サトリ 第7話 「見ない」
☘️ 人は、全部を知るために ☘️
生きているわけじゃない。
だから今日も、
見ないという選択が、
誰かを守っている。
🍀 🍀 🍀
放課後。
「じゃあ、また明日」
「うん。またね」
サトリは友達と別れ、校門を出た。
六月の終わり。夕方の風はまだ少し湿っている。
制服の裾を揺らしながら、いつもの道を歩く。
交差点の手前で、一人の男とすれ違った。
黒いスーツ。
年齢は四十代くらいだろうか。
どこにでもいるような、ごく普通の男だった。
その瞬間だった。
サトリの足が止まる。
男は振り返らない。
そのまま歩いていく。
サトリは小さく息をのみ、目を閉じた。
「……視ない。」
誰にも聞こえないほどの声だった。
男の背中が人混みに消えると、サトリは何事もなかったように歩き出した。
けれど、その足取りは少しだけ重かった。
◇
神社の参道へ続く道には、小さな団子屋がある。
店先の赤い毛氈の長椅子に、見慣れた顔が座っていた。
「あ。」
ナオトが気づいて手を挙げる。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「今日はこっち?」
「たまには寄り道です。」
ナオトは湯のみを持ち上げた。
「団子、食べる?」
「……一本だけ。」
「じゃあ、おごる。」
「……それは断ります。」
「どうして?」
「借りを作ると、あとで怖いですから。」
「ひどい言われようだな。」
サトリが少し笑う。
でも、その笑顔はどこかぎこちない。
団子を食べ終えると、サトリが立ち上がる。
「少し、お参りしませんか。」
「いいよ。」
二人は参道を歩き始めた。
石段の一段一段を、ゆっくり上っていく。
蝉が鳴き始めていた。
いつもなら何か話すサトリが、今日は静かだった。
「疲れた?」
ナオトが振り返る。
「……少しだけ。」
そう答えたあと、サトリは空を見上げた。
本当は疲れてなんかいない。
ナオトは、そんな気がした。
◇
二人は手を合わせ、境内のベンチに腰を下ろした。
風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが聞こえる。
「今日は静かだね。」
「そうですか?」
「うん。いつもより。」
サトリは少し考えるように沈黙した。
「……変な人と、すれ違いました。」
「変な人?」
「はい。」
「何が変だったの?」
サトリは答えない。
境内の木漏れ日を見つめたまま、小さく首を振る。
「わかりません。」
「でも、変だった。」
「……はい。」
ナオトは、それ以上聞かなかった。
聞かないほうがいい気がした。
「ナオトさん。」
「ん?」
「人のことを、知らないままでいるほうが幸せなことって、あると思いますか。」
思いがけない質問だった。
「あるんじゃないかな。」
「どうして?」
「全部知ってしまったら、想像する楽しみがなくなるから。」
サトリは小さく笑った。
「それ、ナオトさんらしい答えです。」
「はずれ?」
「いいえ。」
サトリは立ち上がる。
「……そうかもしれません。」
石段へ向かう夕日が、長い影を落としていた。
二人は並んで歩き始める。
そのとき。
参道の下から、一人の男が石段を上ってきた。
黒いスーツ。
サトリの歩みが、一瞬だけ止まる。
「どうした?」
「……いいえ。」
サトリは男から目をそらし、静かに歩き続けた。
男もまた、二人を見ることなく、そのまま境内へ消えていった。
誰も振り返らなかった。
ただ、風だけが木々を揺らしていた。
おわり
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