おまえらには感謝しかない
49歳の今、
子供の頃の悲しみ感じている話 です。
「智子の荷物まだあった」と
母親から段ボール箱が送られてきて
文集が入っていた。
クラス全員の作文が載ってる。
当時の葛藤を、
当時の私は書き残していた。
.
表面的には
「クラス替えまで円満にやれて、
最終的にはみんなに応援してもらえたし
良い思い出です」
と締めてあるが
本音は、
「苦しかった。
どうしようもなかった。
こわかった。
未来の私に預ける。
ヨロシクね。」
って言ってる。
本人だから。
そんな風には一切書いてないけど
読み解けた。
.
読んでからずっと
そこに向き合ってて
3ヶ月経ち、
当時のしょんぼりな私が
現れてくれた。
感謝100%で味わっています。
もし良かったら続きも読んでください。
.
小学3年生の時です。
父方の実家にて。
ソファーの上でぴょんぴょん跳ねてると
「みんなで歌って踊ったらぜったい楽しい」
「みんなにも楽しんでもらえたら最高」
て、なんか、
ふと、思ったんです。
夏休み明けてすぐだと思います。
6人に声をかけて、
それをやり始めた。
休み時間と放課後に
集まって練習して
順調にというか
家からクソでかいラジカセを
教室に運び込み
終礼時、
クラス内で発表させてもらってて
めっちゃ楽しかったです。
はじめは
私がやってたバンドだけ
オンリーワンでしたが
途中で、
別グループのバンドが生まれたその頃、
「音楽係(班)」が、
コンクールをやると言って
その2バンドは当然出場した
.
そしたら、
今までは私たちの演目を
散々楽しんでいた
男子達(男子w)が突然、
帰れコールをした
文集の記述によると、
私は怒鳴り返したらしくて
「そんなこと・・あったな・・・」
って
なんか息が止まって
身体が冷たくなったんです、
49歳のオノレ。
.
「こんなこと覚えてても仕方ないし
忘れたいです。」
とも書いてあるけど
忘れてない。
忘れてたけど
この感情
ずっと身体に持ちながら
音楽活動してきた。
うわっ てなって
人前で歌うのが
何故こんなにも怖いのか、
ちょっとわかった気がしたんです。
.
他の生徒の作文は、
運動会のこと、
なわとびの事などなどばかりで
誰もバンドのこと書いてないし、
むしろ、メンバーが
「わたしもドッチボール
やりたかったけど、
休み時間はバンドの練習があって」
って書いてて。。
ごめんな、有難う
って思いました。
そして、
授業終わったらもう
帰りたいだろうに、
同じクラスだというだけで
必然的に私達の発表を
見なくてはいけなかった、
彼ら彼女ら。
マジでごめんな
って思いましたw
.
みんなそんなに、
わたしほど音楽に興味なかったよ。
今の私ならわかる。
付き合ってくれて
感謝しかない。
その上、
「別バンドの方が自分らに優しいから」
っていう理由でな。
帰れコールなんか
してくれてな。
人に受け入れてもらいながら
音楽続ける
ってことを
あんな若くして
考えさえてくれるなんて。
おまえらには感謝しかない。
有難うございます。
.
手足が冷たくなるような
悲しさと共に、
笑いが込み上げる、
この不可思議な感覚。
一体、
わたしは何に勝ったのでしょうか?
恐怖にです。
皆さんのおかげです。
恐怖は
これからもなくならない。
でも恐怖も一緒に、
ずっとやってこれた。
愛も、あったからです。
これからも勝ち続けます。
ありがとう^^
9歳の島崎智子と、
49歳の島崎智子より。
※文集は、燃えるゴミの日に捨てました。
