お金持ちの子どもを見て、 私の中に浮かび上がった感情を、少し観察してみた
知り合いの大富豪の親子を見ていると
私の人生では聞いたことも見たこともないことが
普通に起きている。
子どもが
「この車、いいな」と言えば、
高級車がスポンと与えられる。
働いてないのに別荘を所持してたり
これ欲しいといえば
時間も距離も超えてすぐに手に入れている。
部屋が欲しいと言えば
都心の一等地のタワマンを与えられ
優雅に夜景を見る生活をして
それが蛇口から水が出るくらいの感覚だから
びっくりしちゃう。
衣食住に困る、という感覚を
そもそも人生で通過しない。
でも、不思議と
羨ましいとか、ずるいとか、
そういう感情はほとんど湧いてこない。
ネガティブ感情が一切湧いてこないのが
私も困惑していることなのだけれど
代わりに浮かんだのは、
「この人たちは、
どこで人生を鍛錬するんだろうか?」
「どこで苦労や間違いを経験するのかな?」
という、視点だった。
私の価値観ではあるけれど
当たり前の因果として
そう思っただけだ。
私は、
選択を間違える経験が少ない人生は、
あとで取り返しがつかなくなることが多いと思っている。
若いうちに間違えて、
若いうちに修正する。
その筋肉がないまま大人になるのは、
正直、かなりしんどい。
と思っていたが…
ただ最近、
その考え自体が
少し揺らいできてもいる。
そもそもお金持ちは、
生存や回復に
エネルギーを使わなくていい。
その分、
別の場所にエネルギーを割くことができる。
それは否定しようのない
アドバンテージだ。
私は長いあいだ、
苦労は通過儀礼で、
瀕死にならなければ
経験値は上がらないと
どこかで信じていた。
子供の頃にドラクエをやりすぎたからかもしれない。
でも今は、そこはかなり是正されて
瀕死にならなくても、
楽しくのめり込むことで
人はちゃんと深くなる、
ということも分かっている。
それでも正直に言えば、
過去の私は
財に恵まれた人たちを見たとき、
自分を納得させるために
妙な意味づけをしてきたと思う。
魂年齢とか、
人生ハードモードとか。
今思えばあれは、
嫉妬を感じないための
知恵だったのかもしれない。
でも最近は、
もうそんな説明も
いらない気がしている。
現にかなり心の中はフラットだからだ。
でもやはりどこか心がざらっとしていて
それがなんなのかわからなくて
自分の心を観察してみたらこんなのが見えてきた。
知恵は人生を豊かにする。
つまり不便は工夫を生む。
これは無意識の時の話で
ちゃんと自分が能動的に
意識的に動いていれば
どんなに便利であろうと
どんなに恵まれていようと
知恵は磨くことができる。
エスカレーターに流されて乗るのではなく
私はちゃんと階段を選んで
えっほえっほと歩いている。
便利やお金が人を堕落させるのではなく
自分の意識がそこに向かわせるんだなと。
そこの古い価値観に囚われていた私が
まだ残っていたから
ざわついたんだということに気がついた。
どちらが上でも下でもない。
ただ、
選んだ景色が違っただけ。
そう思えるようになった今、
ようやく私は、
自分の人生を
他人と比べなくてよくなった気がしている。
なんてね〜
