戸井田道三 『観阿弥と世阿弥』
「大成」という言葉が隠すもの
能は観阿弥・世阿弥父子によって大成された——この定型句を、戸井田道三は出発点にせず、むしろ問い直しの対象に据える。本書が向かうのは、南北朝という激動の時代のなかで、猿楽という民衆の芸能から能がいかにして芸術へと形を変えていったのか、その過程そのものである。父子を天才として讃えるのではなく、彼らを押し上げ、また彼らが押し出していった時代の力学を追う。
著者の視線を特徴づけるのは、能を「完成された古典」の位置から引きはがそうとする姿勢だ。田舎から都市へと猿楽の能を押し出したのが観阿弥であり、それを洗練させて幽玄の能を創造したのが世阿弥である——という父子の役割分担の把握は、単なる継承の物語ではない。都市への進出と、貴族的美意識への適応という、二つの異なる運動として能の成立が描かれる。
神と乞食のあいだ
戸井田の能論を貫く根本の直観は、芸能が「神と人のあいだ」に発生したという認識にある。彼は乞食(ほかひびと)という存在に注目した。饗宴の場で神を前にして「盛られる」役を引き受ける者がいた。その者が神と人を媒介する。芸能はそこから生まれた——という発想である。
『翁』の舞台において、シテは素顔で平伏する。その間、舞台と客席はまだ同じ場に属している。ところがシテが尉の面をつけた瞬間、舞台にいる者が神になる。この転換の一瞬に、猿楽が乞食(ほかひびと)の芸能であったことの痕跡が刻まれている。戸井田はこうした細部から芸能の発生を読み取っていく。能を高踏的な様式美として鑑賞する態度からは、こうした構造は見えてこない。
この視座は、日本の芸能者が長く被差別の位置に置かれ続けたという歴史と切り離せない。神に最も近い者が、同時に最も卑しめられる者でもあった。この逆説は日本の芸能史の底流を成しており、戸井田はそこを見据えている。
著者自身による後年の訂正
本書には、著者自身が後年に加えた注目すべき修正がある。戸井田は六十一歳のときに本書を書いた。その際、当時の常識的な前提に従って、『花伝書(風姿花伝)』は観阿弥の考え方を、『花鏡』は世阿弥の考え方を表している、と書いた。ところが七十三歳になった彼は、『老後の初心』という文章のなかで、あれは間違っていたと述べる。世阿弥は観阿弥を背負ったのだから、それらはやはり世阿弥のものなのだ、と。
自著の枠組みを十四年後に自ら撤回するこの一節は、本書を読むうえで避けて通れない。同時にそれは、世阿弥が『花鏡』に記した「老後の初心を忘るべからず」「命には終わりあり、能には果てあるべからず」という言葉を、著者自身が引き受けた形跡でもある。
民俗学的方法が照らすもの
戸井田は民俗学・人類学を援用して能や狂言を考察した。学術的な実証の作法とは異なる、暗示的な知の運びが彼の文章の特質を成している。この方法は、能を作品として分析するのではなく、能が身体と生活のなかから立ち上がってくる回路を辿ることを可能にする。
その帰結として本書が問うのは、能が現代に対してもつ意味である。六百年を経て様式に固められた能のなかに、猿楽の生き生きとした姿がなお息づいているのか。それとも、我々はそれを忘却したのか。この問いは、伝統芸能をどう継承するかという実務的な議論を超えて、日本人が自らの身体感覚や神観念とどう関わってきたかという問題に接続していく。
