羽生結弦 notte stellata 2026の感想


まずはじめに


ノッテステラータの感想を徒然なるままに?
思いつくままに書いていくのですが、素人のフィギュアファンなのでベテランのファンの方にとっては見るに堪えがたい内容なっているかもしれません。
どうかご容赦ください。

自己紹介がてらに羽生君象

まず自己紹介がてら、自分の中でのフィギュアスケートは何なのか、羽生結弦プロは自分にとって何なのかを軽くですが語らせていただきたいのです。
多分、自分のスタンスを理解してもらえなければ、この後に出てくる感想は理解してもらえないものと思っているからです。

私の中でフィギュアスケートというの、は冬季オリンピックから端を発したウィンタースポーツの中の一部です。
もともとスポーツ観戦が好きなこと、自分が少年期、青年期を通じてバスケットボールやモータースポーツ、スノーボードに触れてきた中で、ウィンタースポーツの競技という独特な世界観が面白いと思い、毎年冬になると色々なウィンタースポーツのリザルトやメインゲームを追いかけるようになりました。フィギュアに関してもその中の一つです。

いつしか、国内のウィンタースポーツを追いかける中で、世間が安藤美姫選手と浅田真央選手、荒川静香選手で最大に盛り上がっていた頃でしょうか。
男子の大ちゃん、ノブ君に続くとあるシニア上がりたての選手が居ました。それが当時の羽生君だったように思います。テレビで期待の新星として紹介されていたように思いますが、当時から彼のジャンプに違和感がありました。
というのもノブ君、大ちゃん、当時皇帝と称されたプルシェンコ、彼らは高く遠く飛んで、飛距離もしくは滞空時間を稼いで体をぶん回し回転していたように映っていました。
しかし当時から羽生君はジャンプの入り、抜き、共に流れるような「ジャンプの為の所作」が力でなく流れというか、インパクトではなくインパルスで飛んでいるような、動作が全て繋がっているように見えました。

数年後、羽生君が大ちゃんと一緒にオリンピックに出ることになるとは夢にも思いませんでした。
彼の演技や功績は自分が執する以上に皆様の方がご存知のはずですので割愛しますが、彼の素晴らしさは称賛に値しますし、形容する言葉を持ち合わせていないほどです。

notte stellata 2026の感想

さて、話を今回のノッテステラータに移します。
妻のばすてと氏が羽生君の筋金入りのファンなのですが、フィギュアスケート全体が好きなので、今回一緒に参加している田中刑事君、無良崇人君、ハビエル等のレジェンド級のスケーターの滑りを楽しみにしていました。
自分もファンタジーオンアイスや、プリンスオンアイス等で他のスケーターの華やかなショーを見る中で、羽生君が「鎮魂・復興・再生」というテーマの元に集まったスケーターのショーはどんな物になるのか非常楽しみにしていました。

初手の本郷理華さんの「すずめ」ご存知の方もおられましょうが、震災を題材にした新海誠監督の「すずめの戸締り」の楽曲です。
シーンとしてはネタバレになりそうですので敢えてぼかしますが、主人公が拒んできた「過去」を受け入れ、前を向く瞬間をうまく表現した楽曲だと思います。同時に震災にあわれた人が過去にとらわれず前を向く時が来たというメッセージにとして自分は受け取れました。

また本田明子さんや宮原知子さんなんかは、自分の中では情熱的でかつ可憐なスケートをする人と認識していましたが、テーマそった静かで優雅なスケートは、このノッテステラータでないと見ることができない演目だと思って観劇(であっているのか?)していました。

無良君の「帰ろう」は、帰る場所がいる、帰りを待つ人がいるという普段何気ない日常がいかに大切で儚いかを表現していたのではないかなと勝手に思ってます。
私の中で無良君のスケートの評はスマートそのものです。一挙手一投足が滑らかでジャンプの入りと着地も滑らかなのですが、今回はそれを前面に押し出した静かなプログラムでとても好感度が高かったです。

田中刑事君のプログラムもうろ覚えですが鈴木明子さんの振り付けで滑っていましたね。とても斬新でした。というのも、普段彼は手足の長さを存分に生かしたアクロバティックでヨーロッパの選手に引けを取らない大きな演技が持ち味だと思っていました。
が、今回はスローテンポな曲に合わせて大きな体をいかにしなやかに、柔らかに、柔らかさの中にいかに強い芯をつくるか、というような演技で、普段の彼からは想像がつかないプログラムだったので、新たな1ページを見せてもらったように思います。

そんな中でてきた座長の羽生君ですが、相変わらず完璧なスケートでした。
私の中で、スケートの演技の中でダンスでも使われる「音ハメ」という楽曲の音に合わせて体の動きを充てる技術があるのですが、大抵の選手は音が鳴る部分に音ハメを持ってくることが多いです。というかそれが定石。
ただ羽生君に関しては、音が閉まる瞬間にあえてのストップモーションを入れてみたり、次の音が入り込んでくる「音のつなぎ」に合わせて手繰り寄せたり引き寄せるようなモーションを組み合わせるなど、なんなら無音で見ていても世界観というか「音の響き方に対する解像度が高い人」という認識を改めてもちました。
音が閉まっていく箇所に合わせて伸ばした指の間がそっと閉じていくだとか、少し手を握り込む、次の音が入り込んでくる時に、天から、氷から、はたまた自分の周りからまるで音を自分のステージ引き込むように流れを作る。完全に羽生結弦の世界観を作りだしていたなと思います。ただただ圧倒されました。座長、見事です。

ただそれゆえに、独自の世界観の完成度とメッセージが強すぎるがゆえに、自分としては彼の伝えたい事とこちらの受け取ったメッセージの間に余白が無さすぎるなという感想もあります。

リプレイの時にみた、ゲームの音楽と彼の紡ぎたかった世界観には、まだ自分たちなりの受け取り方の余白があったように思います。それゆえに原作を触ったことがある人間ならではの音楽の理解度と彼の表現にたいする、共感したり相容れない部分という余白で彼と会話で来ているようなショーに対して、今回のショーに関してはあまりに、表情や振り付けという部分で、こちらに余白をくれなかったように自分は受け取りました。
彼なりに痛みと悲しみを乗り越えて鎮魂と希望という、祈りを突き付けられたように感じました。
彼なりメッセージとして、忘れてはならない、けれどもいつまでも後ろを向いて過去にとらわれていてもいけない、何があっても前を向い過去を未来に繋げなければならないという、彼の覚悟さまざまと見せつけられたように思いました。

ここで自分の感想を総括するのであれば、私は彼のそういった自己犠牲にも見えるような鎮魂と祈りという、呪いにも似た使命感を今後背負っていくことは、羽生君自身幸せになれるのか?君は本当にそれでいいのかい?という気持ちになりました。
彼の言う事、やっていること、やってきたことは立派で、とても崇高で気高い行いだと思います。一方で、それは自分をすてて俗世すら捨てて解脱するような、人ならざる者になってしまわないかという不安さえ感じます。そこが彼の魅力であり惹かれる部分であるのは百も承知なのですが、同性の人間として、君の行く先に、君の幸せはあるのか、二人きりで話して聞いてみたいな、と思うようになりました。

色々な意見がある中で、自分と相いれない方もいらっしゃいましょうが、決して他人を非難するつもりはありません。ただ一人のスケートファンとして、今回、彼の偉大さと崇高さを感じ取るいい機会になったと思います。

ながながとお付き合いいただきありがとうございました。ご意見やご感想いただけるとありがたく存じまず。


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