張文成が谷間の仙界に至り、催十娘と王五嫂の二仙女に歓待を受けて一夜を共にした話。にもかかわらず、日本には八世紀初頭に伝来し、万葉歌人たちに愛読されて、歌作に利用された。中国本土では失われ、日本でだけ生き延びた佚存書である。
聖徳太子の遣使から百年と経たぬ時代、奈良の役人たちはこの本を熱心に書き写していた。当時の日本に「恋愛を文学にする」という様式そのものが、まだ十分に根づいていなかったからだ。後朝の別れ、贈答の詩、未練の表現——これらの作法が、万葉から平安へと流れる感性の鋳型になっていく。
しかし、この都々逸の烏には、もうひとつ別の血が流れている。
それは、仏教でも中国詩でもなく——熊野権現の烏である。
四
紀伊の熊野三山が頒布する護符に、熊野牛王宝印というものがある。俗に「おからすさん」と呼ばれる、和紙に烏文字で「熊野山宝印」「那智瀧宝印」と摺り出された一枚物の御札である。本宮の熊野牛王神符は、八十八の烏が見事にデザインされ、木版で手刷されたものを熊野宝印と認めている。
この護符が、中世のある時期から、起請文——神仏への誓約書——の料紙として使われるようになった。
ロジックはこうである。牛王符の裏面に起請文を書く。こうすると誓約の内容を熊野権現に対して誓ったことになり、誓約を破ると熊野権現の使いである烏が一羽(一説に三羽)死に、約束を破った本人も血を吐いて死に、地獄に落ちると信じられた。起請文としての牛王符を「熊野誓紙」と言った。
誓いを破れば、熊野で烏が死ぬ。
これが日本の起請文化の根底にあった信仰である。江戸時代、赤穂浪士が討ち入りを前に熊野牛王符に誓約したとされる。武士の連判状、戦国大名の同盟、関ヶ原前夜の徳川家康への誓詞——いずれも、烏の命と人の魂を抵当に入れた契約であった。
ところが、この厳粛な誓約様式が、江戸時代に意外な場所で乱発されることになる。
吉原である。
遊女が客との間で熊野誓紙を取り交わし、擬似的な結婚をすることも流行した。もっとも、客をたくさん取るために誓紙を乱発した遊女もいた。「年季が明けたら、必ずあなたと夫婦になります」——そう書かれた起請文を、ひとりの遊女が何人もの客に渡す。
すべて反故になる前提の、嘘の誓約である。
その嘘の数だけ、熊野では烏が死んでいく——理屈の上では。
五
ここでようやく、あの都々逸の意味が立ち上がってくる。
三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい。
これは、ただ朝寝の邪魔者を排除したいという歌ではない。
世界中の起請文を、すべて破棄したい。熊野権現に誓ったあの男との約束も、別の男との約束も、もうひとりの男との約束も、ぜんぶ反故にしたい。烏が三千世界で死に絶えても構わない。ただ、本当に好きなあなたとだけ、朝までゆっくり寝ていたい——
そう読むとき、語り手は実は遊女である。
起請文を乱発しているのは遊女の側だからである。客がひとりに起請するのは普通だが、三千世界の烏を殺すほどの誓約の量を抱えているのは、複数の客に誓紙を渡してきた遊女に他ならない。
古典落語『三枚起請』は、まさにこの構造を笑いにしている。ひとりの遊女が三人の客に同じ文面の起請を渡し、それが露見して大騒動になる。高杉晋作の作とされるこの都々逸は、熊野牛王符にまつわる伝説を念頭に作られたとされ、『三枚起請』の落ちもこれを踏まえている。
つまりこの都々逸は、廓の女の歌なのだ。
高杉が詠んだとしても、彼は遊女の心になりきって詠んだことになる。
六
時代は幕末——。
高杉晋作が、京の遊里か、長崎の丸山か、どこかの花街で、この一首を聞き、あるいは詠んだとされる。高杉作という説は有名だが、久坂玄瑞説、桂小五郎説もある。立場は遊廓の客であるため、いずれの説とも矛盾しない。
確証はない。
ないのだが、高杉作と伝えられたところに、この国の語りの妙がある。奇兵隊を組織し、藩を覆し、二十九歳で死んだ男——その短命と豪胆さのなかに、「三千世界の烏を殺し」という誇大妄想的な情念は、しっくり収まる。司馬遼太郎が『世に棲む日日』でこの都々逸を高杉に詠ませたとき、伝承はほぼ歴史的事実のように定着した。
しかし本来、これは遊女の歌である。
そして高杉は、遊女の歌を自分のものとして詠める男だった——という伝承自体が、彼の人物像を語っている。
七
もう一度、十四音を見直してみる。
三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい。
「三千世界」は古代インドの宇宙論。「烏」は唐代伝奇から流れた後朝の意匠であり、同時に熊野権現の神使である。「殺し」は起請文の破棄を意味する。「主」は江戸遊里の廓言葉。「朝寝」は古今を貫く恋人の願望。
これらが、幕末長州の青年志士の口を借りて——あるいは、その名を借りて——一首になった。
千三百年前、奈良の写経生が『遊仙窟』を書き写していたとき、彼は自分の写した一冊が、長州の青年に詠まれる都々逸の遠い源流になるとは思わなかっただろう。鎌倉の山伏が熊野牛王を頒布していたとき、その護符がやがて吉原の遊女の嘘の誓いに使われるとは想像しなかっただろう。
文化とはそういうものである。聖と俗、宇宙と寝床、神使と廓の烏のあいだに引かれた線は、思いのほか細く、ときに消える。
烏は今朝も鳴いている。熊野のどこかで、起請を破られた一羽が、今もひっそりと死んでいる。十億の宇宙のうちのひとつ、須弥山の麓のそのまた小さな島国で——人は今日も、叶わぬ誓いを胸に、誰かの名を呼んでいる。
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