Dhammapada103・104・105
103
最も偉大なる勝利。数多の敵を打ち倒すのではなく、たったひとりの自らに打ち勝つこと。
104 105
自分自身に勝てる者は、そうとも! 過去未来の、数多なす他者に勝るのである。自我を調伏し、完全な平静の中に置ける者が手にしたこの勝利を、天も、悦楽も、魅惑も、たとい至上の神であるとて、敗北に貶めることは叶わぬ。
Yo sahassaṁ sahassena,
凡是 千 千
saṅgāme mānuse jine;
戰鬥 人 勝過
ekañca jeyya-m-attānaṁ,
一 但是 勝過 自我
sa ve saṅgāmajuttamo.
他 確實 戰勝 最上
Attā have jitaṁ seyyo,
自我 嘿!確實 勝過 比較好
yā c' āyaṁ itarā pajā;
凡是 但是 此 其他 世代子孫
attadantassa posassa,
自我 調伏 人
niccaṁ saññatacārino.
常 完全止息 行
N' eva devo na gandhabbo,
不 如此 天 不 乾達博
na Māro saha Brahmunā;
不 魔羅 一起 梵天
jitaṁ apajitaṁ kayirā,
勝過 敗北 作
tathārūpassa jantuno.
如是形色 人
If one man conquer in battle a thousand times thousand men, and if another conquer himself, he is the greatest of conquerors.
One's own self conquered is better than all other people; not even a god, a Gandharva, not Mara with Brahman could change into defeat the victory of a man who has vanquished himself, and always lives under restraint.
彼於戰場上,雖勝百萬人;
未若克己者,戰士之最上!
能克制自己,過於勝他人。
若有克己者,常行自節制。
天神乾闥婆,魔王並梵天,
皆遭於敗北,不能勝彼人。
己に勝つことが至上。まさしく、まさしく、なのである。「それができねえという前提に目をつぶればだがよぉ~」というやつである。まぁ目指しはしましょうね。
たとえば、なのだ。こうしてダンマパダを読むという行為は、完全に自身の欲に基づいている。俺の心の中を様々に棚卸ししたい、という欲である。そこに修身の思いなぞ欠片も無い。「そう呼ばれている行い」にはなるのかもしれないのだが、動機が動機である以上、自分にとってはエンタメ的行為としかならないのだ。この状態で己に勝つことができるのか? 有り得ないだろう。欲をほしいままにしているだけのことなのだから。
そういう意味では響かない言葉でこそあるのだが、一方でこうは考えることができる。己の欲するところ、求めるところ、「以外」をどれだけそぎ落とせるか。こうした部分で、たとえば日銭を頂戴するためのあれやこれというのは不可避でこそあれそれに対してどれだけ心の負荷を最低限とできるか、みたいな形で進めることはできる。
そうした「自らの欲に赴く気持ち」に対する雑念に打ち勝つ、みたいな付帯的な意味でこの言葉は転がしておきたいものである。欲望以外の部分に目をやってしまう弱さには勝ちたい。これは確かに偉大な勝利なのだ。
