仕事にならないと思っていたことを、私は仕事にしたい〜「自分の強みがわからない」と悩むすべての人へ。才能は光を当てた場所から始まるかもよ〜
どうやら今日と明日は、
私にとって天冲殺の日らしい。
たまたま見た算命学の命式から
判明したのだが
2025年7月10日と7月11日。
ん???
今日じゃん。
一瞬ドキッッッッィとしたけど
(何か起こる⁉️と)
まてよ?これは実はチャンスかも?と
捉え直すことにした。
占いの世界では「動かない方がいい」
「新しいことを始めるな」と
言われることもあるけれど、
私はむしろ、
こういう枠が外れる日だからこそ、
これまでの「限界」や「常識」を
一度、壊してみようかな
そんなふうに思った。
限界、常識…
今思いつくのはやはり自分の
ライフワークについて。
使命や天命とも言える私しかできないこと。
ここを形にしたい
ホワホワとあるけど、
掴めない私のそれは、
多分今の私の枠の外に
あるんじゃないかと思った。
だからこのタイミングで
ちょっと枠をつついてみようと思う。
きっと「自分になにができるんだろう」
そう模索してる人に、
なにかしらのヒントになれば嬉しい。
何が得意なんですか?
きっとこの手の質問に
言葉に詰まる人は少なくないと思う。
そして私も例外ではなく
この質問にうまく答えられずにいた。
ないわけじゃない。
履歴書や職務経歴書にかけないものばかりが
私の得意だったり才能だったりしたからだ。
だからずっと、自分の得意なことや
食べずに寝ずにできることが
「仕事になる」とも思えなかったし
仕事として今現在世の中に
認められてないものを
得意なこととして
あげていいとも思ってなかった。
誰かの話を聞くこと。
調整すること。
別の視点でアイデアを出すこと。
タイミングを見て、そっと差し出すこと
必要そうな情報を届けること。
誰かと誰かをつなぐこと。
一緒に洋服を選ぶこと。
ゴルフを一緒に上達しながら楽しむこと
映画を観て、感想を言い合うこと。
気づいたことを伝えること。
いろんなことを覚えておくこと。
整理整頓すること。
工夫改善すること
なんかいい方法ないかなとルールを壊すこと
どうやったらできるかな?を考えること
どれも、資格があるわけじゃない。
数字にもならないし、
誰にも気づかれずに終わることも多い。
でも、それでも私はやってきた。
無意識に、自然に、何年も。
目立つ力や、わかりやすい成果には、
人が集まる。
それが「才能」として扱われる社会だ。
でも私は、派手じゃない。
戦略的な動きもしない。
だけどいると重宝する。
一家に一台なんて揶揄されることもあった。
人づてに信頼されて、
じわっと関係を育てていくタイプだと思う。
わかる人だけに
わかってもらえるという
非常に効率の悪いタイプ。
初対面のインパクトもないし
人がフックするような
強烈な資格や特技があるわけでも
バックボーンがあるわけでもない。
得意なことを並べたとしても
便利だしあると嬉しいけど
「それ仕事になるの?」と
自分の中にも当然疑問符がわく。
でも私は、ふとこう思った。
そろそろ日本も、
個性や才能に対してきちんと対価を支払う
という概念を持った方がいいのでは?
仕事としては全く地位を得てない
個人の「得意」に光を当て
それを仕事として認める世の中になっても
もういいんじゃない??
そういえば
二郎ラーメンに行きたいけど
敷居が高くて行けない人を対象に
同伴でついていくという
「レンタル二郎食べる人」という
サービスがあり
その報酬が現地までの交通費だと
聞いたことがある。
これも立派な得意を仕事にした
形ではなかろうか?
しかし報酬は安すぎる。
これもきっと、
得意の地位が社会的に
確立してない故だと思う。
えーだってラーメン食べるだけでしょ?
そんな声が聞こえてきそうなのも
得意を軽視している所以だとおもう。
いやいや、その同伴できるほど
二郎に通い、ルールやマナーを叩き込み
人に安心を与えるほどの
経験を時間をかけて積んできたのだ。
私なら経験をお裾分けしてくれたとして
ラーメン代と時給は支払いたい。
こういう支払うという概念において
私はまた別の懸念がある。
「親戚だから」「友達だから安くして」
そんなよろしくない風潮が
昔からあるけれど
それは信頼ではなく搾取だ。
そんな考え方では、
才能も技術も守られない。
文化が育たない。
誰かの当たり前にできてしまうことを、
「それってすごいね」「その力、私に貸して」と言える社会。
そして、「ありがとう。だから、払わせてね」と、
敬意と共に対価を差し出せる文化。
私は、そういう世界に生きたい。
たとえば、
ちょっと先のことに気が回る。
あるカテゴリーにおいて記憶力がいい。
言葉にするのがうまい。
まとめるのがうまい。
一緒にいると安心すると言われる。
良きタイミングで差し出せる。
人のペースを邪魔しない。
自分でメンタルを整えられる。
調べ物が上手い
うまく説明ができる
どれもあえて言わなければ
気づかれないようなものばかりだけど、
これらはすべて、私が自然にできること。
そして、それを「助かる」と
言ってくれる人がいたのも事実。
イベントを紹介する。
人を紹介する。
情報を渡す。
五感を満たす手伝いをする。
一緒に買い物に行く。
服を選ぶ。
一緒にゴルフを楽しむ。
映画を観て感想を言い合う。
旅行の手配をする。
食事会の場所選び。
仲間同士のスムーズな連絡網
まだまだあると思うが
どれも「仕事っぽくない」行動に見える。
でも、相手にとっての迷いを
一緒に整理したり
決断疲れや選択の不安を
そっと軽くすることが、
すでに仕事のように
機能していることだってある
「才能」と聞くと、なにか特別なスキルや、
人より優れていることを
思い浮かべる人も多いかもしれない。
でも私は今、
「当たり前にやってきたこと」の中にこそ、
本当の得意や強みがあると思っている。
才能は、光を当てた場所から芽を出す。
誰かにすごいねと
言われることだけが才能じゃない。
あなたのふつうの中に、
誰かの欲しいがあるのではなかろうか。
それに、
履歴書や職務経歴書に書きにくいことは、
実際にこれらの力がないと
仕事が回らないことの方が多い。
相手のペースを乱さずに会話を進める
混乱した情報をすっと整理する
人間関係の距離感を微調整する
会議の空気を読みながら要点をまとめる
感情の波に飲まれずに淡々と進行する
本人が言葉にできない想いを代わりに翻訳する
どれも誰かにとっての安心であり、
見えないけれど確実に効いている価値だと思う。
ちょっと視点を変えて
もしこれを仕事に置き換え
「値段がつくサービス」として届けるなら?
そんなふうに考えてみると、
こんな可能性が見えてきた。
話を聞いて、違和感や葛藤を整理する
→ 感情整理セッション/内省サポート
服や食を一緒に選ぶ
→ 五感ブランディング同行
相手のタイミングに合わせて情報を渡す
→ 人生設計に合わせた情報処方サービス
人を紹介し、相性を見極める
→ 人的キュレーター・マッチングコンサル
感性を共有して自己理解を深める
→ 共感型インサイトセッション
おおっ
私は今、
「こんなものが仕事になるわけがない」
「これは頼まれてやっただけ」
そう思ってきたことたちを、
ちゃんと仕事の芽として見つめ直している。
世の中にまだ名前がないだけで、
この才能たちは、誰かを確実に支えてきた。
それなら、私はこの力を、
世の中に出してもいいかもと思えてきた。
「これは仕事にしてもいいんだ」
「これは、受け取ってもらっていい価値だったんだ」
きっとあなたにもそういう
埋もれてるけど絶対に誰かの欲しいにつながる
得意や強みがあるはず。
今日と明日は、私の天冲殺。
ならばこのタイミングで、
自分の限界を、えいっ、と
自分の中だけでも越えてみようと思う。
そういうあなただけの得意を探すのも
私はすごく得意なんです。
