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入院日記【1】 女医と看護師

「体調どうですか?痛いところとかないですか?」
 病室のカーテン越しに少しだけ身を乗り出すようにして先生は言った。いつもと変わらない前下がりのボブヘアーは今日も艶があり真っ直ぐとしている。顔はといえば、どちらかというと面長でスッと通った輪郭に、少し目力のあるはっきりとした目が映えていた。
「元気です。痛いところも今のところはないです」
 そう答えると少しだけ先生の顔が安堵で緩んだような気がした。
「うん、それなら良かった」
 先生の話し声は少し特徴的で、ハキハキと話す割にその音はみょんというか、みゃん?にゃん?そんな感じでちょっとした猫っぽさのような雰囲気がある。そう思うと可愛さと美しさをバランスよく備えたような猫顔なのかもしれない。
 そんな西先生に代わってから一年くらいになる。先生の印象は最初の頃と何も変わらないが、数ヶ月に一度の受診で会うたびにその魅力が増している気がした。入院になった今はこうして毎朝一度だけ先生に会うことができる。
 翌朝の先生はいつもと違った。その日は丸くて薄い眼鏡をかけていて、その目元は素顔なのかいつもよりも少し薄く見えた。当直明けであろうその姿に思わずキュンとしてしまう。
 いつにもなく無防備に見えるせいか、いつもと変わらないスクラブのV字に開いた首元がやけに色っぽく見えた。
 先生と体調についての話を一通り終えたあと私は訊いた。
「先生、外出ってしても良いですか」
「うん、そうだね。少しくらいなら点滴を止めても問題ないでしょう」
 そう言って微笑む先生が魅力的で見入ってしまいそうになる。
 真っ直ぐこちらを見つめてくる先生の目をちらちらと見返した。
「じゃあ、日が決まったらまた伝えます」
「はい。また決まったら教えてください」
 先生はそう言って病室から戻っていった。
 病棟で過ごす時間は退屈なほど長い。その退屈さを埋めるために持ってきた本やスマホやiPadで少しでも有意義な時間へと変える。それができるのも今日から始まった薬の副作用が出ていない今のうちだけだと思うと、楽しめる時間はさほどない気がした。
 点滴は割と厄介で、元気に動き回れるこの体にとっては足枷でしかない。気をつけていないと、いつの間にか管が曲がっていて閉塞アラームが鳴り出してしまう。
「んー、もしかすると詰まっちゃいましたかね?」
 ベッド脇にしゃがむようにして看護師の女性は私の腕に手を添えた。一つ結びのゆるいお団子が軽く揺れる。彼女は丸っこくて可愛らしい雰囲気の子で、胸元についた名札にはフルネームが記入されており、その隣には新人看護師であることを示す初心者マークのシールが貼られていた。私がその辺のしがない同職者であることはなぜか既にバレていて、彼女は「ちょっと緊張しちゃいますね」なんて言う。
 そんなこと言われながら腕に触れられている私の方が違う意味で緊張している。緊張というか興奮かもしれない。おかげで彼女の名前を記憶する余裕もないまま、誤魔化すように私は彼女へ言った。
「ちょっと針の辺りが曲がっている感じがあるんで、たぶんテープを貼り直せば大丈夫かな」
「あー、ここですね。分かりました。テープ持ってきますね」
 それから少しして彼女は固定用のテープを持ってやってきた。
「ちょっと剥がしますね」
 彼女は左手で私の左腕を支え、もう一方の手でそっと優しくテープを剥がしていく。緊張から少し慎重になっているのか、テープの粘着力が強力なのか、神様がご褒美としてこの時間を長くしてくれているのか定かではないが、テープはなかなか剥がれてはくれない。そうしているうちに彼女の手の温もりがほんのりと皮膚を通して私の元へと伝わってくる。
「けっこうしっかりくっついちゃってますね」
 彼女は少しだけはにかんだように笑った。そのあまりの可愛さに私は危うく昇天しそうになる。
「もう思いっきりいっちゃっていいですよ」
 その言葉に彼女は本当ですか?と上目遣いでベッドに座るこちらへ目を向けた。
 もうどうにでもなれと思ったが、点滴が抜けたら差し直しに困るのは看護師である彼女の方だ。私はテープを剥がすのと一緒に管が抜けてしまわないように、横からそっと管に手を添えた。
「私、ここ押さえておきますね」
「ありがとうございます。助かります」
 二人の共同作業。あぁ、前の職場も医療現場であることは間違えないのに、自分が患者というだけでどうしてこうも同職者の見え方が違ってくるのか。
 彼女はテープを貼り終えた後に言った。
「あのー、もしかして今日、私がここの病棟のドアを開けた時に一緒に入ってこられた方ですよね?」
「あー!あの時の」
 そうして私はあの時の女性が彼女であることを知った。
 ここの病院は昼間の面会の時間以外は病棟外へ出るドアに鍵がかかるようになっていた。そのため、病棟外から戻る際はインターホンを押してドアを開けてもらう必要がある。
 絶食中の私には食事の時間がないため、薬さえしっかり飲んでいればあとは自由だった。この日も、朝の薬だけ飲み終えて病棟の外側にある広場で『なんのはなしですか第「な」号』を読み終えて病棟へ戻ろうとしていた時だった。インターホンを押せばわざわざ職員にドアを開けに来てもらうことになる。しかし、それは同職者ゆえ少しだけ気が引けた。だから職員の誰かが入っていくのを見計らって一緒に病棟へ入れてもらおうと思っていたのだ。そして、その時にドアを開けてくれた職員が彼女だったらしい。
 こんな素敵な再会が待っていたというのにそれを覚えていないなんて。短期記憶の乏しい自分を一瞬だけ殴りたくなった。しかし、裏を返せば彼女は私を覚えていてくれたということになる。まるで浮かれそうになった。
 そんな私に向けて彼女は笑顔で言った。
「やっぱりそうですよね」
 私は立ちあがろうとする彼女を目で追って言った。
「あの時はありがとうございました」
「いえ、全然ですよ。点滴も大丈夫そうですね。また何かあったら言ってくださいね」
 そう言って彼女がまた仕事へと戻っていく。結局彼女の名前は分からないままだった。でも覚えてくれているのならそれだけでいいと思えた。



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