たったひとつの冴えないやりかた
先日、諸々の話がまとまって離婚届を提出し、約20年ぶりに独身に戻りました。この間、子育てをはじめとして、独りではできなかったであろう様々な経験をさせてもらいました。共に時間を過ごしてくれた元配偶者には感謝しかなく、彼女の今後の人生に幸多からんことを祈ります。
かつてポール・サイモンは(正確には彼が書いた曲の中に登場する女性は)、「恋人と別れるには50もの方法がある」と歌いましたが、配偶者と別れる方法はたったひとつ(それも結構冴えないやりかた)しかなくて、2025年の今でも紙ベースで役所に届を出さねばなりません。緑色の枠線と文字で印刷された離婚届には、ちょうど婚姻届と同じように証人2人の署名欄があります。そこでしばらく前に、大切な友人たちに声をかけて署名してもらうことにしました。
サークル活動、就職、結婚、子育て、海外赴任、転職など、それぞれが様々な人生の岐路を経て今があります。お互いの大きな転機には集まって話を聞き、祝福したり励ましたりしながらやってきました。このうち1人は婚姻届にも証人として署名してもらったので、最初と最後を見届けてもらう形になりました。どんなに忙しくても、こんな時にさっと集まって話を聞いてくれる友人たちにも感謝しかありません。
それにしても、こんなペラペラの紙切れを役所に提出するだけで、20年間の婚姻生活が終了してしまう。物理的な軽さと実質的な重みの圧倒的なギャップを感じながら窓口に提出し、そしてごく自然に受理されました。紙切れ1枚で人は誰かと家族になり、その時点では十分に想像し得ないほどの義務と責任を背負い込む。そのまま寿命を全うする者たちもいれば、自分のようにある時点で関係を清算して財産を移転し、再び自由で孤独な世界に戻る道を選ぶ者もいる。
「さあ、孤独な旅路をまた一人で歩きだすぜ」とかつてデヴィッド・カヴァーデイルは「Here I Go Again」で決意を込めて歌い上げました。根っからの独り者である自身の性格を強く認識した上で、「これ以上時間を無駄にはしない」と力強く宣言しながら。全く同じ気持ちです。元配偶者への感謝を忘れることはありませんが、ここからは自分の人生。何を選択し、どのような結果になろうとも、すべて自分が責任やリスクを引き受ける。それが自由の代償というものでしょう。
帰宅後、20年間大切に使ってきた白い磁器のマグカップでひとまずコーヒーを飲みました。ウェッジウッドのフェスティヴィティというシリーズで、自分のキッチンには不釣り合いなほど由緒正しい品。ご想像のとおり、結婚当時の職場の先輩からお祝いとしていただいたもので、毎日使ってきたお気に入りです。それが、飲み終わって洗っているときにまるで漫画のようにポン!と手から飛び出したのです。カップは美しい放物線を描いてキッチンの床に着地し、見事なまでに粉々に砕け散りました。文字どおり「あっ」と声を上げる暇もなく。
こんなこと20年間一度もなかったのに、離婚届を出した途端に発生した出来事には思わず苦笑するしかありませんでした。ワレモノを片付けながら口をついて出たのはいつもの口癖。「形あるものは、いつか必ず壊れる」。今日はそれにもうひとつ追加。「形ないものも、時と場合によっては壊れる」。大切なのはいつだって「その後どうするか」。
えっ、どうするかって?
形あるものの方は、取り急ぎ新しいマグカップを買ってきました。身の丈に合った百均の商品で、サイズといいデザインといい、早くも気に入り始めています。形ないものの方は… もう少しゆっくり考えることにしましょう。
