見出し画像

愛の誤配送

どこかの韓流ドラマのようなタイトルにしてしまった。


妹と喧嘩をした
珍しく感情をあらわにして、泣きながら怒っていた。

きっかけは、妹に突発的に起きた出来事に対して、
私がかなりドライな発言をしたことだった。

それまでの妹の態度からは、
私のドライ発言が受け入れると思っていたし、
むしろ私寄りの考え方だと感じていた。


なのに、思わぬ温度差が生じたのだ。


意図せず、深く傷つけてしまったらしい。
「謝れ」と泣きながら言われた時、胸が痛んだ。
大事に思っている妹への言葉だったのに、
それが彼女を深く傷つけてしまった。


しばらく妹と話していても
全然伝わらなかった。


正当防衛でお姉ちゃんはひどいと言われた。



感情的になっている時の言葉は
あまり信用しないけれど
もしかしたらいつも何かしら
私に不満があったのかもしれない。



私はただ、妹がこれ以上悲しまないようにと
最悪のケースも考えたうえで
「最善の未来」を提案をしたつもりだった。
それは私の愛情だった。



だが、その意図はまったく伝わらなかった。
ただただ妹を傷つけてしまった。



なぜ一番わかってくれるはずのお姉ちゃんがこんなことを言うのか。
そんな裏切られたような思いが、
彼女を嗚咽するほどに泣かせたのかもしれない。


この光景は、私自身の過去と重なった。

かつて私が母に怒っていた理由も、これに近い。
母の愛情と、私が本当に欲しかったものが違っていたのだ。
「自立して強く生きてほしい」という母の言葉は、
当時の私には「突き放された」ようにしか聞こえなかった。
それは母の愛情だったが、私の心には届かなかった。


今回も同じだった。
私は妹の未来を守るために「最善」を差し出したつもりだった。
けれどそれは、彼女にとって望んでないものだったらしい。


妹が欲していたのは、
ドライな未来提案ではなく、ただ「大丈夫だよ」と
寄り添い、少しお腹が膨れるような
温かい言葉だったのだろう。


私よりの考えだったと思っていた妹が
実は全く違っていた。
ここが私のミステイクだ。



世の中の喧嘩の多くは、
この「愛情の誤配送」から起きているのではないか。
送り主は善意を込めていても、
受け取り主はその時の感情や状況、価値観、考え方で
別のものとして受け取ってしまう。


これはどうにもならない。


人は自分の価値観や経験に基づいてしか
愛情の形を想像できないからだ。


厳しいお師匠に辛く当たられてたと思ったら
実はすごく才能を見出され
目をかけてもらっていただけだったことが
大人になったわかったみたいに
その時はわからないことが大いにある。



よくある比喩にこういうものがある。
「お腹を空かせている人に、魚を釣ってあげるか、魚の釣り方を教えるか」。



私は、結局いつも「釣り方を教える」タイプだと思う。
それが本当の愛情だと信じているからだ。
けれど、大抵は、相手が緊急に飢えているときに必要としているのは、
釣り方ではなく「今すぐ魚」だ。


魚を釣れるんならくれればいいじゃないか!
どうしてわざわざ魚を釣る方法を教えるんだ!


まぁ確かに。


でも私はそれが一番いいと思うんだ。
だってそしたら誰にも頼らず好きな時に
自分で自分の腹を満たすことができるから。
他者に依存することなく
自立できるからね。


今回の妹とのやりとりは、まさにそれだったとおもう。



愛情は必ずしも伝わるとは限らない。
むしろ、大事に思っているからこそ
「相手が欲しい形」ではなく
「自分が信じる形」で渡してしまうことがある。
そこに、すれ違いと衝突が生まれる。


私は今も、妹を大事に思っている。
その気持ちは一ミリもずれてない。


どんなに誠実であっても
正直であっても、相手にとって不要な形であれば、
それは届かない。


不甲斐ない姉で申し訳ないと思う。

優しくないと思わせてしまって申し訳ない。

愛の誤配送(言ってみただけ)


いいなと思ったら応援しよう!