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新緑と青の吉野 奈良県

桜のシーズンはもう終わり…

吉野と言えば、桜🌸だけれども、きっとすごい人混みを覚悟しなければならないよなぁ~、でもせっかく行くならやはり、四月かなぁ~、でも泊まる処も満杯だしなぁ~、と諸々迷っているうちに、四月も半ばを過ぎ、あっという間に桜の見頃は終わってしまった。でも私の尊敬する方が「あそこは、本当に何かある。すごいパワースポット、だから秀吉が大茶会を開いたんだ。」と熱っぽくおっしゃるものですから、やはり行ってみるか、と。
実は、子供の頃だったか、社会人になってすぐの頃か、一度、吉野を訪ねた記憶があるのだけれど、いつのことだったか、誰と行ったか、ほとんど覚えていないのだ。それは私にしては珍しいことで、うっすらとした記憶を辿ると、ぎりぎり桜の咲いている時で、それは美しいと感じた気がするのだが、訪れた寺社がいずれも固く門を閉ざしていて、「な~んだ、つまらない」と思ったような気がする。まだ今ほど神社仏閣に興味があったわけでもないのに、桜よりも神仏に拒まれて拗ねたような心持ちだった記憶が、わずかながら残っている。
そこで、今回は、特別御開帳がある金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王権現(ざおうごんげん)様に、しっかりとお目に掛かろう、との目的を持って、吉野を訪ねてみることにした。

金峯山寺ホームページより   チラシ画像を転載

2004年の世界遺産登録、2010年の平城遷都1300年祭記念の
秘仏公開以降、わりと頻繁にご本尊のご開帳が行われるようになった様子。
また現在は、国宝・仁王門の大修理勧進という目的で、2022年(令和4年)からは、春と秋に特別御開帳が定期的に行われている。
私がかつて訪問したのは、明らかその時期よりも前のことで、ガラリと雰囲気も変わったのだと思う。
役行者(えんのぎょうじゃ)が、敢えて釈迦如来に「民衆を怖れ慄かせる憤怒(ふんぬ)の形相で現れて下さい」と願って感得したお姿を桜の木に彫り本尊とした、と言われる蔵王権現。今のこの世が、役行者の時代と同じく乱れているから、そのお姿を民衆の前に現すのだ、という説もある…。
スピリチュアル好きの私的には、役行者のような神仏のパワーを感応できる人物が増えてきて、いよいよ人間界もレベルアップする、ということかと思いたい。
それはさておき、せっかくのこの機会に、できれば法要に参加してしっかりと拝ませて頂きたいな、と調べてみると、宿泊者限定の夜の拝観、というのがある。ところが、その日程は限られており、私のスケジュールと合わない。一方で、朝の勤行会には、誰でも参加できる、とのことだ。想像するに、夜、憤怒の権現さまに会うより、朝の方が気持ちよさそう。宿泊する宿を探して、朝の勤行に参加可能か、確かめてみる。幸い、もと宿坊だという宿に予約を取ることができた。宿を調べていると、桜の時期だけしかやっていない、という宿や飲食店も結構多くて驚いた。本当に桜のシーズンは、吉野にとって特別なんだなぁ~!

乗ってみたかった【青の交響曲(シンフォニー)】

近鉄の列車とも、どこを走っている列車かも知らずに【青のシンフォニー】という名前とポスター写真だけ印象に残っており、この度、吉野へ向かう特急列車だと分かって、いそいそと申し込む。きっと一番の桜シーズンには、予約が取れなかっただろう。シーズン後の平日にも拘わらず、ほぼ満席に近く、残っている座席を大急ぎで押さえた。
始発の大阪阿部野橋から吉野まで、全線乗っても1時間あまり。普通の特急列車でもそんなに違わないかも…と思いながら予約したが、いえいえ、その豪華さに大満足!

大阪阿部野橋駅から発車するのは、一日2便

日頃、大阪には馴染みが薄いため、この《大阪阿部野橋駅》というのが私にはいつも分かりづらい。JRや地下鉄だと《天王寺駅》になるし、漢字表記も、大阪市の地区名としては、阿野区なのに、近鉄電車の駅名は阿野橋(ネットで確認しつつ)……あれ、大阪メトロ谷町線には、天王寺の隣に阿野駅がある!? ややこしや~(^_^;)
平日朝の通勤ラッシュに閉口しながら、天王寺駅から歩いてすぐの大阪阿部野橋駅に到着。上の写真でも分かる通り、こちらの特急のホームには、人影はまばら。発車時刻が近づくにつれ、【青のシンフォニー】の乗客が私と同じように写真を撮ろうとやって来るぐらい。乗ってみて分かったのだが、3両編成のうち、1両はラウンジになっており、他の2両の座席もゆったりとした配置になっているため、極端に席数は少ない。予約が取りにくいはずだわ…。(行きが良かったので、帰りも取ろうと思ったが既に満席💦)

ゆったりとした寛ぎのシート
ツイン席、シングル席もあるがいずれも空間にゆとりのある設計
座席車両とは別に、売店カウンター横には贅沢なラウンジの設えも

せっかくなので、このラウンジ席にも座ってみたくて売店カウンターのメニューを覗く。ショーケースには、美味しそうなショートケーキがズラリと並んでいたが、地場産のものを、と《西吉野の柿スイーツセット》を戴く。
オリジナル商品もいろいろあって、【ブルーシンフォニー】というサイダー、アルコールは【蒼き檸檬ハイボール】。《青》⇒《蒼》に漢字が変わるのも面白い。他にも【青のシンフォニー】ラベルのクラフトビールや、ボールペンやキーホルダーといった定番商品、オリジナルお猪口セットやご朱印帳、手漉き和紙なんてのもある。
その他、地場産のものでは吉野の地酒飲み比べ、ヤマトポークウインナーなどもあり、柿の葉寿司も置いていた。柿の葉寿司は、吉野に着いてから絶対に食べよう、と思っていたので、ここではガマン。お花見の時期なら、朝からひと足お先に酔い始めてしまう人も多いだろうな(笑)。
だんだんとラウンジが混んできたので、自席に退散。ゆったりとしたシートは座り心地が良く、もっと長い時間座っていたくなりそう。
時折、周辺の案内アナウンスが流れ、飛鳥駅を過ぎるといよいよ吉野線ならではの風景が広がっている。途中、駅名で「次は、むだ~、無駄~」と聞こえてきて、「へぇっ?」と聞き違いかと思ったら、《六田駅》でした(笑)
《壺阪山駅》と聞くと『壺阪霊験記』を思い出し、《福神(ふくがみ)駅》の駅名を見つけると、何かいい事がありそうで…退屈することなく、吉野駅まで快適に過ごした。

蔵王権現さま  お初にお目にかかります

吉野駅に着いて、ちょっとアテにしていたタクシー乗り場には、一台の車の影も形もなく、日本一旧いロープウェイに乗るか、下千本を愉しむハイキングコースの七曲りを歩くか…迷わずロープウェイの切符を買いました(笑)
ロープウェイを降りた先は、普通に舗装された道路で、気楽に散策できるが基本、山なので坂道が続いている。桜の見頃は終わったとは言え、まだ4月中。GWが終わるまでは、路線バスもマイカーも交通規制がかかっている。できるだけ歩きやすい服装で、荷物も少なくしたのだけれど、やっぱり坂道を上り下りするには、負担がかかる。実際に歩いてみないと距離感も不確かで、後になって、まず先に宿に荷物を置いてから歩くんだった、と後悔する羽目になった。
坂道を歩き始めてすぐ《黒門》をくぐる。金峯山寺の総門とのことで、修験道の行者ならずとも、ここからは聖域なんだな、と身を正す気持ちになる。道端には『史跡及名勝 吉野山』の石柱も。

下調べでこの企画を見つけて、挑戦してみようと思っていたので、早速参拝。
9つの寺院を巡り、記念の散華と御朱印が戴ける

このお寺は、真言宗・高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)を総本山とし、木造の阿弥陀如来立像がご本尊なのだが、残念ながらご本尊は、奈良国立博物館で開催中の【吉野・大峯特別展】にご出張中。代わりに虚空蔵菩薩坐像が特別公開されており、黄金色の扉が開かれた厨子の中の菩薩様を拝ませて頂く。この後もしばしば、「博物館での秘仏公開に出開帳されています」という場面に遭遇するが、今回、それは承知の上でこの地を訪れている。
普段私は、御朱印は集めていないので、最初に訪ねたこちらの【弘願寺】で《寺宝めぐり》専用の御朱印帳を戴いた。ご真言や経典が書かれている教本のような装丁で、各寺院の簡単な解説と、散華・御朱印を貼る頁が設けてあり、ちょうどいい具合だ。「よし、9寺院全部廻ってコンプリートするゾ」とこの時は意気込んだのだが…。

足取りも軽く、次なる金峯山寺を目指すと…あれ?
これは、どちらを歩けば良いのかな~??

重要文化財の金峯山寺《銅(かね)の鳥居》
俗説だが、元々は聖武天皇の東大寺建立の余銅で造られたとも云う
幾度も戦禍に合い、1711年に再興されたものだが、現存する最古の銅製鳥居だそう

この先は結局、同じ場所に出るのだが、ぶらぶら歩く観光客は、ほぼ皆、右側のなだらかな坂を上がって行く。
実は、ここからが世界遺産登録【紀伊山地の霊場と参詣道】になる。修験者は、ここで俗世を離れ、修業の道へ入る決意を固めるという。《発心門》としての役割があるとされているので、私を含め、観光気分の者は、右の道で良いのかもしれない(;^_^……が、まぁ、秘仏の権現さまに、会いに行くためのお清め、と思って、一礼して鳥居をくぐった。
葛料理のお店や柿の葉寿司、日帰り温泉などが並ぶ一本道をしばらく行くと突然、道の真正面が先が塞がれた。

想像以上にでっかい! 国宝の仁王門 
修理中で、門の左右に安置されている仁王像(金剛力士像)は、博物館に出張中

仁王門の文字が、"二"になっているのが気になりつつ、ここで進む道も二手に分かれている。案内板に、右は『国宝・蔵王堂まで 約100メートル(少し急な坂)』、左の道は『国宝・蔵王堂まで 約250メートル(ゆるやかな坂)』と書かれている。急ぐことも無いので、ゆるやか坂の方を選んで上がっていくと、こんな素晴らしい景色が目に飛び込んできた。

思わず、下って来る見知らぬおじさんに、
「桜が無くても充分綺麗ですよね!?」と声をかけてしまった

新緑の吉野山もいい気をたくさん発しているように思えて、思い切り深呼吸する。気分上々で坂を上り切った所が、金峯山寺・蔵王堂の入口だった。
《特別ご開帳》の立て看板もある。
数段の石段を上がると、広い前庭の向こうに、国宝の蔵王堂がでんと構える。

堂内の68本の柱は、すべて自然木を用いており、素材そのままの形を留めている
杉、桧、欅のほか、梨やツツジといった樹も使われていて、
自然の中に神が宿るという修験道の考えが窺える

金峯山寺の正確な創建年は不明だが、役行者が白鳳年間(7世紀)に開き、
平安時代には藤原道長が参詣した史実も残る。
現在の蔵王堂は、豊臣秀吉の晩年にあたる1592年に再建されたものと伝わっている。
受付で特別拝観料を納めると、「家内安全・諸願成就」の小さな木製のお札が戴けた。法被を着た案内の方が、「ここで靴をぬいでコレに入れて下さいね。袋はそのままお持ち帰りください」と言いながら、しっかりした布製の袋を渡して下さり、本堂に上がる。

この奥に、3体の金剛蔵王大権現さまが❣

見上げるようにして、写真で見た通りの青い権現様に手を合わす…でっかいなあ!! 右手の法具・三鈷杵(さんこしょ)を大きく振りかざし、片足を挙げた勢いのあるポーズで、こちらをしっかと見据えておいでだ。
でも、どこか愛らしい、というか柔らかな表情の印象を受けた。本地堂(ほんじどう)に入って、その理由が分かった。三体の蔵王権現は、釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩が元のお姿であり、日々の苦悩の中で囚われ、その教えを聞くことすらできない我々衆生(しゅじょう)の為に、憤怒の形相で役行者の前に現れた救いの神なのだ。蔵王堂のちょうど裏手に、真新しい本地堂があり、それらの本地仏が祀られている。過去・現在・未来の三世に渡って衆生を救ってくださるありがたい存在だ。
蔵王堂内は撮影禁止だったので、おぼろげな記憶だが、役行者=役小角(えんのおずぬ)の他、数々のご尊像が安置されており、秀吉をはじめ、多くの権力者たちが奉納した記録などが残されていた。明治政府の廃仏毀釈のせいで、廃寺となったお寺の本尊なども多数、ここに避難されているように見受けられる。一通り見て廻って、本堂の権現様の正面に戻って来た時、ちょうど団体向けにご祈祷と、ご法話があり、ちゃっかり後ろで一緒に聞いていた。恐らく五條良知管長猊下だったと思うが、お話の中で「権現様の【青】は、慈悲の色」とおっしゃっていて、なるほど、と腑に落ちた感じ。この団体さんが、宮崎から来られた方々で、「神始まりの地、日向からようこそ」とおっしゃったのも、ちょうど先月、宮崎を旅してきた私には、ご縁を感じて嬉しかった。

脳天大神龍王院 行きはよいよい、帰りは…

蔵王堂の境内には、他に観音堂、愛染堂、天満宮などがあり、ご挨拶して回った後、ふと階段下に矢印をして『脳天大神龍王院』と書かれた案内板があるのを見つけた。下調べでは「ちょっと遠そうだな」と思っていたのだが、散策MAPによると《徒歩15分》らしい。それなら行けるかな、と思って、ひとまず目の前の階段を下りた。階段下には、絵馬堂や不動窟、南朝妙法殿(吉野皇居跡)があり、美しい新緑の中に、京都の花山院から密かに逃れ、隠れ住んでおられた後醍醐天皇の往時が偲ばれる。その先の仏舎利宝殿には、インドのガンジー首相(当時)から譲り受けたご真骨が奉安されていると知って、びっくり。訪ねる人は少なそうだったが、上がらせて頂いてありがたく手を合わせた。そこから階段を少し下ると…

開祖・役行者の像

そこから更に階段は続く。行こか戻ろか、迷いつつ…

いったいどこまで続いているんだ…

先が見えずとも、途中で引き返すのもためらわれ、結局最後まで下り切って脳天大神(のうてんおおかみ)龍王院に着いた。
首から上の守り神、というので、頭の病気、ボケ防止にご利益がありそうな気がして頑張って来てみたのだが、若い受験生のグループがいて、なるほど、学業の神様でもあるのだな。周りはシンとした山深い場所で気が良く、来られて良かったな…と思った。
のも束の間、帰りの上りの階段はヒジョーに辛かった。途中に休める東屋もあって腰を下ろしたが、杉林の中、虫さんも多くてあまり長くは座ってられない。先ほどの若者グループが「きっつ~」とかワイワイ言いながら、早々と私を追い抜いていく。休み休み、30分以上かかってどうにか蔵王堂まで戻って来られて、ほっ。
後から気付いたのだが、散策MAPには、《445段 下り階段》の文字が。《下り》は、帰りに《上り》になると、分かっているはずなのに見落として下って行ってしまったなぁ…うん、よく頑張った!

足腰が疲れ果てて、早く宿でお湯に浸かりたい一心だったのに、寺宝めぐりが、まだ2つしか回れていないのも悔しくて、途中、吉水神社にも立ち寄る。あ、でもここは寺宝めぐりの中には入ってなかった(;^_^A
源義経と静御前が追手から逃れて最期の時を過ごした《潜居(せんきょ)の間》、後醍醐天皇の《玉座の間》などが残る書院は、日本最古の書院建築として、世界遺産登録もされている。書院には、後醍醐天皇のご愛用品とされる笙や琵琶、硯、また太閤秀吉が大茶会で使用した金屏風や壺などの調度品
が、今も大切に保存されている。もとは【吉水院】という名の寺院だったが、明治政府の神仏分離令により、【吉水神社】に改められた、とのこと。
変遷する歴史の中で、それでもなお次世代に残そうとした吉野の先人たちの想いが伝わる。

太閤秀吉が徳川家康、伊達政宗など錚々たる武将を引き連れて
盛大に花見の宴を開いた時、この吉水院が本陣宿坊とされ、
5日間にわたり、歌会、茶会、お能などが催されたと記録に残る。

秀吉がここからの眺めを「一目で千本見える絶景じゃ」と絶賛したことから
下千本・中千本・上千本という呼称が生まれたが、実際には吉野山にはおよそ三万本の桜があるらしい。秀吉が詠んだ『年月を 心にかけし吉野山 花の盛りを 今日見つるかな』という歌も残っている。
新緑の清々しい景色を眺めつつ、これが満開の桜だったら…と想像しながら目を楽しませた。

奥千本には、行けるのか?

もう桜は終わり、と分かっていて訪れたのだが、欲どおしいことに、「ひょっとして、奥千本まで上がれば、少しは山桜が残っているのかも…」という気もあって、奥千本への行き方を地元の方に訊ねてみた。すると、案外簡単そうに、「行きはバスがあるから、それに乗って上まで行って、歩いて下りてくればいい」とのお返事。中には、しっかりとハイキングの服装・装備で来られている人も見受けられるので、「こんな恰好でも大丈夫かなぁ?」と不安そうにしていると、「下りは全然大丈夫ですよ」と。昨日の脳天大神の階段にやられた足腰は、温泉で随分癒されたものの、まだ疲れは残っている…。
迷いつつ、蔵王堂での朝に勤行に参加して、しっかりと宿の美味しい朝ご飯を頂いて、「よし!」と思って奥千本行きのバス停を目指した。
バスの発車時刻よりも20分ほど早く着いてしまったので、寺宝めぐりのご朱印集めに、すぐ近くの【櫻本坊(さくらもとぼう)】に立ち寄る。本堂をお詣りすると、こんなものが目に留まった。

おお~、これはまさに今、私が欲しているお力だ~❣

まだ朝早い時間にも拘わらず、社務所にいらっしゃるお坊さんが、その場で直筆のご朱印を書いて下さった。

これで大丈夫、と元気百倍!!になってバス停に戻る。乗客は私一人で、とても親切な運転手さんが「吉野に来たい、と思ってくれるのが嬉しい」とお喋りして下さり、「本当の奥千本は、西行庵からの眺めだから」と勧めてくれた。【西行庵(さいぎょうあん)】は、奥千本の入口に当たる【金峯神社】から、さらに山の奥へ登った場所に在る。宿の人は、「勇気があったら、西行庵まで行ってみると良いですよ」とおっしゃっていたので、私にはちょっとハードル高いかな、と思っていたのだが。
奥千本のバス停に着くと、目の前に金峯神社の大きな石の鳥居が。【修行門】と大きく掲げられている。ここから先は、吉野山から大峯山に続く《大峯奥駆道(おおみねおくがけみち)》になるのだ。役行者の修行の足跡をたどる大峯奥駆修行は、未だ女人禁制の厳しい行場で、修験道の真髄である。
運転手さんの話では、昔に比べると、今はかなり先まで女性も入山できるようになっているらしい。その入口に立てただけでも、ありがたいことだ、と思いつつ、神社の本殿に向かう急な坂を上って行く。
うぐいすの谷渡りも聞こえる絶景の中、ふうふう言いながら5分ほど登るとようやくご本殿が見えた。

金峯山の地主の神・金山彦命(かなやまひこのみこと)を祀る 

参拝していたら、小さな子供と赤ちゃん連れのご家族が上がって来られてびっくり。あんな小さな子が、ここまで登って来たのか、というのと、おじいさんと思しき方が、赤ちゃんを抱っこしておられたのだ。え…どこから?と不思議に思って見ていたら、この社殿の左脇の道を少し下ると、源義経が身を隠したという《隠れ塔》があり、さらに下ると駐車場があった。地元の道をよく知っているご家族だったのだろう。必死で上がって来た身としては、少し拍子抜けの感(^_^;)

そして、反対に社殿の右脇の道をさらに登ると、【西行庵】に続くと標識がある。時々、ぽつりぽつりと、大きな登山リュックを背負った人が、そちらへ登って行く。いかにもそちらの道は、登山道で、修行者が通る道、という風情だ。散策気分の私ごときが行く道では無い、と思ったり、運転手さんの話で【西行庵】までは普通に20~30分で歩けるようだし、今は女性も許されているのだから行ってみたい、という気持ちとの狭間で揺れ動いていると、こんな貼り紙が!?

東屋の閉まっているシャッターに
いつ貼られたものだろう…💦

ク、クマ~!? 怖い怖い、もう引き返そう~と思ったら、今しがた上がって来られた参拝客のお顔に見覚えが。朝の勤行の時、隣に座っておられた女性で、年齢も近そうで、お一人で来られているご様子。もし、あの人が西行庵の方へ向かわれるなら、「ご一緒させてください」と声をかけてみようと待機。ところが、参拝を済ませて、踵を返してお帰りに…残念。やっぱり私も引き返そう、と思ったその時に、軽トラに乗って作業服を着たおっちゃんが現れ、側に居た男性の登山者と話し始めた。彼は3泊しながら奥駆道を熊野まで向かうらしい。クマは出ないんだろうか、と心配しながら聞き耳を立てている私にも声をかけてきてくれたので、貼り紙を指して、西行庵まで行こうか、迷っている、と話した。おっちゃんは、「あぁ、青根ケ峯で出たらしいな。まあ、行って来たらええやん、西行庵までぐらいなら、どうってことないやろう、ワシらも今から作業するけどその辺りまでは普通に行くし、あの兄ちゃんに付いて行ったらええがな」と笑う。なんだかビビっている自分が、少し恥ずかしくて、とりあえず件の兄ちゃん(さっきの登山者)の後を追う。おっちゃんたちも近くにいるなら、安心かも、と思ったのもある。歩きつつ、何か音の出るもの、鈴とか持っていないか、カバンの中を探ってみるが何もない。いろんな意味でドキドキしつつ、前を行く大きなリュックを追いかけるが、どんどん距離は離れていく。
ふと「クマに会うのが怖い、というのは、私はまだ死にたくない、ということなのかな?」と考える。「それとも、単に痛い思いをするのが嫌なだけかな。怖い、というのはどこから来る想いだろう?」などと考えを巡らせる。「いずれにせよ、もしクマに襲われて怪我でもしたら、家族に迷惑がかかるよな…。気を付けよ。」
あれやこれやと堂々巡りの自問自答を繰り返しながら、山道を頑張って歩いている内に【西行庵】に無事、着いた。達成感と共に、私より先に到着し、ひと休みして出発する登山者の兄ちゃんの後ろ姿に感謝した。
トップの写真が、その【西行庵】である。
本当に新緑が美しく映え、山の奥深くにポツンとある庵で、そこで幾日も過ごすのは、自分自身と対峙することに他ならないな、と感じた。

【西行庵】にまで行けた、ということが自信になり、そこから金峯神社へと戻る道は、明るい心持ちで愉しめた。熊野を目指す登山者の彼は、向かう道が異なるらしく、もう姿が見えない。たった一人になったが、最前のような不安感はもう無い。殊に【四方正面堂跡】から眺める奥千本の景色は素晴らしく、大峯山まで、天狗のように飛んでいけそうな気分になった(笑)

地元の方々に教わった通り、帰りは下り道なので、ずいぶんと楽に歩ける。
運転手さんのお薦め通りに、途中、髙城山展望台、花矢倉展望台に立ち寄って景色を堪能しながら、上千本の道を下って行く。

花矢倉展望台からの眺め 見えている辺りは、中千本にあたる
蔵王堂への参道にたくさんのお店が軒を連ねている

花矢倉展望台では、ちょうどお昼時になり、私と同年代の女性グループが、緋毛氈を敷いた床几に腰掛けて、おにぎりを頬張りながら「いい眺めねぇ、ホントに気持ちがいい」とはしゃいでいた。楽しそうで、ちょっぴり羨ましい。
一人で旅することの多い私だが、人と出かけるのが嫌いな訳ではない。ただ、家族も友人も皆、それぞれに忙しく、予定を合わせるのが面倒なだけだ。「次に来る時は、誰かと一緒でもいいな…」と思ったりする。吉野の山道を歩くと、自然と自分に向き合うようになるみたいだ。

そして、驚いたのは、こんな山奥で、知り合いにばったり出会ったこと。上千本の道中、吉野水分(みくまり)神社に立ち寄って参拝した時、ちょうど入れ違いに鳥居をくぐって入られた方が、何度か合宿のセミナーでご一緒させて頂いたことがあり、とても印象に残っていた女性。お互いに、「何でここで出会う!?」とびっくり😲 彼女は東京から車で来られていて、ご主人とご一緒だった。きっと前世のどこかで、深いご縁のあったお人なんだろうな、と思い、なんだか嬉しくなる。

寺宝巡りは、結局…

朝、バスで出発した辺りまで下りてきて、寺宝巡りを満願させたいと思ったが、やはり私の足では地図に書かれているよりも時間がかかり、遅いお昼になってしまったが、とにかく空腹を満たす。
【喜蔵院(きぞういん)】では、大天狗立像を拝し、【竹林院(ちくりんいん)】の庭園を愉しみ、ご朱印を頂いた。朝、立ち寄った櫻本坊の《宝聚堂(寺宝殿)特別ご開帳中》というのが気になって、「奥千本まで行ってきました」とのご報告もかねて、再度、参拝に訪れた。拝観料を支払って奥へ入ると、広い講堂からは外の景色が良く見えて、天井には龍の絵図が掲げられ、迫力があった。
夕刻が近づいて、9つ全部を巡るのは諦めたが、すぐ近くのはずの【善福寺】が、なかなか見つからず、もう一度、地元の方に訊いて、ようやく辿り着いた。お優しそうな尼さんが、「ようこそお詣り」と声をかけて下さってあたたかい気持ちになった。
9つのうち、3つの寺院は伺い損ね、もう一度おいで、ということかなぁ~

旅の最後にお詣りした【善福寺】
中でちょうど修法されている女性の声が聞こえていた

閉店時間ギリギリに大慌てで柿の葉寿司を買い、帰りは、さくらライナーに乗ったが、これもなかなか快適だった。

金峯山寺のホームページを見ていて、奈良国立博物館で開催中の『吉野・大峯 特別展』に因んだ番組が、NHKで放送予定と知り、旅の後に見た。そこで初めて、今回訪ねた蔵王堂が【山下(さんげ)の蔵王堂】であり、大峯山寺に【山上(さんじょう)の蔵王堂】があると知った(遅い!?)。
女人禁制のお山から、千年の時を超える秘仏中の秘仏が、下山されている。吉野からご出張中だった神さま仏様も、数多く展示されている。絶対に行こう!! そうしてこそ、今回の旅も終わるのだと思う。

令和8年 4月の旅

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