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quick_tulip9079
『映え』に疲れた私が選んだ、酸素のような生き方
圧倒的に目立って成功する、
恐竜のような生き方がある。
人を惹きつけ、夢中にし、憧れも抱かせる。
「あんなふうになりたい」と思わせる、
時代の象徴になる力。
大きく、強く、速く、社会の中心で存在感を放ちながら生きていく。
今の時代は、特にそういう生き方が強く見えやすい。
数字。影響力。スピード。熱狂。存在感。
この情報社会での評価は決まってこれらだったりするし
SNSを開けば、その数字を背負った恐竜たちが闊歩している。
一方で、目立たないけれど、植物のような生き方もある。
植物は、自分から動かない。大きな声も出さない。
でも、環境に適応し、静かに根を張り、
土を変え、空気を作り、 気づかないうちに、
世界そのものへ影響を与えていく。
存在感ではなく、思想や在り方で、受け継がれていく生き方。
私は多分、後者だ。
恐竜か植物かで言えば
恐竜では絶対にない。
正直、時々揺れる。 恐竜の迫力を見るたびに、
「こういう生き方の方が求められているのではないか」
と思ってしまう。
自分の在り方には納得しているはずなのに
不覚にも劣等感として感じてしまう瞬間がある。
そんな時に限って、私は自分ではない何かになろうとしている。
もっと強く。もっと派手に。もっと分かりやすく。
でも決まって、そういう時ほど、
身体や現実から痛いサインが返ってくる。
「そっちじゃない」と。
多分本当に大切なものは、目に見えない。
派手でもない。気づきにくい。 酸素みたいに。
なくなったら生きていけない。
何代も超えて残るものも、
案外そういうものだと思う。
大きな名前ではなく、確かな思想。
強い言葉ではなく、豊かな在り方。
だから私は、恐竜になれない自分を否定するのをやめた。
植物のように、誰かの呼吸を支えられるような生き方を
選ぶことにした。
