まじめか!
組織の公平、公正を語ると必ずツッコミや怒号がとんでくるこのセリフ。
まじめか!
そして私は心の中でこう呟く。
無知か!
私は心の中でしか呟かない。
なぜなら、相手は自分が正しいと信じているから。
相手は口にして周囲を巻き込んで嘲笑する。
どちらも話し合いをするつもりがない。
なぜなら、相手は一方的な完結を理想とし、
こちらは、話し合いができない相手だと悟ったから。
ただ、第三者から見て、勝ち負けの思想に洗脳される人々は、嘲笑を受けた側を負けと判断する。
そこには根本的な、元来のルールや優先度はどこかへ消し去られて無いものと化される。
そこにあるのは、孤独を恐れた人々の恐れだけで紡がれた愛の枯渇した手と手が結び合うことで、見ず知らずの愛の枯渇した冷たい手に依存し、それを握りしめることで暖かさを妄想し、幸福を錯覚した考える力を持たない人間の奇妙なルーティン。
これが、話し合いのできない一連の流れである。
犠牲者が出たとき、その人に耳を傾けることで脱線した物事を公正に引き戻す作業。
これを全うするには、この奇妙なルーティンを打ち壊す覚悟が必要だ。
私は無感情で物事を見ることができるため、この役を自ら買うことが多いのだが、必ず言われるこのセリフに何度繰り返しても、やはりウンザリする。
未だ理解出来ないのか、と。
よくもそんな大声で自信満々で言えるな、と。
周囲もまるで鈍感だな、と。
視野の狭い妄想で作られた幸福。
幸福の度合いが低いのはその人の自由だが、犠牲者を踏み台にして得続ける存在は、まじめ以上に、煩わしくて弊害でしかない。
だけど私が声を大したところで、考える力を持たない人間には届かない。更に重ねて
本当まじめかよ!
うざいよ
と輪をかけるだけである。
勝ち気な妄想部族はこの時点で環境不適合である。
しかし世の現実は、真逆の現象が起きており、真逆の対象が薬を処方され、社会不適合者として扱われている現状がある。
雑草には除草剤を。
人間は、雑草に例えると薔薇園という名の花園には、薔薇一つなく、様々な種類の雑草が名ばかりの園を求めて住み着き、思い思いの根を張っているようなものである。
鳥や草花からしたら、きっと???と思い、近づかないように警戒するほどだろう。
まじめか!
言わせる瞬間すら、迎えてはならない。
最初から話が通じないのは、わかってた。
期待しないで。
その期待は、その先もずっと。
私は、脱線させられた人を尊重したいだけ。
傷つけられて当たり前な世の中を、当たり前ではないと態度で示し続ける。
傷つけるひとを尊重しない。
その勇気が、当たり前を変える唯一の手段、方法。
全ての人が尊重されるべき世の中を。
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(内容は不問でのご理解とご了承をご承諾頂いたものとみなします)2026.02.06
