「私はなぜか嫌われる」と思っている人が、無意識にやっていること
6年前のFacebookに、こんなことを書いていた。
あるお店とのやり取りで、
私はただ、
なぜ、こうなったんですか?
欲しかったものは、いつ、どうやって手に入りますか?
と聞いていた。
ところが返ってくるのは、
すみません。 今後気をつけます。という謝罪ばかり。
いや、怒ってないのよ。 私はただ、何が起きたのか知りたい。
そして、欲しかったものがいつ手に入るのか知りたい。 それだけだった。
なのに、謝られる。
何を気をつけるのか聞いても、また謝られる。
怒らせたから謝る、という対応はメダパニをかけられたよう。
と書いていた。
ちなみにメダパニとは、
相手を混乱させるドラクエの呪文である。
改めて読むと
現代の人間関係において
重要なことだと思ったので
加筆することにした。
シンプルなやり取りとしては
「商品が今ない」と言うことは事実だから
ない理由と、手に入るかどうかの
確認と検証をするだけ。
それだけ。
まだ不手際か、ミスかもわからないため
謝罪は必要かどうかわからない。
だからまずは何が起きたのか。
どこに問題があったのか。
相手は何を主張しているのか。
一度、把握する。
もしこの段階で謝ることがあるとしたら
「混乱させたこと」や「不安にさせたこと」
に対しては謝るかもしれない。
しかし、まだ謝罪が必要かどうかも
わからない段階で
「これって、どうしてこうなったんですか?」
と聞かれただけで、
「すみません。気をつけます。」
と答える人もわりといる。
言われた本人の中では、
質問された
↓
何か問題があった(と思ってる)
↓
相手を不快にさせた(と思ってる)
↓
私が悪い(と勝手に着地)
↓
謝らなければ
という処理が、一瞬で行われているのだろう。
ここで1番の問題は、
何が起きたのかを把握しないまま
問題を終わらせてしまうこと。
そうすると、
対処方法が全くわからない。
改善策も見つからない、工夫もできない。
何が起きたのかさえもわからない。
つまりまた同じことを繰り返す。
すれ違ったまま
何も解決に向かうことなく
「やっぱり私は、人を不快にさせる人なんだ。」
という乱暴な結論だけが残って
ますます自分は人を怒らせる人という
偏った現場データだけが積み重なっていく。
ただ質問していただけなのに
それをなぜ自分が怒らせたと思ったのか?
なぜ謝ることになったのか?
自分が相手を不快にさせたのではなく、
私は人を不快にさせる人だ
という自分の中の前提が、
相手の質問を怒りとして
受け取った可能性はないか?
かくいう私も昔は、
私はなぜか嫌われる人だ。
私は人を不快にさせる。
そんなセルフイメージがあった。
だから、人との間で何かが起きると、
ほら、まただ。
と何も疑わずに確認せずにそう思っていた。
だから自分の中では、自作自演の
「自分が怒られた」証拠や
「自分が嫌われた」証拠がどんどん増えていく。
人は、自分が思っている自分を通して、出来事を見る。
私は嫌われる人だと思っていれば、
質問は非難に見えるかもしれない。
確認は追及に見えるかもしれない。
少しの沈黙は、不機嫌に見えるかもしれない。
そして、そのたびに、
ほら、やっぱり私は嫌われる。
と、自分についての理解を深めたつもりになる。
でもそれは、理解ではなく、
自分が最初から持っていた答えに
出来事を当てはめているだけ。
事実は全く違うと今はわかる。
人の脳は、一度こうだと思ったことを、
毎回ゼロから検証し直したりはしない。
私は嫌われると思っていれば、
嫌われているように見える情報を拾いやすくなる。
そして、その前提に合わせて
自分の行動まで変わっていく。
実際出来事は無色透明。
意味づけをしているのは自分。
だから何か問題に出くわした時
まず出来事を無色透明にすることが大事なのだ。
言葉一つで
被害者加害者を生んでしまうこともある。
仕事で上司に
「それいつ終わるの?」
期限を聞かれただけなのに
「すみません急ぎます」
勝手に遅いと思われたと思い込み謝る
仕事ができないと思われたと思い謝る
上司がイライラしていると思って謝る
上司の機嫌を損ねてしまったと思って謝る
上司は全く怒ってなくて
なんならまだかかりそうならそれ急ぎじゃないから
帰っていいよかもしれないのにね。
訊くまで相手の意図はわからないのだから。
相手の意図を確認する作業。
この作業は正直なところ
非常にめんどくさいと思う。
仕事のスピードが遅いですか?
何か他にやることがありますか?
納期のスケジュール間違ってましたか?
このくらいに終わりそうですが何かありますか?
いろいろ訊くことはある。
しかし、余計なやり取りなく
とりあえず謝った方が、圧倒的に早い。
黙り込んで言いたいことも飲み込んで
謝った方がスッとその場は収まる。
またはサクッと人間関係を
切ってしまった方が非常に楽だ。
上司もまたそこに深く踏み込んでこない人なら
「急ぐんならいいか」とかで
終わらせてしまうかもしれない。
そして、
私は嫌われる人だと結論づけてしまえば、
何が起きたのかを検証しなくて済む。
その方が、脳にとっては手っ取り早い。
しかしこれを繰り返していると
いつまで経っても他人との間に
何が起きたのかわからない。
トラブルが起きても、
何が原因だったのかがわからない。
だから、次にどう対処し、
どう関わればいいのかもわからない。
全て当てずっぽうでの行動になってしまう。
一向に経験値が上がらない。
ドラクエでいうところの
モンスターに出くわしても常に
「逃げる」を選択しているようなものだ。
そして、人と関わると
よくわからないけどトラブルが起きる、
その対処方法は全くわからない、
何が起きるかわからない世界は、怖い。
私は人を怒らせる。
私は人を不快にさせる。
私はなぜか嫌われる。
そんな自分へのレッテルが、少しずつ増えていくし
どんどん粘着力がアップして
強力になり、なかなか自分から剥がせなくなる。
悲しすぎる。
何より自分にものすごく優しくない。
察して。
外して。
謝る。
何も解決はしてない。
私は、もともとすっきりしないことや
はっきりしないことは質問しまくるという
子供だったのだけど
質問する、訊くというスタイルが
学校社会や組織の中で異端であることを
成長過程で知っていった。
子供だったこともあり
質問が直接的だったり
タイミングを間違えたり
協調性という定義からは外れていることが多かったため
私はいつの頃からかその個性を封印していくことになった。
聞かずに察する。
阿吽の呼吸とか日本には
訊かないという文化がなぜか美しいとか
尊いように描かれてる風習がある。
そこにまんまと染まっていった私は
社会に出てえらく苦労することになった。
この思い込みは仕事をする上で
非常にめんどくさい足枷になっていった。
特に、独立して
起業する流れになった時に
如実に困り事として現れた。
仕事の判断にも、そのまま出る。
クライアントから少し確認されただけで、
満足していないのかもしれない。
高いと思われたのかもしれない。
このままだと仕事を切られるかもしれない。
そう考えて、聞かれてもいないのに値下げする。
頼まれてもいない修正を増やす。
相手の要望を確認する前に、自分の提案を引っ込める。
嫌われないようにしなければ。
不快にさせてはいけない。
何かわからないけど
人から何かアクションがあるたびに
自分の落ち度と紐づけていたから
その度に血圧が上がるし
自分の存在否定にまで及んでいく。
そりゃ人と関わりたくなくなるわ。
関わるたびにヒットポイントが減って
意味わからず傷ついていくんだから。
まずは事実確認。
無色透明な出来事を
自分の思い込みで謎のあらすじに変えてないか。
ただの質問を詰問だと思ったり
聞いただけのことをクレームだと思ったり
全然違うところに向けた感情を
自分に向けられたと思ったり
自分の思い込みや自己否定や罪悪感が
あなたに謎に謝らせてはいないだろうか?
無意識に「すいません」が口に出てるあなた。知らず知らずに、自分が自分を「嫌われる人」にしてるかもしれない。
でも、それは本当にあなたが嫌われる人だからではない。
確認しないまま「嫌われた」認定した出来事を、
証拠として採用し続けてきただけかもしれない。
〜お知らせ〜
自分じゃなかなか気づけない
自分の当たり前や、常識が
バグとしてあなたの未来を滞らせているかもしれない。
そんなバグを見つけ再構築するそんなセッションをしています。
これらの3つのCの要素を組み合わせたセッションです。
詳細はまた改めて書こうと思います。
Core(核心・深層):
もぐらのように深く潜り、無意識下の「バグ」や、
自分を守ってきた「卵の殻」を見つける工程。
Clear(解消・洗練):
見つけたバグをフラットな視点でほどき、
最適な感覚を取り戻す工程。
Create(再構築):
抽出した本音を、社会で通用する形に洗練し、
自分だけの「取扱説明書」を作り上げる工程。
