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週報#43 2026_0420~0426


4月20日(月)「映画『ラブレター』を観かえした」

夜、明後日の授業準備の関連で映画「ラブレター」を観かえしてみたのだけど、青春映画というのは、青春(青春「的」も含め)が失われた年代になってから観たほうがグッとくる。グッとくるというよりズシンとくるといったほうがいいかも。

次回の講義では実質座学的講義の最初であることから、学期全体を貫くテーマである「書くことは祈りに似た行為である」の意味を考えてみるところから始めてみたいと考えている。その象徴的なもののひとつが「手紙」だといえるだろう。便箋に自筆で想いを書き綴る行為は、自身の心の中にある感情と向き合う行為であり、それはある意味では祈りに似た行為だと僕は思っている。深夜に書く日記なんかもそうだろう。ものを書くことで自身の心の中にある感情と向き合うというのは、言葉にならなかった心の奥底に眠ったままになっている感情に、名前をつけてあらためて言葉に変換していく作業だからだ。

そして、「書くこと」についてあらためて考え、実践する、という学生向けの授業の準備をしていくことで、自身がどのような経緯を辿って「書く人」になったかが明らかになっていくようでおもしろいなと思った。それ自体が、書くことの効用でもあるのだし。その意味では、書くという行為は、自分自身というA.I.に自分自身でプロンプトを与えていく作業でもあるのだなと思ったりもした。


4月21日(火)「情報を粗い解像度で見る人たちについて」

カウンセル監督の批判について、とくに日本では「いまさら」という声など批判的な意見が多く見られるが、ぼくは決してそうは思わない。その理由はこうだ。

大谷さんは2024年シーズンはケガで20イニング投げてないので、「前年に投手で20イニング・打者で20試合3打席出場」という従来ルールの基準を適用するなら、2025年の開幕時には二刀流登録できないはずだった。ところが2025年開幕直前になぜかルールが大幅緩和され、「ここ2年間の間で」というふうに大幅に緩和され、その結果、開幕から二刀流登録することが可能になったという経緯がある。

またここへきて先日「投手専念」で出場したりしたことも追い打ちをかけているだろう。もし投手専念という起用法で今後も出場するとなるとドジャーズのみ「投手14人登録」と実質同じになってしまうからだ。せめて「二刀流枠選手が投手で出る場合は必ず二刀流でなければならない」みたいな制限はかけないとたしかに不公平ではある、ということだとしたらそこまでおかしなことを言っているとは思わない。
だからこの批判が高まっていることは決して「いまさら」ではないし、そのことも含めて「大谷やドジャーズに言ったわけではない」というカウンセル監督の言葉は、ネットで言われるような言い逃れとかではなく、暗にMLB機構を批判してることが明白だからだ。

一般のファンをにわか扱いして批判するつもりはないのだけれど、このニュースに対するコメントのように、ある情報に対して限りなく粗い解像度での理解で自身の感情とあらかじめその感情に沿った結論から、短絡的な言葉を不用意に発信していく人が多くなったなと感じる。
「いや、SNSというツールがそれを可視化しただけで、もともと多くの人はそんなものだよ」という人もいる。たしかにそうかも知れない。しかし、自分の肌感覚ではその傾向を強化し加速させている部分がSNSにはあるのではないかと感じてきたし、今後はA.I.というツールによって、さらにそれは加速度的に促進されていくのではないかと危惧している。


4月22日(水)「書くことは祈りに似た行為である」

いま話題になっているパランティアのCEOで共同創業者のアレックス・カープの本「テクノロジカル・リパブリック」が届く。とても興味がある分野でかついまの世界の趨勢においてとてもホットなトピックについて当事者自らの手で書かれた本なので、いまから読むのが楽しみだ。

さて、今日は京都外国語大学で2度目の授業。「書くことは祈りに似た行為である」をメインテーマに、吉本隆明やカート・ヴォネガットを引用しつつ、週に1回くらい自分に向きあって、手で文章を書いてみようということで、

日記でも手紙でもいいので
とにかく誰にも読ませない前提で
自分のための文章を書いてください。
書いたものの提出も任意です。

と伝える。

でも何人かは書いたものを置いてってくれた。その中身は、なんとなく疎遠になってしまった幼なじみへの手紙、いまどき珍しい交換日記をしている友人への授業の報告日記、かつて文通していたホームステイ先のファミリー宛の手紙、なかには7歳の自分に宛てた手紙まで、みんなそれぞれに趣向を凝らして書いてくれました。そのどれもがとても素敵な内容で、決して若い人たちの心の中の言葉そのものは貧しくなどなっていないと安心した。それに今日の講義で自分の語った中身がちゃんと伝わっているんだな、という手ごたえを感じられて、それがなによりすごくうれしかった。


4月23日(木)「哲学の不在」

今日は先々週に引き続きENJOY KYOTOのウェブについてのミーティング。まあいろんな課題があるのだけれど、やっぱり自分としてはもう一回、リブランディングするところからやってみたいなという思いがある。

そのためにはまずENJOY KYOTOのフィロソフィーやデザインのコンセプト、サービスパッケージの考え方から練り直すのはもちろんのこと、当然にしてそれを実現するためのスタッフの配置を含めた体制作りからやり直すことになり、最終的には「お金」という話になる。

だからまずはできるところから、ということになるのはわかるし、実際に自分もこれまでもそして現在も、その前提でいかにして展開していくか、というところで考えてはいるのだけれど、やっぱりかつてENJOY KYOTOを立ち上げた時のような、中核となる信念や思想のようなものがあるかといえばないような気がしていて、そこがいまひとつ議論が確信に繋がらない原因ではないかと感じている。
これは自分ひとりが頑張ったところでどうにもならない問題なので、焦らずじっくり取り組んでいこうと思っている。


4月24日(金)「過小評価されているリチャード・カーペンター」

カーペンターズは、ビートルズやストーンズやビーチボーイズのようには評価されてないし、カレンの歌唱ばかり注目され、リチャードの才能は過小評価されてるけれど、あのパッケージでしか出せないなにかを持ってるという一点において、やはりすごくスペシャルな存在だと思う。

リチャード・カーペンターのアレンジで印象的なのはやはり「Goodbye to Love」のファズギター。あの曲調のあのバラードにあんなファズギターのソロを入れようなんて思わないよな。ブライアン・ウィルソンやヴァン・ダイク・パークスと並ぶアメリカを代表する音楽家だと思う。

しかし、なんだな。あらためて自分のXでのポストをしばらく遡って眺めてみると、ほとんどアメリカ人のおっさんみたいだなとふと気づいた。Xが自動翻訳を導入したことで、ぼくという日本人のおっさんと、同年代のアメリカ人のおっさんとの区別が、どんどんなくなっていくんではないかな。それはそれですごく興味深いことではある。

アレックス・カープはグーグルなど多くのテック企業について、公金投入もされている先進テクノロジーであるにもかかわらずやっているのはゲームとSNSばかりで、公共的な貢献をしていないと批判していたが、イーロン・マスクのスターリンクや宇宙開発事業に並び、このXの自動翻訳による言語の壁の撤廃なども、じつは公共性という点で大きな貢献を果たしていくものになるかもしれない。


4月25日(土)「はてな終焉?」

突如にしてこんなニュースが飛び込んできて驚いた。

はてな、大丈夫か?終わるのか?と心配にもなるのだが、よくわからないのが11億円もの大金を一人の社員さんがそう易々とトップや役員会などの決済なしに動かせるものなのか?ということだ。

ぼくは個人的に大西さんを存じ上げているのだけど、彼以外にもたとえばいまは離れた近藤さんらをはじめ、はてな創業メンバーの皆さんは黎明期のインターネットの美しい時代にその名を馳せた方々ばかり。そこにはどこか牧歌的なところがあり、そこがはてなという会社の魅力ではあったのだけれど、こんなことに巻き込まれてしまうと、さすがにそうも言ってられないよなあ。仮にも上場企業なので株主訴訟なんてことなると大変な一大事であるし、まさかとは思うが、という一抹の不安が頭を余儀らざるを得ない。
いまのところは捜査の推移を見守りつつ、続報を待つしかないわけだが、なんとか立て直してもらいたい。


4月26日(日)「トランプとCNNとNFLと」

さて、第3回の講義の準備をと、朝起きて何気なくテレビをつけてCNNニュースを見ていたら、トランプ大統領の晩餐会で発砲があったと速報でやっていた。犯人はすでに確保とのことだった。

ニュース内で銃撃があったトランプ大統領の晩餐会会場内には、昨年に銃撃で殺害されたチャーリー・カークの奥さんのエリカさんがいたと報じ、番組では彼女のトラウマを気遣う論評をしていた。

また、トランプの銃撃事件はたまたまジャーナリストとの夕食会だったこともあって、速報を伝える各社の花形キャスターたちがみんなパーティードレスやタキシードなどを着ながらマイクを握って緊迫した現場をレポートしているのが、なかなかシュールな絵だった。

ホテルでの晩餐会でしかも犯人はホテルの宿泊者だったことから、警備の甘さを狙っての反抗計画だった可能性を示唆しているが、個人的にはもしかしたらマスコミの花形キャスターが集まるパーティーでの犯行は即座にリアルタイムで拡散されるだろうということを考慮していたのではないかなと感じた。しかしその観点での論評は少なくとも僕自身の観測範囲では見られなかった。

アメリカの話題をもうひとつ。日本出身のアメフト選手・松澤寛斎選手がついにNFLのレイダーズと正式に契約を交わしたというニュースだ。

ドラフト外ではあるが快挙と言っていいだろう。何を隠そう自分はアメフトのファンで、それゆえ彼のことは前から追っていてXのアカウントもフォローしている。そして何より、自分は長年レイダーズのファンなのだ。当然嬉しいニュースなのだが、テレビのジュースでの取り上げられ方を見て困惑するところがあることは否めない。

まず当のレイダーズはデレック・カーがチームを去ってからというもの惨憺たる状況が続いててファンとしてはゲームを見るのも辛い状況なのだけれど、そんなことは知らない日本のマスコミが殺到して、例によって変テコなフィーバーが起きないといいなあと願っている。

大谷さんフィーバーを見てても思うけど、ましてやNFLはMLBとは比べ物にならないほどにアメリカでは人気も注目度も高いスポーツである。それゆえ無名の新人キッカーが、それもドラフト外で(熱狂的ファンを持つ人気チームではあるとはいえ)近年は成績の振るわない弱小チームに入団したくらいで、スター選手のような取材陣を引き連れて移動する、みたいなあまりに恥ずかしいことにはならなければ良いがなあと切に願うばかりであった。


まあ、そんな感じ。ようやくこの週報がリアルタイムに追いついてきたわけだけれど、気づけばもうゴールデンウィークというわけなのだ。それにしても自分の課題意識はアメリカ的なものあるいはコスモポリタン的な視点に偏っていて、およそ日本のドメスティックな視点での議論に(これまでもそうだったが)いよいよ関心がなくなりつつある。それが果たして良いことなのかわからないが、少なくとも直近の身近な生活にとってはマイナスのほうが多いのだろうなあ。

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