日給月給の呪いを解く──職人の給与体系、ウチが悩み続けている理由
「稼ぐ」という言葉に縛られている
職人の世界には長らく「日給月給」という慣習がある。出た日数分だけ支払う、働いた分だけ受け取る仕組みだ。
この制度の背骨にあるのは「稼ぐ」という言葉だと思う。稼ぐとは、働いて収入を得ること。力を尽くすこと。得ようとして心をくだくこと。つまり、収入と労働時間が一本の線で直結している。
この直結が、職人という仕事に一定の緊張感と誇りを与えてきたのは事実だ。休めば減る。だから出る。出れば稼げる。単純だが、わかりやすい。
問題は、この「わかりやすさ」が、そのまま次の世代に通用しなくなってきていることだ。
月給にしたら、休みがちになった
若手の定着や生活の安定を考えて、月給制を検討する。実際に導入してみると、別の問題にぶつかる。
日給月給では「休む=減る」という痛みがブレーキになっていた。月給にするとそのブレーキが外れる。休んでも同じ額が入る。悪気はなくても、少しずつ現場への足が重くなる人が出てくる。
さらに厄介なのが評価軸だ。日給月給時代は「出た日数」「こなした仕事量」という数字がそのまま評価になっていた。月給にした瞬間、その物差しが消える。何をもって頑張りを認めるのか、経営側も本人も、急に言葉を失う。結果として「なんとなく評価する」「なんとなく昇給する」になり、稼ぐ意欲そのものが薄まっていく人も出てくる。
月給のメリットは「若手への訴求」
それでも月給制には、はっきりしたメリットがある。若手への訴求力だ。
今の若い世代にとって、収入が天候や体調で毎月ブレる働き方は、それだけで選択肢から外れる理由になる。住宅ローンも組みにくいし、生活設計も立てづらい。「毎月いくら入るかわからない仕事」は、それだけで採用の入口で不利になる。
月給制は、この不安を取り除く。安定した生活基盤があってはじめて、長く働き続けようという気持ちが生まれる。人手不足の今、これは無視できない要素だ。
月給のデメリットは「やりがい搾取」
一方で、月給制には見えにくい落とし穴もある。頑張っても頑張らなくても同じ額。だからこそ、経営側は「頑張りに応えなければならない」という別の責任を負うことになる。
ここで手を抜くと起きるのが、いわゆる「やりがい搾取」だ。目に見える対価(給与)が固定されている分、目に見えない対価──「認められている」「成長している」「必要とされている」という実感──に頼って働かせてしまう。それが続くと、頑張っている人ほど疲弊し、辞めていく。
日給月給の呪いから抜け出したつもりが、別の呪いにかかるだけでは意味がない。
結局、大事なのはキャリアパスと承認
ここまで考えて、たどり着いた結論はシンプルだ。給与体系そのものより、キャリアパスと承認を、きちんと言葉にして伝えることが大切だということ。
・どう頑張れば、どうなっていくのか(キャリアパス)
・頑張ったことを、誰が、いつ、どう認めるのか(承認)
この二つが見えていれば、日給月給でも月給でも、働く側は納得して力を尽くせる。逆にこの二つが曖昧なままでは、どちらの制度を選んでも同じところでつまずく。
給与の仕組みを変えることは手段であって、目的ではない。ウチが本当にやらなければならないのは、職人一人ひとりに「この先どう歩めるか」「今の頑張りがちゃんと見られているか」を、制度と言葉の両方で伝え続けることなんだと思う。
有限会社神馬建設 代表取締役 神馬充匡(じんばみつまさ)
北海道浦河町を拠点に、「イエづくりはまちづくり」を合言葉に活動中。
