大富神社(宗像八幡宮)
「豊前国」とは、律令制下の日本における旧国の一つで、現在の行政区分では主に福岡県東部(京築地域)および大分県北西部(中津市・宇佐市周辺)に相当する。北は周防灘に面し、瀬戸内海交通の要衝として古代から重要な役割を担ったという。
国名はもと「豊国」を前後に分割したことに由来し、南の豊後国と対をなす。古代には宇佐八幡宮を中心とする宗教的・政治的拠点が形成され、特に宇佐神宮は国家祭祀とも深く関わったことが知られている。また、山陽道の西端に位置し、九州と本州を結ぶ交通・軍事上の結節点としても機能した。中世以降も港湾と内陸交通を背景に地域的拠点性を維持したが、近世の藩制下では小倉藩・中津藩などに分割統治された。
現在の豊前市にある大富神社(宗像八幡宮)は、古代の豊前国における有力神社の一つとされる。祭神は宗像三女神(田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命)および八幡神(応神天皇、仲哀天皇、神功皇后)とされ、これは海上交通の守護神としての宗像信仰と、国家的守護神としての八幡信仰との重層的な習合がみとめられる。
宗像三女神は本来、北九州から瀬戸内海にかけての航海安全を司る神格であり、古代における対外交通・物流の発展とともに信仰圏を拡大した。一方、八幡神は宇佐神宮を中心に国家祭祀へと組み込まれ、特に奈良時代以降は王権守護の性格を強めた。大富神社はこの両信仰の接点に位置し、豊前国における宗教的中心の一翼を担ったと考えられる。
大富神社は宗像信仰と八幡信仰の習合を背景とし、古代から近世に至るまで、交通・政治・宗教の結節点としての性格を保持した神社ということである。
先日、大富神社を訪れてみた。大きな一の鳥居の前を通るたび、参詣の日を待っていたのだ。
大富神社(宗像八幡宮)には先述した八幡神、宗像三女神のほか、表筒男命・中筒男命・底筒男命の住吉大神、および斎主神の10柱の神々が祀られている。ひっそりとした境内であったが、歴史的背景などをみるといろいろと興味深い。この地域のこととあわせて、くわしく調べてみたいとおもいつつ、それはちょっと先のことになりそうである。
[ギャラリー] 撮影機材:RX-100m3












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