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今夜、ひとつの世界が終わる

【シロクマ文芸部: 深夜二時】
※小牧幸助様主催のお題に寄せて


深夜二時。

ガラスの触れ合う、澄んだ音がした。
確か、牛乳屋さんの配達日だったな。


私はその音で、現実世界に帰還する。
ああ、もうそんな時間かぁ。

ひとつ大きく伸びをする。
キーボードを打つ手が凝ってきた。

明日も普通に家事とパートだが、
今夜は徹夜も辞さずの構えであった。


今夜、ひとつの世界を終わらせる。

そう決めたら、もう止められない。

家族も同僚も、誰も知らない
つまらない普通の主婦が持つ、
もうひとつの顔。

同人作家。

お金にはならないから、
お金でしか価値を計れないタイプの
夫や姑に話す気も無い。

けれど、私の頭の中からは、
文字の世界で生きたがっている
たくさんのキャラクターが溢れていた。


何本も並行して進む物語の中で、
最も長く連載し、最も多くの読者が付いて、
最も私が愛した物語が、
今夜遂に、完結する。


それは、清々しい達成感と、
たまらない愛おしさと、
それから、このまま永遠に終わりたくない
複雑な感情を孕んでいた。


窓の外には、夜の静寂。
雨上がりの湿気が満ちた夜の空には、
ぼんやりと紗のかかったような
中途半端な形の月。

無粋な電線に引っかかりそうだ。


私は窓辺を離れると、
再びパソコンに向かった。


物語はいよいよラストシーンに向かい
主人公の二人は雨の中に立つ。

南国の雨は、二人を世界から隔絶し、
数々の苦難を越えてきた、
その恋の成就を祝福する。


ふと、南国に咲く花の甘い芳香が
漂ったような気がした。


楽しかった。

登場人物の全てが愛しかった。

物語の中で、私は確かに
別の人生を生きていた。


彼らと共に生き、青春の苦しみに泣き、
恋をして、友情を感じた。


着地点を決めずに始めた連載が、
ハッピーエンドを迎えようとしている。


気付けば午前三時を過ぎた。


いよいよ最後の一文を打つ。

頭で考えた言葉では無く、
私の中の彼が、愛する人へ向け
独白する言葉だ。


『もし僕が命尽きて
この身が土に還る日が来ても、
この魂は風になり
君の髪を揺らすだろう

君よ、どこまでも走り続けて欲しい

僕はその背をそっと押す
優しい風になりたい』


この一文をもって、
長い物語は幕を閉じた。

運命に翻弄されながらも、
成長した彼がそこに居た。

彼はきっと、これからも、
襲い来る困難を乗り越えて生きるだろう。


愛する人と一緒だから。


今まで何度も最後に打ってきた、
『つづく』を初めて『END』と打った。


時刻は間もなく、午前四時。


二時間寝たら、またいつもの朝だ。


いや、

眠れるかな?


たった今、ひとつの世界を閉じた
キーの感触が残る、この指を抱いたままで・・・


そんな想いを断ち切るように、
古いパソコンのモニターが、
プツン、とシャットダウンした。


現在はもう読むことの出来ない
私の愛した物語へ捧ぐ



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