文は人なり。読も人なり。
同じ文章を読んで、違うことを考える。
その差は、たぶんキャリアそのもの。
キャリア設計に関するイベントに参加する前、
案内ページに書かれていた注意事項を、なんとなく眺めていた。
「録音、録画、撮影などはご遠慮ください」
「価値を最大化するため、手書きでの記録を推奨しています」
「スマートフォンは音の鳴らない設定でお願いします」
ナンセンス。
はじめはそう思った。
AIが当たり前になり、
音声は勝手に文字になり、
メモと思考の距離がずいぶん近くなった今、
この注意書きは、少しだけ現実から浮いて見えた。
イベントのテーマはキャリア設計。
しかも、E・S・B・Iクワドラントを引用した内容とのこと。
Eクワドラント。
言われたことを、きちんとやる人。
ルールを守り、期待に応え、
安定した価値を提供する人。
その前提で読むと、
この注意書きはとても素直だ。
書いてある通りに受け取る。
余計なことはしない。
「ご遠慮ください」は、やらない。
間違っていない。
けれど、どこかすごく窮屈でもある。
読んでいるうちに、
別の読み方が頭をよぎった。
Bクワドラントの人って、
たぶん、こういう文章をそのままは読まない。
「で、目的は何だっけ?」
「本当に防ぎたいのは、どこ?」
「価値を最大化するって、誰にとって?」
ルールを守るかどうかの前に、
意図を解釈し始める。
録音は禁止、と書いてある。
でも「禁止」という言葉は使っていない。
スマホは鳴らさないで、と書いてある。
でも「使うな」とは書いていない。
手書きが推奨されている。
でも、それが唯一の正解とは書いていない。
全部、婉曲だ。
判断の余白がある。
ここで、ちょっと意地悪な見方をしてみる。
もしこれが、
「キャリア設計」を語るイベントだとしたら。
しかも、
「言われたことをそのままやる人生」から
「自分で設計する人生」へ
視点をずらす話だとしたら。
この注意書き自体が、
すでに問いになっている可能性はないだろうか。
どう受け取る?
どう解釈する?
どこまでをルールと見なす?
たとえば、周囲に迷惑をかけず、
内容を外に出さず、
自分の理解を深めるために、
AIで文字起こしを行う。
それは「ルール違反」なのか。
それとも注意書きにあえて書かれた「価値最大化」なのか。
たぶん答えは、
書いていない。
書いていないからこそ、
その人のスタンスがにじむ。
気づいたら私は、
この注意書きを、
講演の前説みたいに受け取っていた。
もしかしたら、ただの偶然。
もしかしたら、深読みしすぎ。
でも少なくとも、
「どう読むか」を考えさせられた時点で、
このイベントはもう始まっている気がした。
キャリア設計って、たぶん
こういうところから始まる。
