【掌編】アスリートの足
水虫は英語でアスリートの足(athlete's foot)と言う。水虫とは症状の名前でありその原因菌は白癬菌である。COVID-19が病名でSARS-CoV-2ウイルスが病原体であるのような関係。
俺が餓鬼だった頃、父ちゃんは座布団に胡坐をかいて卓袱台で酒を啜っていたかと思えば、途端にアスリートの足を伸ばし畳に両手をついて突進してくるという最低な技を繰り出してきた。
「水虫感染しちゃうぞ攻撃」
何のひねりもないその技名に、餓鬼の頃の俺はキャッキャと逃げ回った。
「やめなさい」
母ちゃんは眉をひそめながら、顔を赤くした父ちゃんと阿呆な息子に溜息をついた。
今思えば本当にやめてもらいたかった。何故、幼少の息子というものはあんなにも寛大で阿呆なのであろう。俺も自分に息子ができたら「水虫感染しちゃうぞ攻撃」をするのだろうか。しかし、我が家の食卓はフローリングでダイニングテーブルに椅子だ。思えば座布団というものが一枚も無い。「水虫感染しちゃうぞ攻撃」は、尻を座布団に乗せてアスリートの足を戦車の主砲さながらに突き出す。そして、両手と一本の足で這いまわることによって機動性を確保するオフェンスだ。
もう一度言うが、今思えば本当にやめてもらいたかった。あんなものは生物兵器と言っても過言ではない。俺の足には親父から受け継がれたと思われる白癬菌が巣くっている。
発症しはじめたころ、それは夏の間だけ薬指と小指の間を水虫にした。ピロエース軟膏でなんとか沈めたが、やつは再び現れる。秋が深まると根絶したように思われたが、なんと角質に潜んで越冬するという。痒みがなくなれば治療なんてやめるじゃない。そして、翌年の梅雨、じめじめシーズンにやつらは再び活動をはじめる。
だのに、なぜ、昨今においては真冬における活動も深刻化している。
2015年、COP21で採択されたパリ協定では、2020年以降の地球温暖化対策に関する国際的な枠組みが示された。世界の平均気温上昇を産業革命前と比較して「2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える」努力を追求し、今世紀後半の脱炭素(実質ゼロ)を目指すとされた。
そんな消極的な目標ではとてもやつらに太刀打ちできない。俺たちの足は疾うにティッピングポイントを迎えていた。
緊急で国連軍縮委員会会議が開催される。生物兵器禁止条約(BWC)に、世界中の父ちゃんによる「水虫感染しちゃうぞ攻撃」を禁止する文書が盛り込まれた。
それはまったく手遅れだった。高次消費者と考えられていた我々は生きながらも足指の間から分解が進んでいく。
「痒いいよ」
生物のエコシステムとは実によくできたものだ。革靴の中で足を蒸らしたビジネスマンたちは次々と崩れ落ち、経済活動は停滞、世界平均気温の上昇はようやく頭打ちとなった。
