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最後のホームルーム

私は、その朝、ハンカチを持って行かなかった。
使わない自信があったから。

殺伐とした場所からの「解放」だ、と思っていた。だから、朝の支度をする間に何度もヒョイとポケットに入れる機会があったのに、そうしなかった。

その日の途中までは大丈夫だった。
ハンカチは必要なかった。
体育館で行われた我が校の卒業式は、ただの行事だった。
つまらなかった。
人ごとみたいに進んで、終わった。

でも、教室にもどって、後ろに保護者を入れて、ホームルームが始まったら、急に「卒業」が現実味を帯びてぐわりと迫ってきたのだった。

白い綿のカーテンの間から燦々と太陽の光が差し込んでいた。日光のなかをチョークの粉と埃がキラキラと舞っている。私の席から見ると、左前方に学級委員の福ちゃんがキリリと座っていた。後頭部の中央に白いくっきりとした分け目をいれて毛一本の乱れもなく三つ編みにされたその髪型を何となく見る。ポニーテールでもツインテールでもなく、三つ編みの福ちゃん。

──ブレない人だなぁ。明日からはどんな髪型にするのだろうか。
もう、校則はないのだ。

そこまで考えてハッとした。

私も、どうしよう。
明日から、どうしよう。

担任のセバマシ先生が教壇にあがって、話し始める。
セバマシ先生は国語の先生で、坂口安吾が好きで「あー堕落したい」が口癖のキュートな人だった。ニックネームの由来は、古今和歌集の有名な句にある。
在原業平の句『世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし』を独特な抑揚をつけて情感たっぷりに唄いあげるものだから、それを真似するのが高校一年生の一時期に流行した。そのあとはずっとセバマシ先生と呼ばれていた。

セバマシ先生は言った。
「あなた達、ことしの5月、みんなみんな5月病になっていたわね。高校三年生に進級して、受験生になって、土日返上で模試が続いて、顔色が良くなかった。そんな頃にあなた達に元気を出して貰いたくてこの詩を読みました」

「生きる」
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと
(以下略)

谷川俊太郎『うつむく青年』より


詩は、クラス全員をあの日に連れていった。

すると、「泣かない人」だと思っていた福ちゃんが壊れた。
文字通り声を上げて「ウワーン」と言って机に突っ伏したのだった。

「今日の日を、あなた達の保護者の方々と迎えることができたのを大変嬉しく思います」

──ああ、高校生活が終わる。
この教室は、今日までは日常だったけど、明日からはもう過去になるのだ。この席からの見慣れた風景は、二度と再現されることはない。

小テストと模試と、偏差値と判定と。
まるで予備校のような、詰め込み型の授業。
それも、もうおしまい。

突然、心を覆っていた分厚いカーテンが取り払われて、「恐れ」と「希望」が剥き出しになってしまったようだった。私たちは外に押し出される。怖い。それでいて、楽しみだ。
私の頬を滝のように涙が流れて、止まらなくなった。


スカートのポケットを探ったが、やはり、ハンカチは入っていなかった。




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らん・地中海性気候 ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。