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なんでも自分のせいにしてたけど

誰かが怒ると私のせい。
予期せぬことが起きると私のせい。
雨が降っても、私のせい。


そんなふうに、世界の不機嫌や不運を、
まるで自分が引き起こしたかのように
受け取っていた時期がある。


もちろん本気で
「天気を操っている」と思っていたわけじゃない。
ただ、なにかがうまくいかないとき、
誰かの表情が曇ったとき、
私はすぐに「私が悪かったのかも」と思っていた。



それはもう、クセのようなもので、
むしろそう思っておけば、場が整うという、
ひとつの処理方法だった。

 


誰にも責められていないのに、
自分の中で完結する責任。


それが当たり前すぎて、
自分を責めているという自覚すら、なかった。


感情のゴミを静かに回収する処理場みたいな役割を、
勝手に、無意識に、自分に課していた。



私が悪いって思っておけば、
誰も争わずに済む。
空気が落ち着く。
問題がどこかに収まったような気がする。


自分をポンコツにしておけば
自分をへっぽこにしておけば
大体の問題が平穏に片付く。


でもその代償が
ものすごく大きな代償が私の中に
私の心をえぐることも知らずに
無邪気に私はどんどん自分の中を傷つけて
汚して行った気がする。



ある時これに気づけた時があった。



これは私の人生でとても大きな転機になった。


知らず知らずに自分を傷つけて
もう何も耳に入ってこなかったり
全然人からの好意が受け取れなかったり
学んでも全然進めなかったり
行動すらもできなくなったり
自分という輪郭が溶けてしまってわからなくなり
もう自分の人生が何なのかも
忘れてしまいそうだったあの頃の私と
今なうで困ってる人がいるならと
やっと言える自分になったタイミングで書くことにした。



私が何かあるたびに


私が悪い
私のせいだ

私が学ばないから
何してもダメなんだ
もうやっても無駄

もう遅いんだ
私はみんなとは違う


そうして何でもかんでも
絶望して諦めて自分のせいにして
自責を繰り返していたとき
まだ夫じゃなかった時の夫にこう言われた。



怠惰がすぎる。



全く意味がわからなかった。
今の私と怠惰が結び付かなさすぎて
脳内が混乱したように覚えている。



感情も湧き立たないくらい何も反応が起きない。
そのくらい自分の中でかけ離れた言葉だったけど
これは核心だった。



夫から

そうやって全ての原因や
全ての理由を探ることなく
簡単に「自分が悪い」
「自分に原因がある」ということに結びつけて、
あたかも「謙虚」のように見えるけど
これは思考の放棄であり、怠惰以外何者でもない

といわれた。



こんなに嫌な思いしてるのに?
こんなに辛いのに?
こんなに悲しいのに?


怠惰???


やっと感情が湧いてきた。

誰も私の話聞かないよ?
誰も私を認めないよ?
なのに怠惰?なにそれ。



これまでの鬱積した気持ちが
雪崩のように押し寄せて息ができなくなった。



25歳くらいだったと思う。



その言葉が確実に私の中に
芽を出し始めて、それ以降
私は自動で湧いてくる「自責の念」に対して
疑問を持つようになった。



あの人が怒ってるのは私のせいではない?
嫌われたのは私のせいではない?
出来事がうまくいかなかったのは私のせいではない?



物事を咀嚼し始める時は
やじろべえがゆらゆらと右左と動き始めるように
極と極を行き来しながら
心も思考も大きく揺さぶられる。

テーゼとアンチテーゼに
表現されるように

陰と陽を行き来するように
ゆらゆらと揺れながら
自分の中からいろんな可能性を探っていく。


そのうち、自分のちょうどいいの真ん中に
おさまっていって、自分だけのジンテーゼが見つかる。


今はその言葉の意味がわかるけど
傷つきすぎた幼少期から思春期の出来事を
自分以外に原因があると考え付かなかったし
それを一緒に考えてくれる大人もいなかった。


幼い私の脳内では
それこそ「自分が原因だった」としか
片付けられなかったのだ。


少し社会人もやって
考えられる脳の領域ももってるのに
目の前の問題の根本原因に取り掛かることなく
境界線を張らずに
どこにボトルネックがあるのかを探ることもせず


ただ「私が悪い」と自責に落ち着かせ
その結果、自分を傷つけ、自分の自尊心の芽を積み
人を関わることを極端に恐れ
他者の視線や意見ばかりに振り回され
自分がどうしたいかに一向に目を向けない私に
夫が一石を投じたのだろう。


もういいかげんにせえよ。


きっと私自身がうんざりしてたからこそ
夫を使ってそういう「劇場」を繰り広げたのかもしれない。



私とはまた別の「自責」もあると思うし
全てがこのケースに当てはまるとも思えない。


それぞれがそれぞれの
大変な思いを抱えながら生きてきた上での
自責もあるとおもうから
そこについて他者は介入はもちろんできない。



だけど、私の場合は
単なる「思考の怠慢」であり
怠惰だったことに気がついたことで
随分と人生が変化して行った。



私悪くない。



と自責から真逆に振り切るのではなく
何が原因でこれが起きてるのか?を探るのは
自分の精神衛生上にもすごく良いと
今は思える。


もちろんその中でも
自分が原因となってることもあるが
そこは拗ねるでもなく、
自己価値に繋げるでもなく


素直に受け止めて
自分の向上のために未来の自分のための
一歩として捉えていきたい。


もし、無意識に、
反射的に自責を選んでるとしたら
もしかしたら自分の未来の可能性も
自分が見逃してるかもしれないよ。


という話。


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