「当たり前」を疑う|『ハンチバック』読書感想
📚 あらすじ
重度の障害を持ち、人工呼吸器と電動車椅子を使って暮らす釈華。
彼女の日常や欲望、社会への違和感を通して、「健常者」を前提につくられた社会のあり方を鋭く問い直していく。
短い小説なのに、読み終えたあとに残るものは驚くほど重かった。
💭 印象に残ったこと
この本を読まなければ、きっと知らないままだったことがたくさんあった。
例えば、ワンルームマンションの一室で立ち上がるだけでも、綿密な行動計画が必要になること。
痰が絡まれば窒息する危険があり、無理して動き続ければ酸素飽和度が下がるということ。
「立ち上がる」という、私にとっては何でもない動作にも、大きな負担や危険がある。
読書についても同じだった。
この作品では、現在の読書文化が「5つの健常性」を満たすことを前提としていると指摘される。
目が見えること。
本を持てること。
ページをめくれること。
読書姿勢を保てること。
そして、書店へ自由に行って本を買えること。
私は「本を読む」という行為を、こんなふうに分解して考えたことがなかった。
本が読めること自体が、自分にとっては当たり前すぎることだった。
でも、それは誰にとっても当たり前ではない。
💭 市川沙央さんのこと
小説を読んで、作者のことまで調べたくなることは、私にとっては珍しい。
でも『ハンチバック』は違った。
作者の市川沙央さん自身も先天性ミオパチーを抱えている。
そして、YouTubeで芥川賞の贈呈式を見て、さらにこの作品の見え方が変わった。
市川さんは、『ハンチバック』について「怒りだけで書いた」「ハンチバックで復讐するつもりだった」という趣旨の言葉を語っていた。
この言葉を知ったとき、作品の中にある強烈な違和感や攻撃性が、少しだけ理解できた気がした。
もちろん、小説のすべてを作者自身の経験と結びつけて読むべきではない。
それでも、作者自身が抱えてきた怒りを知ったことで、私はこの作品を「障害について考えさせられる小説」というだけでは読めなくなった。
むしろ、
「健常者が普通に生きているだけでは気づかない特権性を、これでもかと突きつけられる小説」だった。
憎い、と言われているような気がした。
✍️ 自分が考えたこと
特に心に残ったのが、往復書簡だった。
「生きる」ために「福祉サービス」を獲得したはずなのに、いつの間にか「生きる」ことそのものが「福祉サービス化」してしまった。
福祉によって生きることが支えられる一方で、福祉という枠の中に小さく、狭く閉じ込められてしまう。
そんな矛盾が突きつけられる。
また、「健常者優位主義」という言葉も、この本で初めて触れた。
バリアフリートイレも、私は単純に「便利で優しい設備」だと思っていた。
しかし、男女別トイレ+バリアフリートイレというレイアウトは、障害者の分離・排除や無性化という視点から捉えることができる。
自分が「配慮」だと思っていたものを、別の角度から見れば「排除」と捉えることもできる。
この視点の転換が、この作品の怖さだと思う。
私は、私の視界に入っていないマイノリティに対して、圧倒的に無関心で、無理解で、知識も共感も欠けているのだと思い知らされた。
「普通に生活している」というだけで、すでに享受しているものがある。
そのことを、今までほとんど意識してこなかった。
🌱 この本から持ち帰りたいこと
この本は、簡単な答えを与えてくれる作品ではなかった。
むしろ、複雑なことを、複雑なまま突きつけてくる。
だからこそ、一度読んだだけでは理解しきれない。
難しくて、ちゃんと読めていない部分もあると思う。
それでも、再読、再再読したいと思った。
そのときの自分には見えなかったものが、読み返すことで見えてくる気がする。
「当たり前」だと思っていることは、本当に当たり前なのか。
自分が「優しさ」や「配慮」だと思っているものは、誰かを無意識に排除していないか。
そして、自分が気づいていないだけで、誰かにとっては「特権」と呼べるものを、当たり前のように享受していないか。
正直、障害を持つ方々に対して、自分がどんな考えを持っているのか、まだ確信を持って言葉にできない。
「理解したつもり」になるのではなく、自分の中にある無知や無関心に気づき続けたい。
『ハンチバック』は、私が今まで「当たり前」と呼んできたものを、一度立ち止まって考え直すきっかけになった。
