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骨の形が変わってしまった|コンビニ人間|読書感想文

*この記事にはネタバレが含まれます。

村田沙耶香さんの作品を読んだ。

「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う第155回芥川賞受賞作

36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる――。

「いらっしゃいませー!!」お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。

ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが……。

累計192万部突破&44の国と地域で翻訳決定(2025年10月現在)。米国〈ニューヨーカー〉誌のベストブック2018に選ばれるなど、世界各国で読まれている話題作。

世間のものさしに少しでも違和感を感じたことのあるあなたのための物語!

解説・中村文則

Amazonより

   初めて読んだときのことを良く覚えている。それは、私が20歳になった頃のはずで、この作品は私のためにあるのではないかと思うくらいに、共感して共感してこの世の終わりなのかと思うくらいに、泣いた。一言一言が、心に刺さって、世の中にはこんな作品を紡ぐ人がいるのか、と、びっくりしたのを覚えている。

   自分の名刺本にも入れているものだ。堂々と入れている。それなのに。それなのに、刺さらない。びっくりするくらいに、刺さらなくなってしまった。……さみしい。あの頃と、何かが、変わってしまったのだ、と感じる。

   世界のすべてに絶望していたあの頃。今は、夫がいて、もちろん人並みに大変なことはあって。理不尽なこともあるけれど、幸せな暮らしをしていて、きっとそんな中で見落としてしまったものがあるのだな、と思う。個性みたいな、世界への見方みたいな。そんなもの。

性経験はないものの、自分のセクシャリティを特に意識したこともない私は、性に無頓着なだけで、特に悩んだことはなかったが、皆、私が苦しんでいるということを前提に話をどんどん進めている。たとえ本当にそうだとしても、皆が言うようなわかりやすい形の苦悩とは限らないのに、誰もそこまで考えようとはしない。そのほうが自分たちにとってわかりやすいからそういうことにしたい、と言われている気がした。

『コンビニ人間』より

   人は簡単に理由をつけたがる。個性を大切に、と言いながら、いや、言うからこそ、自分にとってわからない存在には、理由をつけて納得しようとする。その、人間の深層心理を紡ぐのが上手いなあ……と、いつも思う。村田沙耶香さんの作品を読むと、自分がいかに狭い視野で、世界を見ているのかを思い知らされる。

「外に出たら、僕の人生はまた強姦される。男なら働け、結婚しろ、結婚をしたならもっと稼げ、子供を作れ。ムラの奴隷だ。一生働くように世界から命令されている。僕の精巣すら、ムラのものなんだ。セックスの経験がないだけで、精子の無駄遣いをしているように扱われる」

『コンビニ人間』より

   ああ……もちろん、この人も。白羽くんも。かなり過剰な考えではあるけれど、その通りだ、とも思う。男女平等を謳ってはいるけれど、男性の方が仕事に対して悩むことは、多い。実際、まだ、まだ女性は養って貰うもの。男性が養うもの。という固定観念は、根強く残っている。

   普通って、なんだろう……と、永遠に悩んでいた時期がある。普通になりたい。と、そう願い続けた時もある。でも。今なら、わかる。普通なんてない。そんなもの、きっと幻想で、でも世間体というものはあって、そういったものに合わない人は、世界から排除されてしまう。

   刺さらなくなったことが、こんなにもさみしいなんて思わなかった。作品が変わったわけではない。世界が変わったわけでもない。変わったのは、確実に、私の立ち位置なのだろう……と、思う。

   あの頃の私は、普通という言葉に殴られ続けていた。殴られている自覚すらないまま、ただただ息が苦しくて、どこに立っていても間違っている気がして、この世界は私を想定していないのだと、本気で思っていた。

   本気で、生きることを諦めようとしていた。

   だからこの作品は、刃物みたいに心に入ってきた。わかるとか、共感なんて生ぬるい言葉じゃ足りなくて、これは私の骨の形だ、と思った。

   でも今、私はもう、その場所にはいない。居場所ができてしまった。守るものができてしまった。まだ揺れながらだけれども、世界と、かろうじて折り合いをつけて生きている術を身につけてしまった。

   そのせいで、見えなくなったものがあるんだ……。社会に適応できないことの痛み、普通からこぼれ落ちることの、あの絶望。それを成長と呼ぶのか、鈍感と呼ぶのかを、私はまだ決められずにいる。

   この作品が刺さらなくなったことは、私がこの世界に飼い慣らされた証なのかもしれないね。

   もちろん、世界は相変わらず不器用で、理不尽で、普通は今も、鈍器みたいにそこら中に転がっているのに、私はそれを避ける術を身につけてしまった。

   誰かと生きること。生活を回すこと。小さな幸福を、疑わずに受け取れること。それは確かに、救いだ。でも同時に、感覚を鈍らせる。

   それが、怖い、とも思う。

   私はもう、普通を疑わなくても生きていける側に来てしまったのか。この世界に適応できない人の痛みを、わかると言いながら、実は安全な場所から眺めているだけになってはいないか。

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