見出し画像

サラリーマンからオタクへ(11) 東京転勤から卒業へ

6thの前ぐらいから東京転勤の話が出ていました。その前に、体調を強烈に崩し、勤務停止&入院寸前みたいな時がありましたが、気合いで生活を改めることを保健師にプレゼンし、なんとか執行猶予をもらい、劇的に数値を改善して生き延びました。基本的にハイボールとウイスキーしか飲まない(日本酒は本当に飲みたいときにとっている)のはそのためです。
それでも月1マイディアを続けていたのはもう生活の一部になっていたからなんでしょうね。で、そんなグダグダな状態でも東京来て欲しいと言われ、まあマイディアにも行きやすくなるしいいかな〜って感じでOKしました。これゆかちゃんに会っていなかったら絶対に断っていたな・・・

実際に引っ越したのは6月5日とかだった記憶。その数日後に7thワンマンなので、ワンマン前に引っ越して旅費をうかそうという作戦でした。7thでは人生の運を全て使い切ったと思われるぐらい良席でMyDearでゆかちゃんから指ハートいただきました。

「みなみのさんにした」と特典会でいわれる

ここでの約束も安定の号泣でしたね。

どの曲かは忘れてしまったけど、ライブ中にゆかちゃんがメンバーと激突してフラフラになっているのはマジで心配して、あとじゃメイン争奪勝った時以来、ライブ中に声をあげてしまった記憶・・・

ちなみに、東京に来ると、遠征しなくてもマイディアのライブに行けるようになるわけですね。地方民にとっては夢のような話ですが、逆に頑張れば多くのライブに行けてしまいますし、夏フェスに全部行くこともできてしまうので、体力とお金の限界に向き合うことになり、地方にいた時とはまた別の難しさがありました。地方民でたまにしか会わないから話しやすいこともあったのだろうなっていうのは感じてました。重い話をしても、次に会うのが1ヶ月後とかでお互い忘れているので笑。やはり人生に忘却は大事。


東京に来たことでライブ以外にイベントにもいきやすくなりました。まさかキンマーに出るとはおもっていなかったですが流石にこのためには遠征しなかったかな笑
本人的にはランウェイに一般人のカメコがいるとは思っておらず、初の体験だったのでけっこう女兼がっており、ラインウェイでの目の泳ぎっぷりは面白かったです。

水着チェキ。TGIFとキンマー

関西のビート板と呼ばれた女がキンマーに出る世界線は当時の同級生は想像すらしなかったでしょうね。
最後には顔芸が出来るぐらい成長しました。

私が大好きだった6人体制から水城梓の卒業が決まり、それをゆかちゃんがどういう気持ちで見送っているのか、東京に来たから話す頻度は増え、悔しさだったり不安だったりは、前よりも感じれるようになっていた気がします。ゆかちゃんもいつ頃からか、一喜一憂しつつも、プロとしてリーダとして必要なことを粛々と進めるようにもなってきていて、やめたいやめたいと言っていた頃と比べると精神的に成長したなと、娘を見守るような気持ちになっていたのは否めないですね。こちらもいつ頃からか、ゆかちゃんのいうことを疑わなくなったというか、まあ大丈夫やろうという気持ちで必要以上に心配しなくなってきた気がします。信長の野望で長期間家臣として支えていると宿老となり他家に引き抜かれにくくなるシステムがあったような気がしますが、そんな感じかもしれません。

かえちの卒業後は、いつぶりかの5人体制になりましたが、きっちりと5人体制用にフォーメーションを考えてきていて、もとからこうだったのか、と思えるぐらい綺麗なフォーメーションに、ライブにかける強烈な思いを感じ、泣いたのを覚えています。一回一回のライブできちんとお客さんにそのとき最良のものを届けようという意識はマイディアのストロングポイント!
また、MDDの例の部分の歌割りをゆかちゃんが引き継ぎ、かえちコールをそのままゆか推しが同じようにやってもいいのかなぁ・・・と思いながらも生誕まで3週間ぐらいしかなく、このままでいいわけがないので、生誕までは脳死で前方チケを買うことにしました。主に支えてくれていたのは最前でやってくれていた2人でしたが、そのおかげで生誕も、そして卒業の時もたくさんのヲタクでやれてよかったです。たぶんすごい形相で黄色いペンラを持っている人を巻き込んでいたと思いますが、みなさん前に来てくれて嬉しかったです。

いつかのゆかちゃんコールしたあと。たしか生誕の3日前。結構集まってもらえた日でした。これをみたトシさんが泣きそうになってたってゆかちゃんに教えてもらう。
普段比較的おとなしくライブ見ているマイディアのヲタクがこの時だけ急にわらわらと前に集まってくるのいい(うらやましい)って、他のグループのアイドルにも言われたことがあるな。初めてくれたかえちヲタクに感謝。

生誕も終わり、ゆかちゃんも「やりきった。楽しかった。」と言っていたのを覚えていますが、今思えば、この時には卒業する気持ちは固まっていたのかもしれないですね。
その後、ゆりあの生誕のときだったかなぁ・・・ゆりあが「ゆかゆりあ最高だよね!」って泣きそうな顔で言っていたのですが、その時の表情とゆかちゃんの生誕後の話っぷりから、なんとなく卒業が近いことは感じていました。。。

まさかカワイレナと同じ日に発表されるとは思っておらず、2人から「みなみのさん大丈夫?」と卒業発表した人に心配されるというレア体験をしましたが、これだけの熱量でヲタクをすることにはそろそろ引き際を感じていたので、いいタイミングで東京にこれたのだろうな、という気持ちが大きかったですね。また、卒業発表後にあるアイドルさんとゆかちゃんについて話した時に、「ほっとした」って言っていたのも同感でした。マイディアが大好きな気持ちとは裏腹に体はどんどんキツそうになっていたので、板挟みで潰れちゃうんじゃないかな、という心配は結構していました。

卒業発表後は怒涛でした。脳死前方チケは9月4日まで継続され、夏フェスも全通。韓国にも会社にも家族にも秘密で遠征。。。これは終わりが決まっていないとできないムーブでしたね。あと、最後のオールナイトでリフトにも上げていただいたので、本当にヲタクとして思い残しはなくなりましたね。

ゆか列はどんどん長くなり、ゆっくり話すこともできない状況でしたが、まあこれまでに十分話をしたなという思いもありあまり焦りはなく、逆によくここまで売れたな・ゆかちゃんがんばったなという気持ちの方がおおきかったですね。

あと卒業企画とは別に個人的に進めていたヲタクチェキ帳の準備などでずっとバタバタしていた気がします。なんとか全部準備も間に合い、ほっとして卒業当日を迎え、ライブは気がついたら終わっていた、という感じです。

過去の生誕チェキなど。
アイドルとしても人としてもスタフラもおちりもでっかくなりました!

生誕チェキ(2021-2025)
生誕メセカ(2022-2025)

いい笑顔。お互い陰キャなのであまり笑わない

のぼり自引きはマジ僥倖

誕生日も毎年祝ってもらってました。
次から誰に祝ってもらえばいいんでしょうか?笑

誕生日は祝日ゆえ全てライブありました

過去6年分ぐらいのチェキ(枚数は数えませんでしたが重さは約1.4kgあった)を整理して、この期間、ずっとゆかちゃんが頑張っているのを見ていたし、その姿に支えられていたなと改めて思いました。

アイドルって、はじめたら卒業まで駆け抜けるしかない職業なのかもしれないし、「もういいや」という気持ちを「もうちょっと頑張ってみよう」と思い直すことを何度も続けてここまで頑張ってくれたのだと思いますが、そのことについて少しでも支えになれていたらいいな、と思っています。

長い間、夢を見させてもらいました。
ほんとうにお疲れ様でした。
ほんとうによくがんばりました。
ほんとうにありがとうございました。

いっぱいの思い出と愛をありがとう

いいなと思ったら応援しよう!