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1979年の渋谷地図からひもとく、昭和と令和の文化ギャップ──カラオケから丸井まで @THE世代感 (元教授、定年退職835日目)

『THE 世代感』で知った、渋谷の変遷

先日、世の中の人物や出来事について世代ごとの認知度を調査し、そのデータをクイズ形式で紹介するテレビ朝日『THE 世代感』を視聴しました。この番組の面白さは、若い世代と昭和世代とでは、物事に対する認知度や価値観がまったく異なるところです。今回は、1979 年の渋谷の地図を現在の街並みと比較しながら、その変遷をひもとく内容でした。渋谷がどのように音楽や食文化の流行発信地となっていったのかを、多角的に紹介していました。時代のニーズに合わせて、ランドマークやサービスが次々と塗り替えられていく様子が、特に興味深かったです。比較に使われた地図は 1979 年のもので、私が 20 歳だった頃です。当時、私はすでに大学進学のため京都に住んでおり、渋谷そのものにほとんど思い出はありません。しかし、紹介される流行や街の雰囲気には共通するものがあり、懐かしく感じました。(下写真もどうぞ)

『THE 世代感』で1979 年の渋谷と比較(注1)


最初の話題は「カラオケ」でした。1979 年の地図を見ると、現在はセンター街周辺だけでも 13 店舗あるというカラオケ店が、一軒も記載されていません。カラオケボックスが普及し始めたのは 1986 年頃からですので、それ以前の若者には、気軽にカラオケを楽しめる場所がなかったのです。(タイトル写真、下写真もどうぞ:注1)

最初の話題は「カラオケ」。1979 年の地図には一軒もない(注1)


カラオケは歌うだけの場所ではない!

番組で若い世代のコメントを聞いて驚いたのは、現代のカラオケの利用法が「歌うこと」だけにとどまらないことでした。かなりの割合の若者が、スマートフォンを見ながら時間をつぶす休憩場所として利用したり、自宅に再生機器がないため、DVD を持ち込んで大音量でアイドルのライブ映像を楽しむ「推し活」の場として個室を活用したりしているのです。さらに少し調べてみると、実に多種多様な利用法も見つかりました。現代のカラオケルームは、遮音性の高い防音構造に加え、大画面プロジェクター、Wi-Fi、高品質な音響・通信設備を備えた個室です。その空間の可能性を生かした、新しい使われ方が次々と生まれています。(下写真もどうぞ)

現代のカラオケでは、こんな使い方も(注1)


たとえば、歌を歌うのではなく、電車の運転席から見た前面展望映像を背景に、画面上に流れる「出発進行!」「ドアを閉めます」といったアナウンスを読み上げる「鉄道カラオケ」があります。また、プロジェクターの光をレフ板代わりにして、きれいに見える写真を撮影するという、SNS 時代ならではの楽しみ方も流行しています。店舗によっては、家庭用の高性能刺しゅうミシンを貸し出すサービスまであるそうで、衣装を手作りするコスプレイヤーの間で熱狂的に支持されているといいます(自宅ではミシンの駆動音が近所迷惑になったり、大きな布地を広げるスペースが確保できなかったりするため、カラオケの個室が重宝されているようです)。一方では、超高齢社会における「ヘルスケア・プラットフォーム」への進化も見られます。単に歌って楽しむという娯楽性を超え、音楽療法の考え方に基づいた口腔機能の改善、認知症予防につながる脳トレーニング、運動プログラムなどを組み合わせ、高齢者の QOL 向上を体系的に支援しているといいます。


カラオケの思い出──「流し」、スナックの暗黙のルール、教授の前座

1979 年には、もちろん私の周りにもカラオケ店はありませんでした。ただし、カラオケそのものは、その 10 年ほど前に産声を上げています。当初は、マイク付きの小型ジュークボックスに、8トラックカセットなどの伴奏用テープを入れて歌うという、極めてシンプルな装置でした。カラオケが登場する以前は、ギターやアコーディオンを携えて酒場を巡る演奏者、いわゆる「流し」が、客のリクエストに応じて生演奏を行い、それに合わせて歌うスタイルが一般的でした(私も 20 年ほど前、和歌山で「流し」を体験したことがあります。生演奏ならではのライブ感があり、とても楽しかったことを覚えています。私が因幡晃さんの曲をリクエストしたところ「別涙(わかれ)」を熱唱してくださり大感激しました)。しかし、流しが店に来てくれなければ歌えないという、時間的、空間的な制約があったため、伴奏をいつでも再生できる装置の登場は夜の街に劇的な変化をもたらしたのです。

ちなみに、当時のカラオケは、主にスナックやバー、居酒屋などで、見知らぬ人たちと同じ空間を共有して楽しむものでした。そのため、独特の暗黙のマナーがありました。周囲から歌うよう勧められたときには、「それでは失礼します」と謙虚に受け、歌い終われば「ありがとうございました」と一礼するのが基本的な作法でした。他の人が歌っている時には、私語を慎み耳を傾ける姿勢と拍手も求められました。特にスナックなどでは、年配の客や常連客を優先する配慮が自然に求められ、店内の社会的な秩序が、そのまま歌う順番や選曲の空気にも反映されていたのです。大学の研究室でカラオケに行った場合も、まず前座が場を温め、ほどよく盛り上がったところで教授にマイクを渡すことになっていました。私はよく、その前座を務めていたことを思い出します(笑)。


あの頃の渋谷と「月賦払い」が生んだクレジット文化

渋谷とはあまり関係のないカラオケの話で、勝手に盛り上がってしまいました。番組の内容に戻ります。当時、渋谷で人気を集めていたのが「赤い丸井」と「緑の緑屋」です。若い世代はほとんど知らなかったようですが、現金払いが主流だった百貨店業界において、どちらも「月賦払い(現在のクレジット払い)」を大きな特徴とする店でした。丸井は日本で初めてクレジットカードを発行し、現金をその場で支払わなくても、月末の一括払いや分割払いで商品を購入できる仕組みを広めたのです。また、丸井のロゴマーク「OIOI」は、全店舗で使用していた電話番号の下4桁「0101」を表していました。


スパゲッティが運んだ渋谷の食文化、そしてレコードの街

番組では、渋谷から生まれた全国チェーンや、スパゲッティ文化についても紹介されていました。1979 年には、「たらこスパゲッティ」や「納豆スパゲッティ」の発祥店とされる「壁の穴」、イタリア料理チェーンの「カプリチョーザ」や「洋麺屋五右衛門」もありました。ちなみに、カプリチョーザの1号店は「嘉婦里蝶座」と漢字で表記されていたそうです。さらに、当時の地図にはレコード店が数多く記載されています。1981 年には、東急ハンズの向かいにタワーレコードがオープンしました。輸入盤を山積みにする販売スタイルが話題となり、1990 年頃には宇田川町だけで 50 店舗以上のレコード店が密集するようになりました。こうして「音楽の街・渋谷」というイメージが形成されていったのだそうです。(下写真もどうぞ)

渋谷から生まれたスパゲッティ文化!(注1)
輸入盤を山積みだったタワーレコードから音楽の街が(注1)


昭和から令和にかけての渋谷の変遷をたどってみると、単に街の風景が変わっただけではないことがわかります。新しい遊び方、企業間の熾烈な競争、画期的な販売システム、そして新たな食文化など、実に多くのものが渋谷から発信されてきました。番組では当時の映像も数多く流され、街全体がイケイケだった時代の空気を懐かしく思い出しました。懐古趣味と言われるかもしれませんが、いやはや、実に楽しい番組でした。それでは、また。


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注1:テレビ朝日『THE 世代感』の特集「1979 年の渋谷の地図」より

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