清流ものがたり
【シロクマ文芸部: 透明な】
※小牧幸助様主催のお題に寄せて
透明な水は、五色の砂利の上を
滑るように流れながら、
陽光を通して切子硝子にも似た
綾模様を描き出す。
それを掻き乱すように、時折ハヤの群れが
浅瀬を遡っては、また流れ下る。
川の名は『さぎり川』
〝鷺里〟とも、〝朝霧〟とも言われるが
定かではなく、平仮名の〝さぎり〟
山間の、小さな町(住民は村と呼ぶ)の
真ん中を流れる町のシンボルだ。
水面に突き出した杭の上に、
1羽のカワセミが留まり、
ジッと川魚を狙っている。

(あきた森づくりサポートセンター 様より)
見る角度によって色を変える、
構造色の背中はは金属的な青で、
胸や腹は鮮やかなオレンジ。
『飛ぶ宝石』と例えられるほどに
美しい小鳥だが、狩りの名手である。
カワセミは杭の上で、水中の魚の動きを
静かに見つめている。
まるでシャックリをするように、
時折頭を上下させながら、
慎重に獲物との距離を測っている。
杭を蹴り、宙に舞い上がると、
巧みな翼の動きで一瞬、空中で静止する。
その鋭い目は、空中と水中の
光の屈折率さえ調整して
正確に獲物の位置と、進行方向を
割り出していた。
そして突然、水中へとダイブする。
小さな水音と、小さな水しぶき。
飛び込み競技なら満点のダイブだ。
静かな川面に波紋が広がり、
またその真ん中を突いて舞い上がるカワセミ。
元の杭に戻った時には、
細長い嘴の先に、ハヤが跳ねていた。
銀色に輝く魚を、数度杭に打ち付け、
弱ったところを器用に回転させ、
頭の方から丸飲みにする。
必ず頭から飲み込むのだ。
逆だと鱗が逆立って、飲み込むことが
出来ないと、本能で知っているから。
川沿いに並んだ桜並木は、
かつて近くの小学校を卒業した
キョウコやワタルら卒業生が、
記念に植樹したソメイヨシノ。
貧弱だった若苗も、いつしか立派な
桜並木となり、川の堤をその根で固め
土が流出するのを防ぐ。
春には満開の花の下、
村の人々を笑顔にし、やがて散り敷き
川面に薄桃色の『花筏』を浮かべる。
夏には川辺に青々と葦が茂り、
オオヨシキリやセッカといった、
葦を住処とする小鳥たちや
国内で一番小さなネズミの一種、
カヤネズミなどが葦原に巣を構え
子育てにいそしんだ。

(相模川ふれあい科学館 様より)
初夏の頃、風の無い日には、
日暮とともに蛍が葦に灯りをともす。
日が落ちると、やがて最初の一匹が
ふわりと宙へ舞い上がる。
それを合図に、次々と蛍の乱舞が始まる。
ゆっくりした間隔で明滅する
黄緑の輝きは幽玄の世界だ。
羽音も立てず、ふわりふわり
瞬いて風に乗り、高く上ったかと思えば
水面スレスレに飛行する。
川面に映るその淡い光が、
世界の上下を曖昧にする。
言葉にならない美しさ。
その光景は、恋の終わりに涙する
アヤコの心の傷をも癒した。

このアニメ作品が、最も『本物』に近い
(NHKアニメ 『大家さんと僕』より)
秋になると、遥かな上流の渓谷より
長旅をして来た真っ赤な紅葉が
次々と流れ寄る。
水辺の蓼など、草紅葉も深い赤に染まり、
流れ着いた銀杏の黄色い葉と呼応し、
秋の錦を織り上げる。
その頃、周辺の水田では、
黄金の稲穂が秋風に揺れ、
さながら夕映えの海のようだ。
そこかしこから刈られた稲の、
かぐわしい香りが立ち込める。
晩秋から冬へ。
川は早朝のまどろみの中、
ゆらゆらと白い霧をまとっている。
弱い朝日がそこに反射して、
光の幕を形成した。
凍てつく朝はキラキラと、
すっかり枯れた葦に纏い付く霜が
宝石の輝きを放っていた。
『さぎり川』は、そんな風にいつも、
人々に季節の到来を告げながら
長い長い年月を、町と伴に生きてきた。
ある年の秋の事。
この町を、台風が直撃した。
壁が落ちてきたような土砂降りが、
二日の間、途切れもせず降り続き、
いつも穏やかな『さぎり川』は
黄土色の濁流となり、その水量を
上げ続けた。
ツグミは二階の窓を開け、
彼女の知らない顔で荒ぶる川を
畏怖の気持ちで見つめていた。
対岸にある柿の木は、
そこにツグミの家に通じる
『ドンドン橋』が架かる目印だ。
ただの厚い鉄板を渡しただけの、
私設の簡易な橋であるが、
ツグミの住む集落には
無くてはならぬ橋だった。
しかし今、流れ寄せる流木や瓦礫が
ドンドン橋で引っ掛かり、
それがダムのようになって
川の濁流を溢れさせ始めた。
突然、山火事の時しか鳴らない
サイレンが、豪雨の町に鳴り響く。
『小学生は、ランドセルに勉強道具と
貴重品を入れましょう。それを持って
登校班ごとに学校へ避難しましょう』
雨の音に紛れながらも、
その放送は家々に届く。
ツグミは急いで準備をしながら、
もう一度窓から川を見た。
川が、すぐそこまで来ていた。
目印の柿の木が、根元の土を抉られて
グラグラと激しく揺れている。
対岸にある、斎藤さんの農具小屋が、
基礎の地面を大きく抉られ、
今にも川へ落ちそうに傾いていた。
ツグミは戦慄した。
大好きな『さぎり川』を、
初めて怖ろしいと感じた。
避難する登校班を導くのは、
教頭先生率いる男性教師たち。
ツグミの家までやって来て、
近所の子供たちと合流すると言う。
「じゃあ、お預かりします」
教頭先生が、ツグミの父にそう告げた。
「よろしくお願いします」
父親もそう返し、深々と頭を下げた。
漠然とした不安がよぎる。
家族と会うのは、これで最後に
なるかも知れない。
もしそうならどうしよう?
泣きたい気持ちを誤魔化すように、
ツグミは努めて明るく言った。
「行ってきます!」
家族は泥まみれで土嚢を積みながら
「いってらっしゃい」
と、笑顔で言った。
子供たちは、無言で歩いた。
ドンドン橋が使えないので、
上流の大きな橋まで、遠く迂回を
しなければならない。
誰も話さない。
話しても掻き消されるから、という
理由もあるが、声を出したら泣きそうで、
不安でたまらないからだ。
学校に着き、雨合羽を脱ぐと
教室に布団が積み重ねてある。
今夜はここで泊まるのだ。
普段ならワクワク賑やかだろうが
今日は何だかシンとして、
外の雨がやかましく騒ぐだけ。
誰からとなく、窓に取り付いて
自分の家の方角を、ジッと見つめた。
一夜明けると、嘘のような晴天。
被害の様子を見てきた若い先生が、
帰り道が使えると報告に来た。
ツグミの集落では、一人の死者が出た。
山裾に住む高齢女性が、
雨上がりの畑を見に行った時に
裏山が崩れたのだった。
土砂崩れは老女ごと畑を押し流し、
奇しくも彼女の先祖が眠る
墓地の前で止まっていたと言う。
『さぎり川』の氾濫は、町に大きな
被害を及ぼした。
あれほど重い鉄板の『ドンドン橋』が、
容易く押し流されてしまった事実は、
町の人々に水の脅威を知らしめた。
自治体は被害を重く見て、
『さぎり川』の氾濫防止工事に
着工することを決めた。
それから数年、川はパイプで下流へ
迂回放流され、干上がった川底は
重機の往来する工事現場に変貌した。
白々と固く冷たいコンクリートが、
『さぎり川』を覆って行く様は、
古くから川に親しんで来た
住民たちの寂寥を誘った。
それから半世紀近く。
ツグミは数十年振りに、
従兄弟のトオルさんの葬儀のため
故郷の町を訪れた。
幼い頃、よく川で遊んでくれた
近所の従兄弟のお兄さんは、
すっかり老人の顔になり、
安らかに眠っているようだった。
祭壇に拝礼をして、遺影を見つめると、
幼い頃の『さぎり川』の想い出が
鮮やかに蘇る。
トオルさんが仕事帰り、
『ドンドン橋』を渡る足音で
彼の愛犬、雑種の『ジョー』は、
駆け出して橋のたもとに座り、
尾を振ってお出迎えをする。
休日の日暮れには、
市境いの山並みに沈む夕陽を眺め、
ツグミとジョーを観客にして
得意のトランペットを聴かせてくれた。
トオルさんとの想い出には、
いつもあの、清流『さぎり川』がある。
小さな田舎の農村で、
いつも人々の隣を流れ、
美しい四季を奏でた清流の姿を
覚えている者も少なくなった。
それでも…
通夜の宴の席で、
今も地元に住む人から聞いた話では、
近年、あの拡張された『さぎり川』に
堆積した砂が岸辺を形成し、
そこにまた葦が繁茂したからか、
この夏には、僅かであるが、
蛍が川を飛んだと言う。
「ホントですか?見たかったなぁ!」
そう残念がるツグミに幼い子が、
「じゃあまた、来年見に来てね!」
と、無邪気に笑った。
都会に戻り、気付けば故郷より長く
暮らしているこのマンションで、
ツグミは愛用の老眼鏡を掛け、
ノートパソコンを開く。
想い出が鮮やかなうちに、
残しておきたいのだ。
美しかった景色を。
煌めいた『さぎり川』の風景を。
記憶あるうちに…
命あるうちに…
そしてツグミは、キーを打つ。
〝〝むかしむかし、小さな町には
優しい川が流れていました〟〟
※この作品内の地名・人名は架空の
ものですが、その他は筆者の体験と
観察を基に描かれています。
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