いつまで経っても夢が叶わない理由
きっとわかってたのに
きっと知ってたのに
叶えさせてないのは
叶っていると認めないのは
現実にさせてないのは私だったなと
改めて思った。
どこでもドアのように
いきなり目的地に辿り着くことは
この現実社会ではとりあえず起きてなく
(私が知る限りですが)
朝起きたら石油王と結婚してた!
みたいなことはあり得なくて
石油王と結婚するにしても
何かしらの小さなステップは必要になる。
中東に旅行に行く、かも知れないし
手紙を送る。かも知れないし
いずれにしろ
じっと家にいたって何も現実は動かない。
だけど
「白馬の王子様」という言葉の代名詞が
全てを表現しているように
じっとしていたら現実がぐるぐる変わって
理想が手に入る状態
をどこかで望んでいる気がする。
もしかしたら私だけじゃなくて
世の中のいろんな人が。
私は死ぬまでに叶えたい夢の一つに
「旅をしながらエッセイを書きたい」というのがある。
いま、おうじろうという
Mダックスの犬と暮らしていて、
彼は先日17歳の誕生日を迎えた。
生まれた時からうちにいて
これまでどこにも預けたことはない。
私が知ってるペットホテルでは
到底、家で暮らしているおうちゃんの快適さは
まかなえないと思ったからだ。
そうして私たち夫婦は旅行に行くことを諦め
半日で帰って来れるおでかけだけを選択して
これまでずっと生きてきた。
それをいつの間にか当たり前と刷り込んでしまい
旅をしながらエッセイを書くという私の夢を
手の届かない棚の奥にしまい込んでしまったようだ。
そもそもなぜ旅をしながら?エッセイを?
という所だけれど
私は世界のいろんなものを見たいと思った。
その時に感じる空気や
目に飛び込んでくる新鮮な景色を見て感じて
私の中で起きる反応を
それを文字にしたいと思った。
同じ色なのに、空気や温度、空の色が変わるだけで
全く違って見えたりする。
そういう、自分のまだ知らない世界を感じて
文字にしたいと思ったからだ。
でも私は危うくこの夢を
うっかり叶わせないようにする所だった。
旅に行かなくては
何もかけない。
旅に行かねば意味がない。
だから私は今何もできない。
そんなふうにいつしか
動かない自分を正当化し
夢を遠く追いやって
自分から遠ざけてしまっていたことに気づいた。
今、家の玄関を開けたところに
何か発見したり、何かを感じたり
湧き上がってくる何かをキャッチできないなら
どこに行っても同じだ。
そんなことをふっと思った。
これがなければあれができない。
あれがないとこれが無理。
ないないを追い求めて
まるで青い鳥の主人公のように
欲しいものを追いかけて
今ある、今すでにある夢のかけらでさえも
見逃そうとしていることに気づいた。
あ、そうだった。
旅をしながらは、自分の未来の延長線上にあるけど
今ここで書けてない自分に
その未来は一生やって来ない。
いつだって始められる。
いつだって夢に近づくことができる。
一歩を踏み出すから
夢が向こうからも近づいてくる。
0に何を掛けても0だった。
