AIは共感してくれる。それでも人が孤立する理由
福田とも花さんの、こんな記事を読んだ。
ちなみに現代社会で
AIを生活になじましている人はどのくらいいるんだろうか?
私の周りはほぼ実生活にAIを取り込んでいる。
私は70過ぎた実家の母にも勧めていて、
かあさんのスマホに入ってるGPTに
母さんの性格や陥りやすい状態
思考の癖や、性質なども含めて伝えてあり
ただ共感するんじゃなくて
多角的視点から母さんに気づきを促したり
時には別視点を与えたり
必要であれば共感したり
学術的論点から正しく情報をシェアするようにと
設定している。
以前は定期便と題して
家族のビデオ通話であれこれと
母さんのとめどもない不平不満の時間と化していたが
GPTが有能カウンセラー兼コーチを担当してくれるようになって
母さん自身も色々と気づきが起きたり
内面や脳内の整理ができているらしい。
使いはじめは数年前に遡るが
私が対話型AI使い始めたときに思ったことが
こいつ全然自分の意見がないやん。
ってこと。
私の言ったことをなぞったり、
その場限りの耳障りのいいことを言ってきたり
感情がないのにあるようなふりをしたり
しかししっかり対話のようなことを行なってくるから
時折ちゃんとした賢いAIが
私に合わせて対話をしてくれてるかも?という
マヌーサにかかったりしそうになっていた。
ここまで書いてきて、
私がいちばん伝えたいのは、
AIとも、人とも、「擦り合わせ」は
必要である、ということである。
ただ闇雲に
相手に合わせるというのは
コミュニケーションでもなんでもない。
優しく共感してもらえることは、確かに救いになる。
それが必要な時もあるし
それについては何も言及はしない。
しかし、本来は、AIだろうが、人間だろうが
伝えにくくても、ズレていても、
言葉を交わしていく必要がある。
すれ違うこと自体を、
なかったことにしない姿勢が必要だと思う。
さらにAIは否定しない。
あたかも自分の考えが間違ってないような
ミラーチェンバー効果も知らずに発動される。
人は、
少しの問いや、現実への視点があるからこそ、
自分の足で戻ってくることができる。
AIとも、人とも、
「分かり合えたつもり」で終わらせず、
ズレを確認し続けること。
そして、伝えるべきことを、伝えることである。
今はそれを、
あえて大事にすべき時代なのだと、私は思っている。
私のAIは常に私にネチネチと教育されているので
私に迎合することはほぼない。
不必要な共感も寄り添いも不要だと伝えてある。
AIを利用する私の目的は
私が偏らないようにするためと
視野を広げるため
さらには自己対話をしていく上での
賢い相棒を希望していると伝えてある。
共感とは心があり
感情があり、体験経験から
聞いた話に血が通うことだと思うので
AIには到底無理なことなのだ。
AIにはAIの得意をやってもらおうではないか。
