あの頃笑われたアイデアが、いま普通に受け入れられてて少し泣けた
「え〜なんでそれ選んだん?」
子供の頃から、私が何かを選ぶたびに、
誰かにこう言われてきた。
洋服も、小物も、髪型も。
少しアレンジを加えるだけで、
「変だよ」「おかしいよ」と言われるのが常だった。
なぜ?と聞きたいくらい、
私はただ「思いついたから」
選んでいただけだったのに。
その感覚は、誰かを困らせたことがあっただろうか。
でも、拒否反応のような目線が突き刺さって、
私はだんだんそれを隠すようになった。
貫けばよかったのかもしれない。
けれど、孤立は想像よりずっと痛かった。
思いついたことを表に出すと、大抵浮いた。
だから、私はこっそりしまい込むことにした。
「自分の感覚」と呼べる何かを。
――だけど、だいぶ時間が経って、ふと気づくのだ。
あれ?
これ、私が昔やってたやつじゃない?
ちょっと前に考えてたやつ、
今“流行”になってる?
私が美容室で「毛先だけ少し色を変えたい」と伝えたとき、
スタイリストの眉がピクリと
動いたのを覚えている。
仕上がった髪は、同世代から“染め忘れ”と揶揄された。
だが今や、インナーカラーも
グラデーションも当たり前になった。
服だってそうだ。小物の組み合わせだってそう。
私は未来を予測してたわけじゃない。
ただ、思いついたことをやってみたかっただけ。
それが笑われて、しまい込んで、後から流行る。
そういうことが何度も起きた。
ようするに、
私は「ちょっと早すぎた」
だけだったのかもしれない。
そして、もう一つ大事なことに気づく。
「変だよ」っていう言葉には、
単に“見慣れてない”だけのものが
含まれていたのだ。
新しいもの、まだ言語化されていないもの、
“初めて見る何か”に対する人間の反応は、
どうしても否定に寄りやすい。
だから、あの頃の私はただ早かった。
そして今の私は、
そういう自分を少しずつ取り戻している。
だれかに「それ、変だよ」と言われても、
それはもしかしたら
“革新的だね”と同義かもしれない。
私はこれからも、思いついたことを
試してみようと思う。
それが未来の「当たり前」に
なるかどうかは、もう関係ない。
自分の感覚を信じて、
やってみたいと思ったものを大切にしていく。
「変だね」と言われたその先に、
ちゃんと“光る種”があったのだから。
