卒業のとき
先週の土曜日に、子供達が通う日本語補習校の終業式&卒業式が行われた。
日本語補習校に通うということ
長女が卒業した。
この補習校には4歳の時、幼稚部の年少から通っている。その子が小学校を卒業した。
(今後も中学部に通うが)
早いものだなぁとしみじみ思う。
ドイツの小学校は4年間で終わるので、娘はすでに2年前からギムナジウムに通っている。
ギムナジウムは9年間、13年生まであり他国より1年遅い19歳での卒業となる。
ドイツの小学校時代は、日本人の私の感覚では本当にアッという間に終わり、感慨に浸る間もなかった気がする。
やはり私には小学校は6年間がしっくり来るようで、だから補習校の卒業はひときわ様々な思いがあった。
特にこの3年間は補習校の運営委員になり、運営サイドで関わり、私事でも色々あった中、またコロナ禍という特殊な状況で、長いような短いようなの3年間だった。
この日、13年間補習校の講師をされたH先生がご退職された。私よりも少し上の世代で、彼女自身成人に近い息子さん達がおられる。
週1回の補習校だが、H先生を始めどの先生方も情熱を傾けて「先生」でいてくださる。
補習校に通う生徒のおよそ半分は、駐在の日日ファミリーの子供達で、残り半分は日独ハーフだ。
(それ以外のハーフの子供達も在籍する)
必然的に同学年のクラスメートでも、日本語が母国語で全く不自由しないレベルと、かなりたどたどしい生徒がいて日本語能力には大きな幅がある。
なかには、お母さん自身がこの補習校出身のハーフで、子供達はクォーターになるため外見上は全く日本人に見えない子もいる。
また夫婦共に日本人ではないが、日本に一時期暮らし、そこで子供が生まれたので日本の幼稚園に通い、ドイツに来てからも日本語を忘れないようにと補習校に通っている子供もいる。
(父親がドイツ人、母親が中国人)
そんなバラエティーに富んだバックグラウンドを持った子供が土曜日の午後、毎週補習校へ通う。
国語3時間と算数1時間。
授業は、文科省の教育要綱に則り進んで行く。
教科書は日本領事館から日本の小学校でも使われている教科書になる。
週一回しかない授業で、その学年で習う漢字を学習し単元を進める。算数も同じだ。
当然家庭学習が必須で宿題はたくさん用意される。
提出されたものを先生方はきちんと見てくださる。作文や読解問題の解答なども丁寧に目を通し、生徒の理解力、文章力を延ばすような指導もある。
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月曜日から金曜日まで、現地校やインターナショナルスクールに通いながら土曜日には補習校、というのは生徒と親と先生の努力なしでは続けることができない。
特にこの2年間はロックダウンにより、完全に学校が閉まった時期も長かった。
混乱の中でどの現地校よりも迅速に、オンラインの授業を立ち上げ授業を続けて下さった。
長らく補習校で情熱を持って教えてくださったH先生の別れの挨拶は、校庭で全校生徒と保護者が集まることができた。
ご挨拶の途中、万感の思いで言葉に詰まられた場面もあり、聴く親も涙々だった。
私はドイツに来て日本語を皆さんに教えるようになって、もっともっと日本語が好きになりました。
もっと日本語と日本のことを知りたいと思うようになりました。
ドイツで二か国語を憶えないといけない君たちがどんなに大変か、先生はよく分ります。本当によくがんばっている。
きっとその頑張りが生きる時がきます
様々な家庭
他の子供が休みの週末にもう一つの学校へ通うこと。
平日の時間、現地校の宿題をやってから日本語の宿題に向かわないといけない大変さ。
日常で自然に目にする機会がない、馴染みが薄い漢字を次々と覚えていかないとならないこと。
それを継続していくことは簡単なことではない。
土曜日が補習校でつぶれることで、家族の時間が減ると他の家族からの反対や「二か国語も勉強させて不憫だ、虐待だ」と言ってくる家族、例えば義理の家族がいたりするケースもあると聞く。
ギムナジウムでは英語以外に、第二外国語も学ぶ。娘はラテン語とフランス語の選択肢から、去年ラテン語を選んだ。
ドイツ語、英語、ラテン語、そして日本語。
補習校に通うたくさんの生徒が、学年が上がり現地校の勉強が大変になってくると日本語学習に手が回らなくなってくる。
土曜日に習い事が入ることも多々ある。
サッカー好きで地元のサッカークラブに所属するようになると、土曜日の午後は試合があったりする。他にテニスやバレエの試合や発表会、どれも日曜日が安息日のため多くは土曜日に行われる。
あるいは、クラスメートの誕生会。
土曜日に招待されると親は悩む。
いつも天秤にかけて、最終的には補習校にどのくらい重きを置いているかにより各家庭の采配で決められる。
我が家のように、父親と母親が別居していても週末にパパの所へ...とは簡単にできない。
補習校には、よほどの理由がない限り通うのが大前提で、これは長子が幼稚部に入ってからの崩せないルールだから。
別居にあたり、半々で子供達をみるという選択肢は無理だと夫には伝えている。
補習校の宿題のサポートは私しかできないし、母親の私と話す機会が減れば、日常で日本語を聞いて話す時間の絶対量が不足してしまう。
ドイツに残る限り「私の最優先順位は日本語教育」というのは夫にははっきり伝えている。

H先生に、最後皆で一輪ずつバラの花を渡してお見送りをすることになった。
もうじき9歳の末っ子は、1年生の時にオンライン授業でH先生から算数を教わった。
「ぼく“よい人生を”って言ってわたしたよ」
と言うので、どうしてそんな言葉を知っているの?と驚いて聞くと、
「 “いい日を...” っていう言い方があるでしょ?でももう会えないからそう言ったの」
「良い言葉を知ってるんだね」
「でもぼく、悪い言葉もけっこう知ってるけどね」
そういう言葉のやり取りを日本語で出来るようになったと思うと、なんだかこそばゆいような嬉しさを感じた。
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日本はこういう「式」をとても大切にする文化を持っている。
補習校で学ぶことは勉強だけではなく、こうした日本の文化や雰囲気、目に見えないけれど我々のなかに脈々と在る日本の空気感を伝えていくことだと思う。
寒いし疲れたし、H先生はよく知らないから車に戻りたいと言う長女を押しとどめお見送りを見届けた。
特に何も言っていなかったが、思春期の娘もあの場にいてそういう雰囲気を感じてくれたかな・・・と思う。
春は別れの季節、そして出逢いの季節。
うつりゆくものを大切にしながら、一歩一歩、時には後ろを振り向き味わいながら、自分のペースで歩んでいきたいと、しみじみ願う季節です。
ときはゆき 背中の季節も 惜しみつつ
眦上げて あゆむ日は春
駆け足で 息せき切った あのころに
忘れがたくも 惜別の朝
