選挙:3分SF
キョウコは投票所の白い壁を見つめていた。
壁は清潔すぎて、現実感を奪う。
ここでは誰もが同じ一票を持つ、と掲示板には書かれている。
だが彼女は知っていた。
この選挙が、単なる代表者選びではないことを。
この社会では18歳になると「適性選挙」に参加する。
投票用紙には候補者の名前ではなく、抽象的な設問が並ぶ。
① 秩序か、自由か。
② 効率か、無駄か。
③ 安全な未来か、不確かな現在か。
など設問が続くのだ。
キョウコは鉛筆を握りながら、胸の奥に沈んだ違和感を確かめていた。
自分は本当に選んでいるのだろうか。
それとも、選ばされているのか。
彼女は幼いころから、選挙のたびに母が眠れなくなるのを知っていた。
結果が発表される夜、母は必ず夢にうなされ、「また外れた」と呟いた。
その意味を問うと、母は笑って誤魔化した。
「何に投票したかは、決して人に喋ってはいけないよ、たとえ夫婦でもね、
それとね、大きく外れる選択肢が増えることもあるのよ」
その言葉が、ずっと引っかかっていた。
キョウコは最後の設問の前で手を止めた。
あなたは「決める側」になりたいか、「決められる側」でいたいか。
奇妙な設問だった。
民主主義の形式をとりながら、その前提を揺さぶってくる。
彼女は一瞬、白紙で提出しようと考えた。
だがそれは棄権として処理され、アルゴリズムが代替選択を行うことを知っている。
結局、彼女はゆっくりと印をつけた。
投票を終えると、腕に装着された端末が淡く光った。
《適性解析中》
《あなたの投票は未来政策に反映されます》
それだけの表示。
結果は後日通知される。
その夜、キョウコは久しぶりに夢を見た。
広大な宇宙空間に、無数の小さな地球が浮かんでいる。
それぞれの地球には、少しずつ異なる歴史が刻まれていた。
戦争の多い世界、争いのないが停滞した世界、自由だが不安定な世界。
その中心に、巨大な投票箱があった。
箱の中を覗くと、票は紙ではなく、人の記憶だった。
喜び、後悔、恐怖、希望。
すべてが折り畳まれ、未来の材料として集められている。
目が覚めたとき、端末が通知を発していた。
《あなたは選出されました》
彼女は息を呑んだ。
《あなたは次期「判断生成層」の一員です》
調べるまでもなく理解した。
社会の方向性を決めているのは、政治家でもAIでもない。
選挙によって無意識の傾向が似た者同士を集め、その深層心理を平均化した「判断生成層」――いわば、未来の原型となる人々。
キョウコは静かに恐怖した。
自分は選んだのではない。
選ばれてしまったのだ。
数週間後、彼女は白いパネルに囲まれた部屋で同年代の男女と向かい合っていた。音声はすべてテキスト化され、だれもが理解できる言語に翻訳される。
誰もが不安そうで、同時にどこか安堵している。
ここでは意見を述べる必要すらない。
ただ対話し、感じ、迷う。
言語が全てデータ化され、未来政策に反映される。
ある日、彼女はふと口にした。
「もし、みんなが間違った方向を望んだら?」
沈黙の後、年配の監督官が静かに答えた。
「間違いもまた、未来の一部ですよ、問題ありません」
彼は微笑んだ。
「あなたたちは、必ず“迷う”人たちだ。
その迷いこそが、この社会の最後の安全装置とも言えます」
その夜、キョウコは母に連絡を取った。
母はすべてを知っていた。
かつて同じ場所にいたことも、何度も「外れた」と感じていた理由も。
「それでも世界は続いているでしょう?今、何か困ることがある?」
母の声は穏やかだった。
通信を切ったあと、キョウコは窓の外を見た。
星が瞬いている。
その一つ一つが、選ばれなかった可能性のように見えた。
だが彼女は思った。
「今は困っていない、だが将来は?」
選挙とは、正解を選ぶ行為ではない。
何を選んでも将来はわからない。
迷い続ける人間が、未来に関与し続けるための装置なのだと。
キョウコは初めて、投票所の白い壁を思い出して微笑んだ。
あれは空白ではなかった。
まだ書かれていない物語の余白。
遠い星の光は、今日も地球に届いている。
遅れて、確かに。

