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二歳で保育園はかわいそう?


「こんにちはー!」

娘は道の向こうを歩いていたおばあさんに向かって、大きな声で手を振った。

おばあさんは一瞬驚いた顔をしたあと、
目尻を下げて笑った。

「こんにちは」

娘も嬉しそうに笑う。

私は少し後ろを歩きながら、
その様子を眺めていた。

そして、ふと思った。

この子を育てているのは、
本当に私だけなのだろうか。

私は長いこと、「二歳で保育園はかわいそうなのではないか」と思っていた。

誰かに面と向かって言われたわけではない。
けれど、どこかでそう信じていた。

三歳までは母親のそばで。
三歳までは家庭で。

今では三歳児神話に、
明確な根拠はないと言われている。

そんなことは知っていた。
それでも苦しかった。

朝、保育園へ送る。

振り返る小さな背中を見る。
泣かれる日もある。

そんな日は決まって思った。
本当はもっと一緒にいた方がいいのではないか。

私は何か間違えているのではないか。
もっと頑張るべきなのではないか。
母親とは、子どものために何でもできる人のことだと思っていた。

どんなに大変でも笑顔でいられる人。
子どものことを一番に考えられる人。

子どものそばにい続けられる人。
私は、その理想の母親になろうとしていた。

そしてなれなかった。

 

子どもを育てる毎日は、
思っていたよりずっと大変だった。

眠れない夜。
終わらない家事。

泣き続ける子ども。
思い通りにならない毎日。

愛しているのに疲れる。
大切なのに一人になりたい。

そんな自分にも戸惑った。

それでも私は、
「もっと頑張らなければ」と思っていた。

母親だから。母親なのだから。

ある日、娘を連れて外へ出た。
正直、誰とも会いたくない日だった。

疲れていた。
余裕がなかった。
子どもの機嫌も悪かった。

私も笑えなかった。

すると家の裏で畑仕事をしていた大家さん夫婦が顔を上げた。

「あら、おはよう」

「大きくなったねえ」

娘は嬉しそうに手を振る。

「かわいいね」

たったそれだけだった。
本当に、たったそれだけだった。

でも私は救われた。

社会から切り離されたような気持ちになっていた日々の中で、

私たちはちゃんとここにいて、
誰かが見ていてくれるのだと思えた。

保育園でも同じだった。

送り迎えの時間。
顔を合わせるお母さんたち。

「最近どうですか?」
「イヤイヤ期始まりましたね」
「うちもです」

ほんの数分の立ち話。

それだけで安心した。

うちだけじゃなかった。
みんな悩んでいた。

みんな迷っていた。
みんな今日を乗り切ろうとしていた。

どうしても無理な日は、
地域のサポートを頼った。

最初は後ろめたかった。

母親なのに。
自分でやるべきなのに。

そう思っていた。

けれど助けてもらうたびに気づいた。
私は子育てをしていないのではなかった。

私は子育てを続けるために助けてもらっていたのだ。


そしてある時、ようやく気づいた。

私はずっと勘違いしていたのだ。
保育園がかわいそうなのではなかった。

私が見ていたのは、
保育園ではなく罪悪感だった。

娘から見える世界と、
私から見える世界は違う。

私にとって保育園は「離れる場所」だった。
でも娘にとっては違う。

先生がいる。

友達がいる。
砂場がある。
歌がある。

虫がいる。
知らない発見がある。
私は保育園を想像している。

娘は保育園を生きている。

そして、子育てについても勘違いしていた。

私はずっと、子育てとは、
子どもの隣にいることだと思っていた。

でも違った。

洗濯をすること。
ご飯を作ること。
病院を予約すること。
保育園の準備をすること。

部屋を整えること。
助けを求めること。
全部、子育てだった。

子どもと離れていても、
私はずっと子育てをしていたのだ。


最近、娘は誰にでも挨拶をする。

公民館で。
散歩の途中で。
保育園の帰り道で。

「こんにちはー!」

そのたびに相手は驚いて笑う。

「えらいね」

そう言われるたびに思う。
この子は私だけでは育てられなかった。

先生がいた。
近所のおじいちゃん、おばあちゃんがいた。

保育園のお友達がいた。
地域の人たちがいた。

たくさんの人の笑顔があった。

たくさんの人の「かわいいね」があった。
たくさんの人の「こんにちは」があった。
その全部が、この子の中に積み重なっている。


私は長いこと、
母親のなり方が分からなかった。

母親とは、一人で頑張る人だと思っていた。

一人で抱える人だと思っていた。
一人で育てる人だと思っていた。

でも違った。

助けてもらうこと。
頼ること。
誰かと話すこと。

子どもを自分以外の世界へ送り出すこと。

そんなことも母親の仕事だった。
そして、それを教えてくれたのはスマホでも、育児書でもなかった。

私がどちらかといえば敬遠してきた、
地域との関わりだった。

娘が誰かに向かって、

「こんにちはー!」

と笑う。

その姿を見るたびに思う。
この子を育てていたのは、
私だけではなかった。

そしてきっと、

母親にしてくれたのも、
娘だけではなかった。

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