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小学校受験 | 母は双極性障害。毒親、共依存。ヤングケアラーだった私の幸せに生きるためのヒント。


母は

「私の時代は女で大学なんて行く必要はないと
言われたため大学に行くことができなかった。」

と学歴に対するコンプレックスが強い。

(そう言われると勉強がよくできたかのように感じるが
偏差値の高い学校に通っていたわけではない)



父は地元で最も偏差値の高かった公立高校から
国立大学を卒業しています。


母は他に好きな人がいたけれど
その人は高卒だったので
学歴のない人とは絶対に結婚できなかったと
言っています。


学歴のない人とは絶対結婚したらだめよ
と散々口酸っぱく言われながら育ってきました。


いつのまにか
私の好きになるタイプの人は
母が好みそうな人に
なっていきました。


それはまたいずれお話しようかと思います。




話を戻して
幼い頃から学歴が大事と
植え付けられていました。

母には憧れていた小学校がありました。
それは母の幼稚園の友だちの通っていた国立小学校です。


娘には私の代わりに行ってほしいと思っていました。

したがって
姉も私もその小学校を受験。


まずは姉の話からしようと思います。



姉の小学校受験


姉に関してはお受験に強い幼稚園で
先生から厳しく教育をされていたようで

(鼓笛隊でできなければ
廊下に立たせるということがあった)


そういったことがあり
幼稚園に通いたくないという
気持ちになっていました。


しかし母のことも怖くて
自分の気持ちを伝えることが
できなかったと聞いています。


母も娘が立たされていることは
知っていたようで


先生に言われたことができない
姉に対して恥ずかしい気持ちがあったようです。


姉は早生まれなので
そういった周りと比べた発達の問題も
きっとあったかと思います。

酷い話です。


姉は今でも
その当時の先生のフルネームを覚えていて
恨み話を聞かされます。


さて、
いざ小学校受験をしますが
姉は不合格の判定でした。


面接のときに
父のところに駆け寄ってしまったようです。


幼稚園で
厳しい教育を受けていたらこそ
大人が怖いという気持ちが
根底にあって


両親から離れられない状態に
なっていたのではないかと
考察します。



母は姉の不合格の結果が
大変ショックでした。




私の小学校受験


そして私の番になります。
私はとても大人しい幼少期で
3才までまともに
話をすることがありませんでした。


心配になって母は私を病院へ
連れて行ったこともありました。


そのような大人しい私ですから
お受験幼稚園に行っても
また母は恥をかくかもしれない
と思ったのでしょう。


私は家から近い
のびのびと過ごせる幼稚園に通いました。

のびのび好きなことをして
過ごしていた記憶があります。

創造性を育むことができたと考えます。


習い事は

体操
水泳
造形教室
ヤマハ(エレクトーン)



受験対策については 

特別塾に通うことはありませんでした。
冬季講習だけ行ったことは覚えています。

あとは
家でリボン結びの練習をしたり
ボールつき
ダンス
面接の練習
をしていました。


そして受験当日。

母は大人しい私に対して
少しでも明るく見られるようにと
真っ赤なワンピースを着せて
お受験に行かせました。

かなり目立っていたと思います。
普通じゃ考えられませんよね。
大体みんなネイビーのセットアップでした。

受験内容について


今でも覚えていることは
何個かあります。

その中でも
面接の内容で


「あなたは家族にプレゼントをあげるとしたら
誰に、何をプレゼントしますか?」

という質問がありました。


周りの子は
ポケモンのぬいぐるみを
お母さんにプレゼントする
と言っていたと記憶しています。


私はというと
アンパンマンのお話で
花瓶を作る?陶芸?のお話があり
そのお話が大好きだったため

「姉に花瓶をプレゼントします。
綺麗なお花をかざってほしいです。」

と言いました。


6才にしては渋い回答w


でもこの回答が個性的で
よかったのかもと思います。


そして受験結果は合格。

母だけで行ったガラガラのくじも無事赤玉でした。


そういえば
何もわからず国立小学校を
受験させられていました。

合格がわかってから
幼稚園の友達と同じ小学校へ
通えないことを知りました。

改めて小学生の頃のことを
書いていきたいと思います。


私が母の敷いたレールを歩むきっかけとなった

小学校受験。

そして共依存へ。

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