冒険の書(孫泰蔵)
「教育はなんのためにあるのか」「学校の存在する意義はどこにあるのか」
というワンテーマで300ページをゆうに超える分厚い本になっています。哲学書です。
「うん!」と思ったところ
少しずつでも自分の頭で考え続ければ、すなわち「思考停止」をやめれば、世界はガラリと変わるはず。常識に縛られ、不安にかられ、自分の本当の気持ちを抑え込んで生きるのをやめさえすれば、本当はみんな楽しく生きていけるはずです。
学校の授業、というのは「受け取り型」が大半なので、自分で思考する事は確かにやらなくてもいい世界かもしれません。
ルールとは、先人たちがいろいろと痛い目にあった経験をふまえ、後につづく人が失敗をくり返さないよう、「転ばぬ先の杖」としてつくられた教えです。そう聞くと良さそうに思えるルールですが、実際には人々の思考を停止させ、人間の成長にとって大事な失敗をさせないようにし、理由もなく人々を恐れさせる点ですごく罪深いと思います。
こういう観点はなかったです。
つくるべきは、ルールではなく、「試行錯誤できて、失敗から学べる環境」。
同意します。
「社会にはいろいろな個性を持ったいろいろな人がいる」ということを前提に社会のすべてをつくり直す
と書かれています。もういろいろな事が行き詰まっている現代では、これぐらい大胆な施策が必要なのかもしれません。
そして著者が言いたいことは、「ただ楽しい遊びをとことん追究すればいいじゃない」なのですが、それを実現することがいかに難しい現実か、を思い知らされます。
論理的思考の枠組みにいるのではなく、問いを立て、おもしろがること
いたってシンプルな考えです。これを純粋にやればいいだけなのかもしれません。なのに、なぜにこの国はここまで「枠組み」がガッチリ固められているのか。
何のために生きるのか
人は何のために生きるのか。難しい問いです。
「社会の役に立つため」とすれば、その役目を終えた人は「生きる意味なし」となってしまう。かといって「いるだけで意味がある」という本もあるのですが、どうもそれでは私は釈然としない思いもありました。
本書では、内村鑑三氏の言葉が紹介されています。人間が後世に遺すことができる最大遺物として、
「勇ましい高尚なる生涯」
をあげています。
これは腑に落ちます。
「勇ましい」はなくとも、私の両親はたしかに「高尚なる生涯」を過ごしました。
母親は、毎日丹念に、全く不平をこぼさず家事をこなしていた姿がまさに「高尚なる」ものでした。父親も、定時に家を出て夜遅くに帰宅するサラリーマン生活を定年まで過ごし、その後も穏やかに家で過ごし「高尚なる」姿を見せました。
何か大きな歴史的なものを残さずとも、「高尚なる生涯」は目指すことができます。
そんな姿を、私も子どもに見せたいです。
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至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。