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こねくり思考は、なぜウケないのか(「考えようぜ」は昭和なのか?)

5年前、こんな記事を書いていた。


どうして私の発信は、
ぱっくりと【好き】と【苦手】に分かれるのだろう?

そんな問いがふと浮かんだ日。
私はひとり、街へ偵察に出かけた。

いま、世の中ではどんなものが「受けている」のか?
そのヒントを探しに、大きな本屋へ。


一番最初に目に飛び込んできたのは、
「水彩画キット」だった。

けれど、それは絵の具も筆もいらない。
ハガキより少し大きめの紙に、
あらかじめ絵の具らしきものが塗られていて、
そこを水で濡らしたブラシでなぞるだけで、
あっという間に美しい水彩画が完成するという代物だった。


失敗せずに「水彩画を描いた気になれる」キット。

なるほど、これは【できた感】を
提供する道具なのだなと思った。



よく考えてみれば、
これは料理でも、音楽でも、
習いごとでも、何でもそうだ。


材料も、調味料も、レシピも揃っていて、
その通りに手順をなぞれば、
プロっぽい味が「家庭で」できる。


失敗しない。努力しない。
けれど達成感だけはある。

そういう設計が、今は多くの分野にある。


運動した【感】。
整った【感】。
達成した【感】。


本質じゃなくてもいい。
でも、できた【気】にはなりたい。


そんな【体験】が、今の社会では
大きな価値を持っているのかもしれない。



そう思ったとき、
「ああ、私の発信が避けられる理由、これだな」
と妙に腑に落ちた。


私はきっと、
「考えようよ」
「視野を広げようよ」
「失敗しようぜ」
と言っている。


【できた感】じゃなくて、
【深めた観】を届けたいと思っている。


でもそれって、
うっすらと「めんどくさい」と思われても、
ぜんぜん不思議じゃない。



そりゃあ、
「ややこしや」
「こじらせてんね」
「こねくり回しすぎじゃない?」
と感じる人もいるだろう。


それでも私は、
そういう【こねくり】のなかにこそ
自分の輪郭を見つけてきた。


だからこそ、今も書いている。



最近は、読んでて楽しくて、
「気づいたらなんかいいこと聞いちゃった」くらいの
文章にしたいなと思うことも増えてきた。


でもやっぱり、
「考えるって面白い」を一緒に楽しめる人と、
ピリオドの向こう側へ行きたい気持ちも、
まだ、ある。


こじらせてても、いいじゃない。
私には、それが楽しいから。


そんなことを思った、本屋の午後。


そして、今これを読み返して、
ほうほう、こんなことを考えてたのか。
と自分をまた少し知った感じがした。


勢いと愛嬌があって、
ちょっとすねてて、
でも本気で伝えたかったんだろう。

5年経った今も、「こねくり思考」は
私の根っこにあるけれど、
言葉の届け方は、年齢の分だけ
若干変化をした感じもする。


昔の写真を机の引き出しから見つけたときの
感覚に似ているかも。



読んだ人の中に、
ふわりと余韻が残るように。
「伝えたいこと」は、変わっていない。


まぁそうそう人は
変わるもんではないですね。

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