差別について
偉い人や強い人や凄い人を、「その人が偉いから・強いから・凄いから」大事にする人は誰が見ても嫌な人で、
目下の人や子どもや弱者を、「その人が弱者だから・子どもだから・目下だから」大事にする人は立派な人だ、ということになっていますが、
わたしにはその両者の違いがよくわからないんです。
両方とも、相手を分別して態度を決めています。「偉いから」「目上だから」、あるいは「子どもだから」「弱者だから」というふうに。
「この人は〜だからこう扱う」というわけです。
それは差別ではないのでしょうか?
誰でも、もし「その人」が道に迷っていたり苦しんでいたとすれば、
そして助けることがその人を損なうことではないと確信できたら、
たとえ相手がどんな人でも、その人の前に立ってその人の話を聞けばいいと私は思うんです。
偉い人や強い人におもねる人は悲しい人だと思いますが、
子どもや弱い人に寄り添いたがるのはイネーブラーだ、とわたしは思っています。
強い人も弱いし、弱い人も強い。
強い人の持つ弱さを感じられなければその人と対話することはできません。
そして弱い人の持つ強さを見ない人は相手を損なうのだと思います。
相手の表面的な属性だけを見て一概に差別するのは、
とても愚かなことだとわたしは思うんです…
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