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「有権者」はどこにいるのだろうか。

 選挙の期間になると、最も多く聞かれる言葉の一つが「有権者」だと思う。

 テレビを見ていると、有権者といわれる、というよりは、有権者と取材側から名指されている人たちが、政治について話をしている。

 そういう姿は見ているけれど、その話からは、決して、どの政党を支持しているのか、とか、どの政治家に投票したい、とか、この政治家は許せない。そんな内容が抜け落ちているような気がするし、そういう「感想」や「主観」のようなことが、「有権者」から語られることは、時代が経つに従って、どんどん減っているような気がする。

 それは、本当に「有権者」といわれる人たちが、普段の生活の中でも、政治に対しての「主観」や「感想」を話さなくなっているのか。それとも、メディアで、そういう「主観」や「感想」を取り上げなくなっているのだろうか。


「有権者」の定義

 有権者。漢字だけを見ると、権利がある者。ということだから、どんなものに対しても、権利は発生する可能性があるから、選挙や政治に関するものに限定されるわけではない。

 だけど、「有権者」と検索すると、すぐに、こうした定義のようなものが見つかる。(こういう定義は、まず法律の専門家の見方が一つの基準になると思ってしまう)

 選挙権は、18歳以上の日本国民にあるとされます。この選挙権のある人のことを「有権者」といいます。

(『東京弁護士会 憲法問題対策センター』より)

 やはり「有権者」は、選挙権のある人だった。この接頭語として「選挙」みたいな単語がつけられていないのは、権利の中でも最重要なもの、というような共通認識があるせいかもしれない。

 そして、このサイトでは、さらに戦前は有権者は納税額が一定以上でないと選挙権がない時代があったり、女性は有権者でなかった時代が長かったこととともに、戦後、それまで日本国籍があったのに、その国籍を奪われ、有権者ではなくなった人たちのことに触れ、その上でこうした表現をしている。

 選挙は、有権者がどのような国作りをしたいのかの意思を表明する絶好の機会です。この機会を逃さず、広くつながりあう社会を実現できそうな候補者、政党に思いを託しましょう。

(『東京弁護士会 憲法問題対策センター』より)

 一方で、「有権者」で検索すると、行政側のサイトも候補として上がる。

 有権者になるということは,権利を持つということ,特に政治について重要な役割を持つ選挙等に参加する権利を持つということです。ただ,本当に権利を持つということだけなのでしょうか。

(『京都市選挙管理委員会事務局』より)

 このように、権利の話をするときに、それには義務が伴う、といったニュアンスを共に示すことは、2000年代以降は、行政側にとっては「常識」のようになってしまい、それ自体が正しいかどうかの検討もあまりされていない印象があるとしても、行政の見方としては、今は常識的なのかもしれない。

 有権者になるということは,選挙等を通じてこのような政治の過程に参加する権利を得ることです。同時に,政治に参加しても必ずしも自分の意見が通るわけではありませんが,国民や地域の住民の意思に基づき選ばれた議員が皆の意見を議論し合意された決定に対しては,構成員の一人として従うという義務が生じることとなるのです。

(『京都市選挙管理委員会事務局』より)

 東京弁護士会の「有権者」を説明するサイトには、この「従うという義務」といった表現はなかったから、これは、現在の行政側の見方、のようにも思える。

 法律であれば従わないと罰せられることもあるから、内心はどうあれ、従うことになるのだろうけれど、「決定」という広い話であれば、たとえ「議員が皆の意見を議論し合意された決定」であっても、それに対して反対するのも「有権者」の権利のような気もするのだけど、違っているのだろうか。

 「有権者」という言葉の定義については、どの立場でも、選挙権がある者、と一致しているのだけど、求められる、もしくは望まれる「有権者像」が、その立場によって、かなり違うということは、恥ずかしながら、知らなかった。

 だから、というか、どんな「有権者」になるのかは、自分で決められる、ということになるのかもしれない。

「有権者」は、どこにいるのだろうか

 18歳以上の日本国民が「有権者」とすれば、かなりの人数になるのは容易に推測もできるし、だから、街角のインタビューに答えてくれる人として、探すのであれば、他のテーマよりは、かなり確率の高い作業にはなるはずだ。

 もちろん、そうしたインタビューに答えてくれる人自体が、それほど多いとは思えないので、そうした仕事をしている大変さも想像できるが、何しろ、母数が大きいから、それこそ、ほぼ手当たり次第に声をかけても「有権者」のはずだ。

 ただテレビなどのメディアで、駅のそばでインタビューに答えている「有権者」の姿を見ていて、そして、自分の政治信条や、誰に投票するか、といった言葉が出てこない(それは編集によって取り除かれている可能性も高いとしても)様子に微妙に違和感を抱いていると、同時に「有権者」のいる場所についても、考えてしまう。

 テレビ局だけではなく、ラジオや、新聞や雑誌などメディアの中で働いている人たちの中にも相当数の「有権者」がいるはずだ。

 どうして、その「有権者」に話を聞かないのだろう。

メディアで働く人たち

 個人的には、最初に勤めたのがスポーツ新聞社で、その後、出版社でも働き、その後、フリーのライターとして10年仕事をしていて、合計で15年ほど。しかも、20世紀の話だから、古い出来事になってしまうけれど、自分自身もメディアで働いていたことになる。

 その時の感覚も、昔のことだから参考にならないかもしれないが、マスメディアには、その言葉の中に、マスという表現があったとしても、その会社の人数自体は少なく、中小企業の規模だという印象だった。だから、同時に学生にとっては採用人数が限られていて、応募人数が多くなると、競争率がとんでもなく高くなる業界でもあった(今は、それほど応募が来なくなったのだろうか)

 とても粗い計算だが、現在、マスメディアで働く人たちの人数を少し調べてみる。

 日本新聞協会のデータによると、2025年に新聞社・通信社で働く人たちは、約32000人になる。ただ、ここに掲載されている表を見て、2002年には、約54000人だから、20年で2万人減っている。

 全体が5万人から2万人減っているというのは、約40%減少、ということになるから、これだけを見ても、本当に下り坂の業界と言われても不思議はない。

 さらに、テレビ局には、どれくらいの人が働いているのだろうか。

 テレビ局で働く人の正確な数は分らないが、放送記者が5000人、ディレクターが4000人、アナウンサーが2500人、放送技術者(ラジオ含む)が6000人程度という推計値がある(※1)。業界全体では数万人が働いているともいわれていて、民放キー局の従業員数に限ってみれば、各局数百人から、せいぜい千数百人と、その売り上げ規模、社会的影響力に比べると決して大きくはない。

(『13歳のハローワーク』より)

 そうなると、かなり大雑把な計算になるのだが、新聞・通信と合わせても、10万人弱、ということになる。有権者が1億人として、マスメディアで働いている人は、「0・1%」に過ぎない。人数だけで言えば、マイノリティーと言ってもいいのかもしれない。

マスメディアの中の「有権者」

 有権者の中の「0・1%」であっても、「有権者」には変わりがない。

 街角インタビューで、答えてくれる「有権者」を探し、初めて会った人に、限られた時間でコメントしてもらうことも、報道としては必要かもしれないと思うと同時に、そればかりにこだわる必然性はあるのだろうか。

 マスメディアで働く「有権者」に話を聞けないだろうか。

 平均年齢39.8歳で平均年収1567万円というフジテレビジョンを筆頭に、テレビ局社員の年収はかなりの高額。キー局の番組制作現場では30歳で年収1000万円を超えることも少なくない。一方、地方局の平均年収はその2~3割減といったところ(※1)。さらに、下請けの番組制作会社になると、重労働にもかかわらず30代半ばで年収400~500万円程度とぐっと低くなる。(※2)

※1『週刊ダイヤモンド(2005年11月5日号)』ダイヤモンド社よりp54
※2『業界図鑑2006』実業之日本社よりp278

(『13歳のハローワーク』より)

 たとえば、テレビ関係者であれば、高収入の局員から、平均的な収入の人まで存在するのだし、場合によっては、街角の人よりも、政治に関してとても詳しかったりもするだろうし、「有権者」として、語る場所をメディアでつくってもいいのではないだろうか。

 選挙が近くなったら、地上波でも、そうでなければ、今はインターネットや、動画などで流してもいいのではないだろうか。

 場合によっては、話す人の安全性とか、プライバシーに注意する必要はあるのかもしれないけれど、そのほうが「有権者」としての意見として、視聴者が考えられる材料にもなり得るけれど、どうだろうか。

 報道局などに働く局員は、当然ながら政治のことについて、とても詳しいと思う。その人たちが政治に関して何かを表立って言う時には、株取引で言えば「インサイダー」的なことになるのかもしれないが、それでも、「有権者」にとって有意義な情報だと思われるので、その発言者の身の安全を守りながら、実現させてくれないだろうか。

「選挙特番」の放送時期と、オールドメディア

 選挙期間が始まっている。

 その途端に、本来ならば最も必要な情報である候補者や、政党に関する突っ込んだニュースがテレビなどでは、されなくなるようだ。それなのに、投票が終わった瞬間に「選挙特番」として重要な情報が報道され始める。

 それは、やっぱり意味がないと思う。

 そうした批判がされ、時間が経ち、そして、また同じような報道がされて、批判されての繰り返しで変わっていない。

 これでは、オールドメディアと叩かれても仕方がない。

 マスメディアで働いている「有権者」の意見は、個別ではなく、例えば「選挙特番」として、かなり反映されていると思えるのだから、その放送を、「有権者」が投票の判断材料になる投票日前にしてほしい。

 政治関係からの圧力があるのであれば、法務関係に詳しい人材もいるのであろうし、さらには法律関係のプロの手を借りてでも、放送法などを徹底的に読み込み、投票日前の選挙特番が合法であると戦える準備をしてから、放送してほしい。

 同時に、選挙前の時期にインターネット上で流れている動画の内容についても、事実でなければそれを証明していくような取材力と調査力も見せてくれないだろうか。

 もちろん、これは今はメディアとは関係のない、ただの「有権者」だから言えるような無責任な言葉かもしれない。ただ、この程度のことができないと、今のテレビや新聞は、本当にオールドメディアとして衰退していくしかないのは間違いないと、実は、マスメディアの中の人たちも気づいているはずだ。

 さらには、今後、マスメディアに関する研究など、アカデミックな能力の高い人間も、マスメディアの社員として迎え入れて、戦う力も意識することが必要ではないだろうか。

 何も知らない人間の戯言に聞こえるかもしれないけれど、社会の隅っこで生きている「有権者」の一人として、そのくらいのことは思っている。







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