見出し画像

天下を終わらせた男〜短刀の鞘〜第二十七章 約束

霧は、まだ消えていなかった。

関ヶ原の戦は、均衡していた。

槍はぶつかり、矢は飛ぶ。

だが、決め手はない。

その戦場を、上から見ている男がいた。

松尾山。

小早川秀秋 は、黙っていた。

霧の向こう。

西軍の陣。

その奥にいる男を知っている。

石田三成。

長い沈黙。

秀秋は懐に手を入れる。

指先が触れる。

折られた一通の書状。
差出人の名はない。

だが、分かっている。

ゆっくりと懐に戻す。

そして言った。

「……行くぞ」

槍を取る。

戦場へ向ける。

「小早川勢」

「進め」

次の瞬間。

松尾山が動いた。

軍勢が、雪崩れる。

「小早川が動いた!」

「裏切りだ!!」

その叫びが、霧を裂いた。


その声を、静かに聞いている男がいた。

大谷吉継。

家臣が駆け込む。

「殿!」

「小早川軍です!」

「こちらへ向かっております!」

吉継は、わずかに笑った。

「……そうか」

少し間。

「来たか」

そして小さく言う。

「佐吉」

「約束通りだな」

家臣たちは息を呑む。

吉継は続ける。

「迎え撃て」

地が揺れる。

小早川軍が迫る。

矢が降り、槍がぶつかる。

「敵来襲!」

「押し返せ!」

だがその中央。

輿の上で、動かぬ男がいる。

吉継は耳を澄ませていた。

足音。
槍の音。
兵の叫び。

「……よく戦っている」

家臣

「殿、敵は三倍以上!」

吉継

「構わぬ」

家臣

「輿を!お下がり下さい!」

吉継

「動かすな」

少し間。

「ここが、戦の中心だ」

兵たちがその声を聞く。

「殿は退かぬぞ!」

「踏みとどまれ!」

槍衾がぶつかる。

だが、押される。

一人、また一人と倒れる。

家臣が膝をつく。

「殿……陣が……」

吉継は静かに言う。

「案ずるな」

少し間。

「佐吉は、勝つ」

兵たちは顔を上げる。

吉継は続ける。

「この戦で」

「天下は終わる」

やがて
陣は崩れた。

家臣が叫ぶ。

「殿!退きましょう!」

吉継は首を振る。

「退かぬ」

槍の音が近づく。

吉継は空を向く。

霧が、薄れていく。

「……佐吉」

「酷い男だ」

わずかに笑う。

「だが」

「見事だ」

静かに短刀を取る。


関ヶ原は、崩れていた。

「敗走だ!」

「西軍総崩れ!」

味方は逃げ、敵は追う。

その中でただ一つ、動かぬ陣があった。

島津の陣。

馬上の男が、戦場を見渡す。

島津義弘。

沈黙。

霧の向こうで味方が崩れていく。

義弘は呟く。

「……何だ」

誰も答えない。

そして吐き捨てる。

「何だこの戦は」

少し間。

「茶番か?」

家臣

「殿!退路がございませぬ!」

義弘は槍を上げる。

「ならば」

「突き破る」

島津軍が動く。

敵中へ。

中央へ。


東軍本陣。

「勝負は決しました!」

その声の先で
徳川家康 は戦場を見ていた。

霧の向こう。

崩れる西軍。

沈黙。

やがて言う。

「……違う」

家臣が顔を上げる。

家康は小さく言った。

「勝ったのではない」

少し間。

「勝たされたか」

霧が、晴れていく。


関ヶ原。

その戦は――

すでに終わっていた。

いいなと思ったら応援しよう!