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あの日の愚痴が、私の人生を変えた

あのときの愚痴は、友人との間に小さなヒビを入れた。
それは、二度と埋まらないものだった。


人に愚痴をこぼしたくなるときって、ある。
もうどうしようもなく腹が立って、
自分がどれだけ嫌な思いをしたか、わかってほしい。



そのとき感じた怒りや悔しさ、
不快感はまぎれもなく自分の真実だから、
誰かに聞いてもらうことで
少しでも軽くなれば…という気持ちも、わからなくもない。


わたしだって、そう思う瞬間はある。


でもそのとき、ひとつだけ
冷静に思い出すようにしていることがある。


「今、自分が吐き出そうとしている言葉は、
誰かにとって印象そのものや事実になりうる」

ということ。



たとえば、恋人やパートナー、配偶者のこと。
家族や友人、関係の中で、いろんなことがある。




価値観のズレにイラッとしたり、
気づいてもらえない寂しさに傷ついたり。
そのとき感じた気持ちを、
つい誰かに聞いてもらいたくなる。



でも、私たちの感情は変わっていく。
仲直りしたり、相手の思いや背景に気づいて見方が変わったり、
時間が経てば「あれはあのときのこと」と
当事者はなりやすい。



ところが、「愚痴を聞かされた側」には
その後のストーリーが届かない。




愚痴を聞かされた方に残るのは、あのときの悪い印象のみ。




しかもその印象は、なかなか上書きされない。
むしろ、本人の中で変化したことを伝えても、
うわべのフォローのように
受け取られてしまうことすらある。



実は、昔それで失敗したことがある。



私がまだ若い頃、仲の良かった友達に、
当時付き合っていた恋人の
ちょっとした愚痴をぽろっとこぼしてしまったことがあった。




私も若くて、ただ聞いて欲しい、自分の痛みを和らげたい
それだけの理由でこぼした愚痴だった。



でも、そのことが友人にとっては
耐え難く、許せないことだったらしく、
「私はもう関わりたくない!」と強く拒否された。



私はそのとき、気持ちに共感してもらえたことが嬉しかった。



その怒りも一過性のもので
私と同じようにまた信用や印象回復するものだと思っていたが
いつまで経っても友人の恋人への印象は回復せず
悪いまま。



どんなにいいことを伝えたとしても
「結局あんなことをするやつ」というレッテルを貼られて
とうとう友人の中で恋人の印象が回復することはなかった。



私がポロリとこぼした愚痴がこんなことになるなんて。



覆水盆に返らず
後悔先に立たず
時すでに遅し。


その経験が、今でも私の中に教訓として残っている。
人の印象は、そんなに簡単には塗り替えられない。
だからこそ、人に何かを話すときは
いまだに慎重になるのだと思う。


もちろん、愚痴をこぼすことが悪いとは思わない。



人間だもの、感情が爆発しそうになるときだってある。
でもそれならそれで、
その言葉がどんな影響を周囲に及ぼすか、
「副作用」があるという前提だけは持っていたほうがいい。


こう思え、こう見ろ


他人において、そんな虫の良い話はない。




散々パートナーや誰かの悪口をこぼしておきながら、
周りが「あの人って〇〇だよね」と言うと、
「そんなこと言わないで!ほんとは優しい人なんだから!」と怒る人。


先頭切って愚痴をこぼしておきながら
周りが自分の予想を上回る展開になると慌てて
取り消したりする人もいる。



自分がまいた愚痴という種が育っただけではなかろうか。



確かに愚痴をこぼしたときは
憎らしくてたまらなかったのだろうが
その後関係が修復して自分の中では
好感度が上がったからといって周りがそれについてくるわけではない。


当然周りは印象が悪いまま
なんなら愚痴を聞かされた状況のまま進んでいたりする。



かつて暴力的な恋人と付き合っていた時
散々周りからは反対され、批判された。


暴力を受けた直後や
不平不満だらけの時はそれでよかったが
ちょっとでも国交が回復して状態が安定しているときに
周りから恋人の悪口を聞かされると
それはそれは腹を立てていた。



ほんとはいい人なのに!
優しい人なのに!



説得力のない言葉で
当時は周りを納得させようとしていたが
それまでの自分の言動を振り返ると
到底無理があるとしか思えない。



周りに「そんな風に思われたくない」と怒る前に、
自分がどんな印象を与えるような言葉を発したのかを、
振り返ってみる必要があるのでは?と
今の私なら当時の私にいってやりたい。



言葉には、ちゃんと副作用がある。

感情を出すことも、誰かを守ることも、どちらも大切。
だからこそ、愚痴をこぼすなら
「どんな風に、誰に、どこまで言うか」
感情的になることは、未来を生きる上で得策ではない。



これは誰よりも私が身に染みている。



たとえ一過性の感情だったとしても、
聞かされた方としては
他人の印象にはずっと残る言葉として
作用する可能性がある。


そんなこんなも含めて


わたしは今でも、
自分の大事な人のことを、悪く言わないと決めている。



どんなに腹が立っても、泣きたくなることがあっても、
それは私とその人との問題であって、
他人を巻き込むことはしない。


一度他人の耳に入れた言葉は撤回できないのだ。


それは、過去の私が失敗したからこそ知っている、
ちいさな覚悟みたいなものなのかもしれない。



ちなみに、愚痴をこぼしたくなった時はどうするか?

私は専門家に言うようにしている。
カウンセラーやコーチといった心や頭を
一緒に整理してくれる人に頼るようにしている。

風邪を引いたら内科医に
怪我をしたら外科医に
愚痴をこぼしたくなったらカウンセラーやコーチに。


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