秋葉原とコンカフェ|娘かメイドさんか
「そこのイケメンなお兄さん」
男というものは単純である。
秋葉原を娘と歩いていた時のことだ。日曜日の秋葉原は歩行者天国になっていて、車道の真ん中を堂々と歩けた。普段なら車が走っている場所を歩いてると特別な人間になった気分になる。
「写真撮ろうや」
テンション高めに娘へスマホを向けたが、露骨に嫌な顔をされた。
上京したばかりの頃は、東京の景色にもっと喜んでいたではないか。それが今では、道路の真ん中を歩いても、秋葉原に来ても、娘は「恥ずいって」と端へ寄っていく。
「これが東京に染まったというやつか?」
パパはまだ、山手に入るたび心の中で旗を振っているというのに。

秋葉原といえば、もっと電気とアニメがむき出しの街だと期待していた。ごちゃごちゃしていて、看板が強くて、どこか怪しい。そんなイメージがあったのに、実際に歩いてみると、そういう場所はほんの一区画でしかなかった。
それでも、街角に立つ女の子たちは秋葉原だった。
昔なら「メイド喫茶」と言っていたものが、今や「コンカフェ」と呼ばれている。コンセプトカフェの略だという。メイドさんと言うとオタクっぽいが、コンカフェと言われると今どきのバイトに聞こえてくるから不思議である。どおりでメイドさんだけでなく、忍者やたぬきがいるわけだ。

娘に聞くと、学校でもコンカフェで働いている子は多いと教えてくれた。娘は普段、焼肉キングでバイトをしている。ただ、コンカフェでバイトしてる子たちは、娘の一ヶ月分の給料を一日で稼ぐらしい。
「なんで、やらへんのや?」
“危ないからあかん、男相手の仕事なんかあかん、夜っぽい雰囲気はあかん”と父親としては止めるべき場面かもしれないのに、それ以上に欲と好奇心が勝ってしまった。“自分が女だったら、絶対にやってた”と思うのは、男だからなのか。
娘は「恥ずかしいから」と即答した。知らない男に愛想を振り撒くのが嫌らしい。
「......おかしい」
焼肉キングでも、お客さんに「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶し、食べ放題のシステムを愛想良く説明してるではないか。「足を出すのが嫌」と言いながら、なぜ制服のスカートは無駄に短くしているのか。
「そこのイケメンなお兄さん」と声をかけ、足を止めさせ、店へ入ってもらう。これはなかなかの営業力である。パパは娘に「女は愛嬌や」と育ててきたはずだ。笑顔で挨拶し、相手の懐へ入る。愛嬌は立派な能力だ。
「稼げるなら、やったらええやん」と、かなり“心の広い父親”をしているつもりだったのに、本人は全く乗ってこない。陰でコソコソと働かれ「入店したら娘がいた!」の方が、よっぽど恥ずかしいではないか。
そんなコンカフェ談義に花を咲かせながら、娘の用事に付き合った。娘と一緒に歩いている時は、コンカフェの女の子たちは声をかけてこない。親子連れは対象外なのだろう。ところが、喫煙所目的でひとり歩いてたら、やたらと声が飛んでくる。
「そこのメガネのお兄さん」
秋葉原でそれは雑すぎやろ。
メガネをかけた男など、そこら中にいるではないか。こちらを狙っているのか、周辺の五人くらいをまとめて撃っているのかわからない。
ところが次の子は違った。
「そこのイケメンなお兄さん」
振り向いた。
悔しいが、振り向いた。そのまま娘を放っぽりだして、お店まで案内されるとこだった。
稼ぐ子は言葉の選び方が上手い。男というものは単純である。メガネでは振り向かないが、イケメンなら振り向く。たとえそれが営業トークだとわかっていても「もしかして、わしのことか」と思ってしまう。
これはもう技術である。
「ほら、言葉のチョイスや。どう言えば男が喜ぶか。そこが大事なんや」
娘に熱く営業の極意を伝えると、ゴキブリでも見るかのような冷めた目でパパを見た。
「無理」
親のありがたい営業講義は、秋葉原の路上で即日却下された。
ついでに、コンカフェで働いて稼いだお金で、パパに電動自転車をプレゼントしてくれるという未来案も提示してみたが、それも当然のように却下された。

秋葉原は変わった街である。
電気の街であり、アニメの街であり、アイドルの街であり、コンカフェの街でもある。だが、その日いちばん強く感じたのは、街の変化より娘の変化だった。
道路の真ん中で写真を撮るのを恥ずかしがり、コンカフェの話には乗らず、父親の営業論にも耳を貸さない。パパがまだ東京に浮かれているあいだに、娘はもう東京の日常側へ回っていた。
メイドさんは、知らない男を振り向かせる言葉を知っている。しかし、パパが娘を振り向かせる言葉は、秋葉原のどこにも売っていなかった。

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