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50年前、友達の家で見た“でっかい箱”……私とテクノロジーの出会いをたどってみた【源流をたどる #1】

こんにちは、yasuです。

来月から、一ヶ月間の沖縄滞在に向かいます。
学生時代を過ごした、懐かしい土地。
新しい挑戦が始まる前に、ふと、自分の“源流”をたどってみたくなりました。

なぜ私は、AIをこんなにも自然に「相棒」として迎え入れられているのだろう。
なぜ「テクノロジーと人間らしさの両立」を、これほど大切にしたいと思うのだろう。

その答えは、もしかすると遠い昔。
私がまだ小学生だったころの、ある日の出来事にまで遡るのかもしれません。

今日から4回にわたって、私の道のりを少しずつ言葉にしていきます。
テクノロジーとの出会い、二人の師との出会い、推進役として走った日々 そして、現在のWAYに至るまで。

第1回の今日は、「テクノロジーとの最初の出会い」のお話です。


50年近く前、友達の家で見た“でっかい箱” 

私とテクノロジーの最初の出会いは、おそらく小学生のころです。
今から50年近く前のことになります。

ある日、後輩の家に遊びに行ったとき、そこに「でっかい箱」が置いてありました。

机のような、どっしりとした大きさ。
横にはカセットテープを入れるところがあって ディスプレイは細長くて白黒。
そんな、いかにも黎明期のコンピューターでした。

カセットテープを読み込ませると、簡単なゲームができる。
そう聞いて、ワクワクしながら待ちました。

ところが、これがなかなか時間がかかる。
ジー、ジーと音を立てながら、テープがゆっくり回っていきます。

ようやく始まったゲームは、シンプルなものでした。
正直なところ「こんなに時間をかけて、これだけか」と思ったのを覚えています。

それでも、画面の中で何かが動く。
自分の操作に、機械が反応する。
家にコンピューターがある家庭なんて、ほとんどなかった時代です。
その光景は、子どもの私にはまるで魔法のように見えました。

「すごいことやるコンピューターが、家にあるなんてすごいなあ」

ただただ、目を丸くしていた小学生の私。
あのときの驚きは、今でも体の中に残っている気がします。


中学生の頃、父が持ち帰った「BASIC」のパソコン

時は流れて、中学生のころ。
今度は、父が兄弟からもらってきた「コンピューターのようなもの」が、わが家にやってきました。

BASICという言語しか動かないような、ごく初期のパソコンです。
父は、ものは何でも好きなタイプでした。
おそらく、自分が触ってみたくて持ち帰ったのだと思います。

ただ、父は自分だけのものにすることはなく 私にも使い方を少し教えてくれました。

「円を描くときは、CIRCLEって入れて、座標を指定するんだよ」

そう教わって、見よう見まねで打ち込んでみると、画面に円が現れる。
別の命令を入れると、三角が描かれる。

そして父と一緒に、絵を描いたり 風船のようなものを画面の中で飛ばしたり。
うまくいったり、失敗したり。

「お、できた!」「あれ、なんでだろう?」 わいわい言いながら、二人で盛り上がった夜が、今でも記憶に残っています。

父が、なぜそれを家に持ち込んだのか、深い理由はわかりません。
ただ、家にコンピューターがあるという環境を そして一緒に触ってみる時間を、自然に与えてくれたこと。
それは振り返ってみると、とても大きな贈り物でした。


学生時代、沖縄の教授から渡されたカセットテープ

そして大学生のころ。 私は沖縄の大学で学んでいました。

ある日、ゼミの教授から、こんなことを頼まれました。

「このカセットテープ、パソコンで文字起こししておいて」

当時はワープロがようやく一般的になってきた時代。
パソコンで文字起こしなんて、まだ一般的ではありませんでした。

しかも、渡されたテープの中身は、当時の日銀総裁の講話のようなもの。
専門用語だらけで、何を言っているのか、聞いてもなかなか頭に入ってきません。

「とんでもないことを頼む人だなあ」

そう思ったのを、正直に覚えています。

カセットテープを再生しては止め、聞こえた言葉をキーボードで打ち込む。
止めては巻き戻し、また再生する。
何度も同じ箇所を聞き直しながら、必死に画面に文字を並べていきました。

今だったら、AIに任せれば一瞬で終わってしまう作業です。
でも、当時はそれを、人の耳と指で、ひとつひとつやるしかなかった。

時間はかかります。
間違えることもあります。

それでも、画面に少しずつ言葉が並んでいくのが、なぜか嬉しかったのです。

きっと、私はもう、テクノロジーが「好き」だったのだと思います。
だから、難しくても、面倒でも、続けられた。

実はこの教授、私のことをいつも気にかけてくださる、温かい先生でした。
若い女性の教授で ゼミの帰りに一緒にアイスを食べに行ったり コーヒーを飲みながら他愛もない話をしたり。

私がタバコを吸っていると「体に毒よ」と笑ってくださる。
当時の私が住んでいたのは、扇風機もないようなアパートでした。
そんな私のところに、ある日突然「もう使わないからあげるよ」と 冷風扇を持ってきてくださったこともありました。

そんな先生だったからこそ、「とんでもない依頼」も、断らずに引き受けたのだと思います。
報酬があったかどうかも、もう覚えていません。
でも、あの時間は、確かに私の中に何かを残してくれました。

この経験が、後に教員としてICTに深く関わっていく、大きなきっかけになっていきます。


出会いはいつも、“身近な誰か”を介してやってきた

今こうして振り返ってみると、ひとつのことに気づきます。

私とテクノロジーの出会いは、いつも“身近な誰か”を介してやってきた、ということです。

小学生のころの後輩。
中学生のころの父。
そして大学生のころの、沖縄の教授。

それぞれが、自分の世界をほんの少し広げてくれた人たちでした。

もしあのとき、後輩の家に遊びに行っていなかったら。
もし父が、あのパソコンを持ち帰っていなかったら。
もし教授が、あの「とんでもない」依頼をしてくれなかったら。

今の私は、きっとここにいません。

人は、人を通して、新しい世界に出会っていく。
そんな当たり前のことを、今あらためて噛みしめています。

そして、これは今の私がAIと向き合う姿勢にも、深くつながっています。
AIは、ただの道具ではありません。
新しい世界への扉を、そっと開いてくれる“相棒”のような存在。

そう感じられるのは 過去にそうやって誰かが扉を開いてくれた経験があるからなのかもしれません。


次回予告……師との出会い

教員になってからの私には、もうひとつ大切な出会いがありました。
ICTにとても詳しい、ある先輩の先生との出会いです。

3、4人の仲間と一緒に、夜、先輩の家に通った日々。
レクチャーのあとに交わした、コーヒーを片手の他愛もない雑談。
振り返ってみると、その時間が、いまの私の“学び方”の原点になっていたのかもしれません。

そしてもう一人。
もっと前、私が小学6年生のときに出会った、忘れられない先生のことも、次回お話ししたいと思います。

二人の“静かな師”の物語。
木曜日、お会いしましょう。


結び

50年前の、友達の家の「でっかい箱」。 中学生の頃の、父と一緒に触ったBASICのパソコン。
学生時代の、沖縄の教授から渡されたカセットテープ。

どれも小さな出来事です。
でも、その小さな積み重ねが、今の私の歩みにつながっています。

そして来月、私はその学生時代を過ごした沖縄に、もう一度足を踏み入れます。
AIを相棒にした働き方を模索する今の自分が、あの懐かしい土地で何を感じるのか。

それもまた、これからの記事の中で、少しずつ言葉にしていけたらと思っています。

あなたにも、振り返ってみると「ああ、あれが始まりだったのかもしれない」と思える出来事はありませんか。
よかったら、コメントで教えてください。 私たちの“源流”を、ゆるやかに交換できたら嬉しいです。

それでは、また次回。
木曜日にお会いしましょう。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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