舞い散る花、遠ざかる日々
【シロクマ文芸部:花びらを】
※小牧幸助様主催のお題に寄せて
🌸シロクマ文芸部参加一周年記念作品
花びらを食べている人が居た。
ヒラヒラと舞い落ちる、
桜の大木の下で。
上を向き、目を閉じて腕を広げ
大きな口を開けていた。
「何してんですか?」
私はそう尋ねた。
「汚いですよ?」
その人は目を開けて、
腕を広げたまま、私を振り向いた。
原生林の山の裾。
灰色のコンクリートが立ち並ぶ
古い高校の片隅だった。
「新入生?」
その人は、制服の胸のリボンが
深緑色をしていたので、
三年生だとすぐ解る。
艷やかな黒髪を、肩でボブにした、
小柄な先輩だった。
私のリボンは赤。
だから一年生だと一目で明らかだ。
先輩とは違い、私は長身で
髪色は自然な栗色。
うんと短くカットした髪で、
よく男子と間違われるのだった。
外見だけで言うと、私とこの先輩は、
まるで正反対の印象だと思った。
「汚い?こんなに美しいのに?」
先輩が、私に言う。
「美的な話じゃなく、衛生の話です」
「ああ、そっち?」
クスクス笑う先輩に、
私は(変な人)と感じた。
「そーゆーの、思わないんだ、私」
先輩はまた、両手を広げて上を向く。
「桜は毎年咲くけれど、
今咲く桜は今しか見られないからね」
「“月見る月は この月の月”みたい」
「フフ! 面白いね、君は」
掌に舞い降りた花びらを、
先輩はまた、パクンと食べた。
私は、提出物を出すために
職員室等のある、本棟へ向かっていた
私や先輩が所属するデザイン科棟は、
北の端から2番目にあり
棟同士の間には一階と二階に
渡り廊下が通っている。
本棟は、一番南にあるので
かなり遠いのである。
デザイン科棟と、隣の建築科棟。
その間は中庭になっていて、
真ん中には一本の、
染井吉野の古木があった。
靄めいた春の風がフワリと吹く度に
ハラハラと白っぽい花びらが
中庭一杯に降りしきる。
明るい春の午後なのに、
この中庭だけは、薄闇を思わせた。
「ねえ、君!」
立ち去ろうとする私を、
先輩が呼び止める。
「美術部に入らない?」
ああ、と思った。
この人、何処かで見たと思ったら
部活動紹介で、美術部長の隣に黙して
作品の油絵を持ったまま立っていた、
美術部の・・・誰だったか?
「副部長の、東城硝子」
先輩が名乗ったので、
私はペコリと頭を下げた。
「一年の、五百蔵です
『五百の蔵』と書きます」
「おー!何て読むのかって、
皆で話題になったわ。アレ君なのか」
「はい」
「何かいいね、武士みたいで」
「そうですか?毎回訊かれて
煩わしいです。難読名字」
「いいじゃない。インパクトあって」
灰色めいた桜を背景に、
小柄な先輩は、アハハと笑った。
前年の夏休み、
私はデザインの勉強に興味があり、
この学校と、もう一校のデザイン科を
見学に訪れていた。
先に街なかの工業高校を見学する。
工業高校だけに、全体メカメカしく、
設計や模型、商業デザインに
特化した感じの雰囲気が
何か私の求めるものと違っていた。
通学は便利だが、そそられない。
そんな気がした。
次に、この学校へ来た。
ローカル線の駅からも、
タクシーでかなり距離がある。
通うなら、駅から自転車か。
しんどそうだな・・・
学校は、鬱蒼とした原生林の
山に囲まれた場所にある。
八月の山からは、唸るような
蝉時雨が山に反響し、異様な緑の
空気に満ちていた。
古いコンクリート建ての校舎が
何棟も立ち並び、黒っぽい灰色の
巨大な墓標のようだった。
デザイン科の棟内を案内され、
十名ほどの見学生は、ゾロゾロと
案内役の教師に連なって歩く。
一目で、私はここだと感じた。
山から跳ね返る、緑の光が満ちた
薄暗い教室の空気にも、
各実習室に展示されている
生徒たちの作品群にも、
個性と表現力、生命力が満ちていて
私の創造力を揺するのだ。
『美術室です』
教師が扉を開いた時、
目に飛び込んだのは、大きな油絵。
それも複数枚の同じ絵が、
床の上に並んでいる。
『東城さん!』
教師が苛立った声を上げた。
『あれほど片しておくようにって!』
(東城・・・そうか、あの時の)
それは、不思議な絵であった。
華やかであるが、調和した色彩。
画面一杯に咲き乱れる、南国の花。
それが、離れて眺めると、
若い女性の顔に見えるのだ。
どれも同じ絵に見えるのに、
一枚ごと、顔の表情が違う。
微笑んでいるもの、
悲しげなもの、
悩んでいるもの、
泣きそうなもの・・・
鳥肌が立った。
情念と言うか、情熱というか、
この絵を描いた人はきっと
“天才” の類いだろう。
本能的に、そう感じた。
「東城・・・先輩?」
「ん?」
「あの、前の夏休みに、花の絵を
何枚も描いてませんでしたか?」
「あー、描いたね。それが?」
「あれ、同じ花の絵なのに全部違う
顔に見えました。凄いです」
先輩は驚いた顔になり、
そしてキラキラした笑顔になった。
「見えたの?」
「は?」
「顔の違い、見えたの?君」
「え?だって全然違ってたから」
「良い目だね、君。やっぱ美術部へ
来てほしいなぁ」
「でも私、美大とか行く気無いんで」
美術部へ入るのは、美大を目指して
デッサンや油絵、試験対策など
いわゆる “本気”勢 が
ほとんどだと聞いていた。
それに、授業の課題をこなすのが
大変なのに、部の課題や
コンクールへの作品制作もプラス
されるため、とてもキツいらしい。
私とは縁が無さそうな世界だ。
私はマンガとかアニメとか、
絵本や挿絵のような世界。
そういった仕事に就きたいと、
漠然とはしているが、
確かなイメージがあるのだった。
「ねえ、イオロイさん」
「はい?」
「一つだけ聞かせてくれる?」
「何ですか?」
「あの一連の絵を見た時、
君はそこに、何を感じた?」
「えっ?!」
一瞬、私はあの日の、
むせ返るような夏の空気を感じた。
テレピン油の匂いが、
鼻の奥でツンと香った。
「私は・・・」
躊躇った。
何の根拠も無い、ただの直感だから。
「いいの。感じた通りに言ってみて」
「私は、この絵の作者はきっと、
誰かに恋をしてると思いました」
ザッと風が吹き抜けて、
おびただしい桜の花びらが
渡り廊下の中まで吹き抜けた。
「・・・先輩?」
泣いていた。
降りしきる花びらの中で、
小さな体を震わせながら
先輩が泣いていた。
「そっか」
消え入りそうに、そう呟いた。
「君の目は、ホントに凄いな」
そう言って笑う先輩の頬に、
数枚の花びらが飛んできて張り付いた
「君はきっと、絵じゃなくて
言葉で心を揺らす人だよ」
「はぁ?」
「ごめん、ありがと。忘れて」
そう言い残して手を振ると、
黒髪を揺らして先輩は去った。
私は夢から覚めたように、
本棟目指して駆け出した。
夏休み、また東城先輩は
沢山の油絵を描き上げて、
その中の一枚が、コンクールで
最優秀の賞を獲得し、
フランスの大学への留学を決めた。
それは、学校創設以来の快挙で、
学校中が騒然とした。
しかし、先輩は留学しなかった。
それどころか、行方不明になり、
また学校中を騒然とさせた。
私が入学する前に、
美術部顧問の男性教師が一人、
退職をしていた。
家庭の事情となってはいたが、
実は解雇されたのだと知った。
その教師は、根っからの芸術家肌で
変人だとの評判だった。
東城先輩の作品と、
その才能に惚れ込んだ彼は、
先輩の指導と制作への助力に没頭し、
自分が教師であることも、
家庭を持っていることも、
忘れ去ってしまったのだと言う。
かも知れない。
私は思った。
先輩の描く絵からは、
そんな魔力めいたパワーを感じた。
私も少なからず、影響を受けた。
先輩は多分、退職と離婚をして、
日本を離れたという男性教師を
追って行ったのだ。
留学に出る振りをして、
出国したまま消息を絶った。
もしかしたら、迷いを断ち切り
先輩の背中を押したのは、
私の言葉だったのかも知れない。
何となくだが、そう感じた。
あの先輩は、
今頃どこでどうしているのか?
どこか異国の片隅で、
恋した年上の芸術家と二人、
貧しくも幸せに、絵を描きながら
暮らしていれば良いなと願う。
一度だけ、知らない国の消印が
押された絵葉書が届いた事がある。
差出人の住所も名も無く、
どこかの空港で投函されたらしい。
絵葉書は、パステルで手描きした
南国の鳥と花を描いたもの。
美しく、どこか闇めいた、
あの先輩の作風だと感じた。
どうして私の住所が解ったかは
定かではないが、
当時の卒業アルバムには
全卒業生の住所が記載されていた。
そんな時代であったから、
難読名字の私の住所も
調べるのは可能であったろう。
あれから遠く、時代は流れ去り、
また桜の時期がやって来る。
少子化の波に飲まれ、
思い出の学校も、桜の木も今は無い。
東城先輩の消息を聞くことも、
同級生と話すことも無いまま
私は今を生きている。
それでもどこか、旅先でふと
美術館を見つけると、足を運ぶ。
並んだ絵の中に、
心を揺さぶるあの先輩の
情念を込めた作品が展示され、
私を呼んでいるようで、
思わず足が向いてしまうのだ。
もしかしたら、あの夏の日、
私も彼女の作品に恋をしたのか?
それとも、魔力に魅入られたのか?
どちらにせよ、
東城先輩の作品にはまだ
出会えないままで居る。
それでもまた、いつか何処かで。
あの夏の日のように、
扉を開いたら、そこに・・・
※※※ Fin ※※※
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