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【創作大賞2026】「僕を馬鹿にしているのか」ー 壊された私のなかの「患者」という言葉

「君は、僕を馬鹿にしているのか」

私は一瞬、息をのんだ。
時間が止まったような気がした。

ある哲学者との出会いが、
私の中にあった「患者」という言葉を、
静かに壊していった。


患者さんは、60歳代の男性。
大学で哲学を教えていた哲学者だった。

脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害があり、
日常生活に支障をきたしていた。

リハビリ初日。

1桁の加減算のプリントを提示したときだった。

「君は、僕を馬鹿にしているのか」

一瞬、言葉を失った。

目的を説明し、課題に取り組んでもらうと、
「+」「-」の取り違えなどの単純なミスが目立った。

患者さんは、無言だった。

「病気の影響で、苦手になっているだけですよ。
リハビリを続ければ、ミスは減ります」

そう声をかけ、リハビリを終えた。

翌日、患者さんはリハビリを拒否した。

「馬鹿にされているようだ」
「学生と同じような年齢のスタッフにリハビリをされたくない」
「プリント課題なら自分でもできる」

そこで、先輩たちがフォローに入った。
6年目、8年目、サブリーダー、リーダー…

しかし、誰がリハビリをしても拒否は変わらなかった。

拒否が続いて約1週間。
再び、私がリハビリをする日。

私は一つの論文を手に、
患者さんのもとへ向かった。

「先生、ここが分かりません。
教えていただけますか。」

その論文の著者は、その患者さんだった。

私は、哲学にほとんど触れたことがなかった。
倫理の授業で、ソクラテスやカントの名前を聞いた程度。
当然、論文の内容はほとんど理解できなかった。

それでも、
寄り添いたくて、
理解したくて、
その人生に触れたくて、
必死に読み込んだ。

書き込みで赤や青に染まった論文を見て、
患者さんは言った。

「それ、読んだの?
どこが分からなかったの?
少し話そうか」

その日から、
患者さんは「先生」となり、
リハビリ時間は、先生の「講義の時間」となった。

私は講義を理解するために、
毎日、必死で哲学書や論文を読んだ。

先生はリハビリ以外の時間に、
講義内容の準備や私の質問への答えを考えた。

お互い、それぞれの立場で本気だった。

3か月後。

高次脳機能障害の症状は改善し、
単純な計算ミスも見られなくなった。

退院前日。

先生は一冊の本を手渡してくれた。
先生が初めて執筆した本だった。

哲学者を目指したきっかけや、
影響を受けた哲学者の話が綴られていた。

最後の講義は、その本をもとに、
お互いの「哲学」を語り合う時間となった。


病気をすると、人は「患者」と呼ばれる。
医療従事者は、その「患者」を治療する。

しかし、呼び方が変わるだけで、
その人の知識や経験が失われるわけではない。

私が言語聴覚士である前に、一人の人間であるように、
先生もまた、「患者」である前に一人の人間だった。

先生から学んだことは、哲学の知識だけではなかった。
「教える」のではなく、「教わる」という在り方だった。

目の前の患者さんは、人生の先輩であり、
それぞれの知識や経験を持っている。

このとき初めて、
私のなかの「患者」という言葉を疑った。

あの時、あの人は、
確かに、私の先生だった。

そして今も、
ときどき、その本を開く。

そのたびに私は、
「患者」という言葉と向き合い、
あの日の先生を思い出す。

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