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そこで黙ってみていやがれ

週6で働きに出て、家にいることが少なかった母。いまさら母に、私の何が分かるというのだろう。

それなのに、おっとりとした母の声は妙によく効く。


小学生の頃、12歳以下の文学賞に応募したことがある。400字詰めの原稿用紙10枚以内の小さな小説コンクールで、近くの大型スーパーに貼ってあったポスターで知った。

「これに応募する」と隣にいた母に言った。
母は驚きながら、「いいんじゃない」と止めも勧めもしなかった。


その少し前、国語の授業で物語を作る教材に出会ったところだった。
自分の中の想像がもくもくと湧き上がり、ずんずんずんと無言で書きまくった。配られた原稿用紙の枚数をすぐに飛び越えて、教卓の上に置いてある予備を一枚、また一枚とさらっていく。
最後に分厚くなった物語をひもで束ね、教室の後ろの本棚に飾った。遠くから見ても私の作品は一目瞭然だった。

それ以来、私は物語を作るようになった。ノートの先頭から縦書きに書き連ねていって、一番最後のページを『貸し出し簿』にした。順番に名前を書いて「予約」するのである。

いつもそこは、クラスメートの名前であふれていた。きっと純粋に「物語がおもしろい」という動機ではなくて、私が変わったことをするのでみんな面白がっていたのだと思う。それでも口々に「貸して、貸して」と言われれば、私は満足だった。

あのコンクールを知ったとき、大賞作品は書籍化されるということに胸が躍った。今はたった一冊のノートを回し読みしているだけだが、この機会に本を出せるかもしれない。主人公の設定も物語の展開も何も考えないまま、3度くらい眠って起きたら原稿用紙10枚ほどすぐに書けてしまった。

クラスのみんなに読んでもらう程度ならこのままでもいい。だが賞を獲るのなら、それでは具合が悪いかもしれない。それに、コンクールに出すとなったら、しばらく誰に読んでもらうこともできないのだ。
出来上がった物語へ、自転車が風を切る音を書き足す。

「母が帰ってきたら読んでもらおう。」

私は褒めてもらえると思っていた。褒めてもらって、誤字や小さな矛盾を教えてもらって、「これで大丈夫」、そう太鼓判を押してもらえると。

夜八時。母が帰ってきた。階段を上がっていく母の背を追う。
「お母さん」
振り向いた母の顔は曇っていた。目の下にクマが浮いていて、頬がいつもより下に落ちているように見えた。「読んで欲しい」と頼む声が尻すぼみに小さくなる。
母は、「いいよ」と言ってぱらぱらとめくった。小さくなって待っていた私は、ずっしりとした空気の重みを感じていた。

「よく分からない」

母の声に喉が詰まった。何を言われたのか理解できなかった。目の奥が、熱い。ここが矛盾している、おかしい、といくつか言われた。

私はノーガードで、母から飛んできたパンチを受けた気分だった。自分の部屋に戻った途端、奥歯を噛み締めて泣いた。
涙があふれるこの感情の高ぶりはあるのに、原稿用紙のうえに置く言葉は見つからない。震えながら、原稿用紙を畳んでしまった。


物語を書くことはなくなった。中学生になってブログを細々と始めたが、一向に物語を作る気にはならなかった。

引き出しには、あの日の母の声が入っていた。それを留守番電話のように聞き直すたびに、私は自分で作った主人公のことが分からなくなってしまうのだった。何が好きでどんな性格で、この物語で彼は何をしたのか、どんな感情になったのか。

母の言うことは正しかったと思う。ただ、二度と「よく分からない」なんて言われたくなかった。

「それならば、私が主人公ならどうだろう」
ブログで書いた文章の調子を変えれば、自分が主人公の物語ができる。

そう思って、私は自分を主人公にして書くようになった。誰にも分からなくても、私の考えたことは全部ここにある。私のことだけは、私が分かっている。

祖父の死を書いた。家を出たときのことを書いた。ファックスで友達に謝罪文を送ったことを書いた。実家に帰省したら冷蔵庫が小さくなっていたことを書いた。失恋をなでて、祖母の料理の味をさらった。


不思議なことに私が書きたいのは、いつでも家族のことであった。私のエッセイを読んだ人はみんな、「家族が仲良しなんだね」と口々に言った。

そうではない。家族仲は悪くはないが、どこか冷たいところのある家族だと思う。親友みたいな親子でもない。そんな親子が、私はずっと羨ましかったから、それを投影してしまっているのだろうか。
ただ、そこにいる私たち家族は確かに私の中に存在している。


あの日、母が私を傷つけたかったわけではないと子ども心に分かっていた。母はその頃、職場で大変な目に遭っていたらしいし、家庭がおろそかになっていると祖母に咎められていた。いつも何か考え事をしていて、私はそんな母に近づかなかった。

それでも母は、ことあるごとに言った。
「若い頃は子どもなんていらないと思っていたけど、今となっては二人がいてくれてよかった」
姉と私を優しい目で見る。

私の名前は「優」と書く。
「優しい、と書きます。」
名前を聞かれるたび、何度説明したか分からない。だが、そのとき微笑む母の瞳を見て初めて、『優しい』とはきっとこういうことなのだ、と思った。母の日に気まぐれで渡したパスケースは、柄がハゲてしまってもずっと母のカバンに入っていた。


限られた友人と彼氏しか知らなかった私のエッセイを、結婚式で母に渡した。
花嫁の手紙を書きながら何度もあの声がリフレインして、渡すべきか最後まで迷っていた。

『あれ以来、お母さんに見せなかったけど、私は今も書いているよ。』
違う。
『エッセイを書いて、家族の存在が大切だって改めて分かったよ。お母さん、ありがとう。』
違う。なんだか違う。胸の奥には、むわっとしたあの夏の湿度があった。

……『だから見やがれ、こんちくしょう。』

私は母に認めさせたい。あの言葉は間違っていたと、そう思って欲しい。花嫁の手紙を書く途中、私の頭の中は不似合いな汚い言葉に溢れていく。

リボンをかけたそれを渡したとき、母の瞳はやはり優しかった。


結婚式が終わってしばらくした頃、母と同居する祖母と電話した。私がお歳暮のお礼を言うと、食い気味に「お母さんがね」と祖母は言う。

「あんたのエッセイ読んで、『あの子はこれでいつかご飯を食べるようになる』っていうのよ。」

親馬鹿だよね。ほんとだね。
そんな話をして、電話を切った。私は一人になって、またぽろぽろと泣いた。私は誰でもなく、母にずっと褒められたかった。


母からは、たまにLINEがくる。年代が滲む文面に、かわいいのかダサいのか分からないスタンプが添えられている。
内容はだいたいお裾分けの連絡か、私がネットで公開するエッセイについてのお咎めである。

ある日、「体調不良で病院に行ったら、溶連菌というウイルスだった」と書いたら、またすぐに小言が送られてきた。

「溶連菌はウイルスではなく細菌です」

うるせえわ。そこで黙ってみていやがれ。


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