テロリストか、憲法か
テロリストか、憲法か
弁護士 中 山 達 樹
1 暗殺犯の無期懲役判決
2026年1月21日、奈良地裁は安倍元首相を暗殺した被告人に無期懲役判決を下した。予想通りであった。
まず、日本の判例の基準からして1人を殺害したのみでは死刑相当ではない。また、死刑廃止に傾く国際世論に配慮すれば、たとえ元首相を殺害というテロへの非難が強くても、死刑は重きに失する。
一方、自己の要求を叶えるために演説中の元首相を殺害したテロリストへの刑として、有期懲役は軽すぎるため、無期懲役が妥当だろう。
奈良地裁判決は、量刑理由でも、テロリストに過剰な肩入れをしなかった。
暗殺犯母が献金した家庭連合の伝道方法や勧誘行為の不当性を取り上げず、家庭連合に応援メッセージを送った安倍元首相に何ら落ち度はなかったとされ、メディアがかまびすしく論じた家庭連合と政治との関係も減刑理由としなかった。
家庭連合に対する解散命令が今年3月4日の高裁決定により効力を発したといえ、暗殺犯に対する同情論は日本社会ではほぼ聴かれなくなり、控訴した暗殺犯の刑が軽くなりそうな気配はない。
日本の刑事裁判は、テロリストが恨んだ宗教を、テロを正当化する理由とはしなさそうだ。
2 東京高裁による家庭連合解散命令
一方、2026年3月4日、東京高裁(三木素子裁判長)は、家庭連合への解散命令を維持する決定を下し、家庭連合の清算手続が開始した。
この決定は、テロリストが恨んだ宗教を破壊し、テロリストの願望を叶えた。三木決定は以下のとおり多くの憲法解釈上の問題を抱えて
(1) 証拠裁判主義に反する
2009年のコンプライアンス宣言後、家庭連合は同宣言前に比べ、金額で計算すると397分の1(人数で計算すると126分の1)に不法行為を減らした。
しかし、東京高裁の三木決定は、不法行為の成立を確実に認定できないがその「成立可能性が否定できない」示談の事例(コンプライアンス宣言後の91.2%)を多く取り上げ、不法行為の継続があり、結果が重大で、将来も不法行為のおそれがあるとして解散命令を下した。
この決定がコンプライアンス宣言後に取り上げた事例のうち、この「不法行為成立可能性が否定できない」類型が実に96%であり、そのほとんどが訴訟前に示談に基づき家庭連合が元信者に献金を返金した事例である。
不法行為の成立を確実に認定できないのであればそれを被害結果が重大である理由にすることはできないはずだ。
しかし三木決定は、不法行為の成立を「確実に認定できない」と言っておきながら、いつの間にか「不法行為に該当するというべき」「不法行為を継続して行った」と「すり替え」を行って無理な断定をした。
これは証拠がないのに不法行為を認定したに等しく、証拠に基づき事実を認定する証拠裁判主義に違反している。公正な裁判を受ける権利を保障した憲法32条に反する。
また、三木決定は、家庭連合が今後献金収入の予算額を引き上げて不当な献金勧誘をするおそれがあることなど、証拠や事実に基づかず、推論の上に推論を重ねた強引な認定をした。
たとえば、家庭連合の韓鶴子総裁による「日本は戦争で罪を犯したから賠償しないといけない」「経済大国の日本は恵みを施さなければならない」という抽象的な訓示に対し、家庭連合幹部が擁護する発言をしたことのみを理由に、「韓鶴子からの過度な活動資金の拠出の要求を拒絶する意思も能力も有していない」と認定された。
教祖の発言を擁護しない幹部はいまい。それなのに、幹部が教祖を擁護発言をしただけで「教祖の要求を拒絶する意思も能力もない」と断じるのは、飛躍も甚だしい。
(2) 信者の人権を著しく軽視
まず、三木決定は、解散命令が「信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わない」と述べて、信者の信教の自由の制限とならないとする。
しかし、現在、信者は教会で礼拝や葬式ができない状態にある。
大学のキャンパスを壊しておいて学問の自由が保障されているとは言えまい。同様に、教会施設や財産の使用を一切禁じておいて、どうして信教の自由の侵害がないといえようか。
次に、信教の自由を制限するためには、それが必要最小限の手段である必要があるところ、献金被害防止のためには不当寄附勧誘防止新法などの他の手段がある。
これにつき三木決定は、不相当献金勧誘行為の根本的な原因が家庭連合にあるため新法に実効性はなく解散が必要だと言う。しかし、解散しても任意団体が不相当な献金を募ることができる以上、解散は必要最小限とはいえまい。
また、解散命令が必要最小限といえるかの比較衡量において、三木決定は解散により守られる利益を将来における信者の献金被害のおそれの防止とする。
一方、これと天秤に掛けられる解散による不利益は、現役信者の信教の自由である。これは三重の意味で過っている。
① まず、比較衡量論において比較されるのは被侵害主体の被る実際の不利益と、侵害行為により別の他者が得る実際の利益との比較である。
しかるに、三木決定で天秤に載せられているのは現役信者という同一主体の、将来の経済的不利益のおそれと、現在の精神的自由の侵害である。
そもそも、同一主体の利益と不利益を比較するのは前代未聞である。同一人が何を利益と思い、何を不利益と感じるかは、個人的な見解により結論が左右されるため、類型的な評価を下すことが困難であるからであろう。
② また、経済的自由の侵害を精神的自由の侵害に優先させていることも、憲法的には精神的自由の価値が高いことから考えると、背理である。
③ さらには、現在被る不利益よりも、将来生じるかも知れない不確定な不利益を優先させている。これは、公の施設を利用して集会の自由を享受することの制限を正当化するには明白かつ現在のおそれ(Clear and present danger)が必要であるという確定した日本の判例と整合しない。
なお、三木決定は、「万物復帰」「エバ国家」等の宗教の教義に立ち入った判断をして、「文鮮明(その死後は韓鶴子)の活動資金を獲得する目的」が不当だと断じ、この目的を理由に、将来の献金被害のおそれがあるとする。
これは宗教問題に司法は立ち入らないという日本の確定した最高裁判例に違反する。
このように、三木決定は、家庭連合を解散させるために、多くの勇み足を犯し、信教の自由(憲法20条)を軽視している。
(3) 非公開の裁判
三木決定は、解散命令裁判は非公開で足りるとした。その理由として、文科省の申し立てによって裁判所が決定する解散命令裁判は、国家と家庭連合という当事者間の紛争ではないと述べた。
しかし、解散命令裁判は、国家により家庭連合が法人格と信教の自由を奪われる当事者間の紛争といえる。
実際、2023年10月の開始以降、2年半にわたり、東京地裁・東京高裁の法廷で、申立人の文科省と、その家庭連合が、それぞれ原告席と被告席に座り、互いに主張を繰り返すという対審構造により行われてきたではないか。
信教の自由等の国民の権利に関わる裁判は透明性確保のため公開されるのが近代私法の大原則であり、それを定めた公開裁判の原則(憲法82条、32条)に反する。
(4) 民法不法行為も「法令に違反」
三木決定は、解散原因の「法令に違反」に民法不法行為が含まれるかにつき、2025年3月3日の家庭連合田中会長に対する過料決定を踏襲し、法律や命令等の実定法規のみならず、不文の秩序等の法規範も「法令」に含むから民法不法行為も法令違反行為とした。
しかし、これは国会が定める法律と行政機関が定める命令のみを「法令」と解釈する文理解釈に反する。
なお、「法規範」に違反するという玉虫色の解釈をしたのは、そもそも民法709条等に従い賠償義務を果たしてきた家庭連合は、これらの条文に違反していないからであった。
オウム真理教裁判で確立された、「法令」とは刑法等の実定法規が定める禁止規範等を差すという限定解釈を、三木決定は放棄した。
29人を殺したオウム真理教の事案に比べ、62年間刑法犯罪を犯していない家庭連合の事案で、人権を侵害する方向で解釈を変える理由はないにもかかわらず、である。
実質的にも、「故意又は過失により他人の権利を侵害したものはその損害を賠償する責めに任ずる」と定める民法709条の不法行為規定からは何が法令・法規範に違反する行為かが明確ではない。
これは、処罰する対象を明確にすべきとする罪刑法定主義・適正手続(憲法31条)に反する。
(5) 「公共の福祉」という不明確な文言
三木決定は、「公共の福祉」を害するという不明確な概念を解散命令の原因とした。
しかし、これは国連が再三にわたり日本政府に国際法違反の勧告を発し、殊に昨年10月1日、国連はプレスリリースを発し、地裁決定が国際法違反だとする国連専門家らの意見を発表した。
しかし、三木決定はこれを無視し、信教の自由の制限に明確性を要求する国際自由権規約18条3項及び国際法遵守を定める憲法98条2項)に反する決定をした。
以上のように、家庭連合の解散命令に関する三木決定には憲法解釈上、5点の大きな疑義がある。
家庭連合は最高裁判所に特別抗告をして争っているところ、「憲法の理念を枉げてテロリストの願望を叶えた」と後世から批判されないためにも、最高裁判所には賢明な判断を望む。
